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赤穂浪士

2010-12-15 23:50:42 | 雑感
 時は元禄15年、12月14日夜半から15日未明にかけて、赤穂浪士が本所松坂町の吉良邸に討ち入って浅野内匠頭の仇討ちを果たした。

 10日前、泉岳寺を参拝。赤穂浪士の記念館を見学してきた。その後、TVで忠臣蔵、歴史的には元禄赤穂事件というそうだが、特集が組まれていた。今日も、NHKの歴史秘話ヒストリアで放映されていた。

 前々から、吉良上野介は名君であったという話は聞いていた。愛知の吉良町では、忠臣蔵という言葉自体が御法度のようだ。小生の記憶が正しければ、吉良町で塩田を開発し、また、水害対策の堤も建設したそうだ。
 テレ朝のサンデースクランブルでは、文化人としての吉良上野介が紹介された。そこでの浅野内匠頭の分析であるが、内匠頭の縁者である内藤なにがしが芝増上寺でやはり刃傷沙汰をおこし、切腹しているそうだ。そうすると、浅野内匠頭の病的な部分での事件発生ということも推測される。
 歌舞伎・浄瑠璃の世界では、吉良は浅野をいじめまくった形になっているが、実際は、事件の数日前まで吉良は京都に滞在していて、いじめる時間はなかったという話もあるようだ。ただ、朝廷を迎えるための予算の多寡について、言い争いがあったのではとのことだ。

 日本人の心をくすぐるのは、「勧善懲悪」。いつの間にか、赤穂浪士は義民として持ち上げられ、吉良は悪役としてさげすまされたのであろう。

 江戸時代、赤穂浪士はあくまで犯罪者であったようだ。明治にはいって、明治天皇が名誉回復の証書を出している。泉岳寺の記念館にその記録がある。

 今、NHKで司馬遼太郎の「坂の上の雲」が放映されている。人間ドックの時、司馬遼の「歴史と視点」を読んだのだが、史実を突き詰めていくことがいかに大切であるか、赤穂浪士を通してわかったような気がする。

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