けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

準備

2010-07-10 08:18:59 | football
金曜日のスペイン代表
ファイナルを2日後に控えたスペイン代表、午前中はビデオセッション。ここまでのオランダ代表の戦いぶりをまとめたものを鑑賞して、相手の長所、短所、戦術などの分析、理解に時間が当てられたそうです。その後ジムでフィジオセラピーを受けたり、メディア対応を行ったり。
夕方のトレーニングは18時30分から、非公開で行われました。トレーニング終了後は、セルヒオ・ラモスやシャビ・アロンソ、アルビオルなどが、ジムでもう少し調整したんだそうです。
先発を予想させるような新しい情報はないわけですが、ドイツ戦と同じ11人だろう、というのが大方の見方のようです。ASは、ペドロかシルバ、どちらを先発させるかがデルボスケの一番の問題だろう、とのこと。もし膠着した状態になったら、と思うと、後からペドロが出てくる方が有効な気はしますけど、ドイツ線のペドロは良くがんばってたし……。

これが、1ヶ月滞在したキャンプ地、ポチェフストルームでの最後のトレーニング。ファイナルの試合後は、スペインへ直帰する予定になっているのです(勝っても負けても、月曜日には、マドリーでパレードの予定)。
TVE情報によると、土曜日は11時15分からポチェフストルームでお世話になったスタッフの人たちへの短い感謝のセレモニーをして、その後ヨハネスブルクへ。ホテルで昼食、シエスタの後、19時45分からサッカーシティで公式練習。試合前日のプレスカンファレンスには、ビセンテ・デル・ボスケと共に、イケル・カシージャスとチャビ・エルナンデスが登場する予定。


招待
RFEFは、今大会に招集されなかった選手、サンティ・カソルラ、ディエゴ・ロペス、マルコス・セナ、ダニ・グイサを、ファイナルに招待したとのこと。カソルラ、セナ、グイサは、EURO2008優勝選手であり、ディエゴ・ロペスは、コンフェデまでは第3GKだった。またRFEFは、ルベン・デラレも招待。デラレは既に現地入りし、選手の家族らと共に水曜日の準決勝を観戦している(デラレ+セルヒオ・ラモス兄、マタのお姉さん、らしい)。

セナへのQ&Aから、今回協会に招待されたことについて。
「本当に素晴らしい心遣いだよ。実際のところ、僕はファイナルに行く予定だった。これほどの重要な時に、僕の仲間たちと一緒にいたいと思ったから。2年前にオーストリアで僕たちが経験したのと同じような時を過ごしていればと願っているよ。それで、南アフリカへ行くプランがあったところに、協会が呼んでくれた。とても嬉しい。協会が、彼らと一緒にいることを望んでくれたんだ。名誉なことだし、本当に嬉しい。」


さらに、行く人行かない人
プリンシペ・アストゥリアス夫妻(=フェリペ王子とレティシアちゃん)は行くことにしました。
ファン・カルロス国王は、5月に手術をして以降まだ国外へ出たことはなく、今回はお留守番。サルスエラ王宮でテレビ観戦。
サパテロ首相は行きません。
パウ・ガソルは行きます。

99年の記憶

2010-07-10 00:47:29 | football


あれから11年
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チャビ、カシージャス、マルチェナ。U-21ワールドユースナイジェリア大会を戦った3人は、彼らをひとつにまとめ、人生に記録を刻みつけた功績を繰り返そうと求めている

チャビは、記憶の扉を開いて1999年の夏のことを想い出してもらおうとすると、笑い出した。U-21スペイン代表は、ナイジェリアで開催されたワールドユースで優勝した。「どうだったかなんて覚えてないよ。」今となっては、チャビはそう言う。カシージャスとマルチェナは、その頃のことを忘れていない。その理由がある。「ワニがプールに入ってたからだよね...」とカシージャス。「いろいろあった中で、忘れられない経験だよ。」とマルチェナは、ポチェフストルームでのトレーニングで言う。
11年が過ぎたが、彼らは、まだほとんど20歳にもなっていなかったようなその頃に一緒に過ごした1ヶ月のことを、心に刻み込んでいる。「今回のこととは関係ないよ。」そうは言っても、3人が異口同音に口をそろえる。「ひとつだけ、同じことがある。何か大きなことを成し遂げようというチーム全体の夢、それを実現するのは良いものだということか。あの時も、今もね。」

チャビはその頃、8番を付けていた。マルチェナは6番、カシージャスは13番だ。イニャキ・サエスはこの大会に18名しか召集せず、そのうちワールドカップ南アフリカ大会に出るという夢を楽しんでいるのは、この3人だけ。それでも、多くの選手がプリメーラにたどり着いた。カシージャスではなくGKの先発だったアランスビア、ジェステ、オルバイスはビルバオにいる。コイラとジョスエはアルバセテで、ベルムンドはテネリフェで、バレラはマジョルカで、バルケロはレアル・ソシエダ、ヌマンシアにはアガンソ、ルベン、アルバロ、7ゴールを上げて大会得点王になったペドロ。「あのワールドユースは、僕たちの多くに、自分たちそれぞれのクラブでのチャンスを与えてくれるものになった。ちょうどボスマンルールがあって、外国籍選手の数が減らされた。そういう意味で、僕たちはスペイン人選手たちの将来を取り戻したんだ。」とカシージャスが説明する。

チャビは笑う。「イケルは今と同じだよ。ただ責任感があって。マルチェナは...カルロスはオヤジだったね。彼は知恵者だから僕はいつもそう呼んでるんだよ。」 マルチェナは振り返り、評価を変更する。「僕は子供だったよ。11年が過ぎたけど、この時間は何かの助けになっているかな。」 確かなことは、アフリカが良い方に変化したことだ。「あの大会は懐かしく思いだすけど、大変な時間を過ごしたんだよ。」

スペインは、グループFでブラジルを破った。「ロナウジーニョがいて、マツザレムがいて、セルタでプレイしたジュニーニョ・バイアーノがいて、ローマのマンシーニがいて...僕たちはスペクタクルな動きを見せた。」 とチャビが言う。それからザンビアに0-0、ホンジュラスに3-1で勝利。決勝トーナメントではアメリカに3-2で勝利し、準々決勝ではガーナと1-1、最後はペナルティ8-7で勝ち抜けた。「あの試合では、僕たちはほとんど、プレイしない寸前までいった。」とチャビは思いだす。「僕たちはサエス監督とフィジコのロレンサーナに、もう帰ろうと頼んだ。でも彼らは、僕たちはもっと何か大きなことができると説得したんだ。」 彼らはそうできた。準決勝は、マリに3-1で勝利。「現バルサのケイタと現マドリーのディアラがいたな。」と、マルチェナ。そして決勝では、4-0で日本に勝利した。

饒舌になったいつものチャビが、強調する。「今回と同じ大陸だけど、でも1999年のナイジェリアは、この南アフリカとは比べようがない。僕たちがどう生活してたかなんて知らないでしょ。大会が始まった時は、ジャーナリストは2人しかいなかったんだよ。」 そして恐怖を経験していたことを認める。「電気がなかったし、僕たちはトレーニングウェアでベッドに入った。気温は40度で、でもそれで、僕たちは蚊に刺されないようにしたんだ。もちろん、マラリアのためにね。で、プールにはクロコダイルワニがいて!」......「そうだな、少なくとも、でかいトカゲってところかな。」とマルチェナ。「僕たちは、ババンギダの街にあるKadunaホテルの部屋に入った。信じられなかったよ。」とマルチェナは、現実にとてもショックを受けたことを認める。「人々は、ものすごく貧しいんだ。僕たちが、飲み終わって空になった水のボトルを床に放ると、3人くらいがそれに飛びつくんだ。売るためにね。カタルーニャ広場で僕たちがハトにあげるようなパンが、湿ったようなのがほんの一握り、ストリートで売られていた。それを人々が食べていた。」と、彼は思いだす。

「首都のラゴスへ移ると、環境は改善した。それでもとても大変だった。もちろん、僕たちはとても若かったからね。今は、あの頃のようなことを経験するとは思わないな。」そう付け加えたチャビは、カシージャスやマルチェナと同様に、家にはメダルを飾り、魂のある場所には彼らの人生がひとつになった世界大会での記憶を持ち続けている。
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TVEから、当時の映像+3人の成長