ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネのデビュー50周年記念誌24

2022年03月12日 | ルネの活動記録


 ルネの61歳の誕生日をお祝いした翌日の3月1日に、teacupのサービスが今年2022年8月1日(月)13:00で終了するというお知らせが"AutoPage byGMO"に投稿されました★ 

 この日を持ちまして、2006年6月10日に開設して16年間続けてきた、teacupブログ・サービスにおける「ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~」は、インターネット上からすべて消えることになりました。


 前回の記事の最後でもそれについてお知らせいたしましたとおり、現在書籍化とブログへの移転に向けて始動しています。移行期間は幸いにも、あと5か月弱有ります! ちなみに、teacupはブログ等の機能をGMOに残して今は無く、無料から有料に変更したおかげで今まで続けてこれたので、ある意味想定内のことでした。

 この記事でもすでに1040記事になりますので、全ての記事を移動するのは難しいです。画像はエクスポートできないため、再度入れ直す必要があります。以前から「ブログじまい」に向けて「ルネ友のみなさまへ」の記事を予約投稿していましたので、これを機に「ブログ記事の断捨離」をして、心機一転、ブログの折り返し地点と考えて前向きに移行作業に取り組もうと思っています。ルネ・ファンだからこそ、ルネを見習って「永遠のポジティブ」でいたいシマ姉です♪


 書籍化につきましては、途中まで行ってあったので、その続きからになります。私のライフワークの記録ですし、ルネについて調べた私の覚書ですから、移行先でもそれを見ながら出来るだけ元の記事に近づけられるようにしたいと思います。

 現在はルネの公式ページfacebookに有りますし、ジゼルさんたちのPassionSimardシャンタルさんのMuseeSimardがありますが、日本におけるルネの活動の記録を調べられる資料は、当ブログでネット上に残しておきたいと考えています。

 それ以上に、私は『日本にはまだまだたくさんのルネ・ファンがいて、今もなお、ルネの情報を発信しているブログサイトが活動を続けているという事実が、ファン活動をする上で重要だと思っています。 ルネにもメッセージでブログの移転の件をお伝えしたところ、既読が付きましたsymbol1

 4月にはルネのCondorのコンサートが開催され、6月10日は当ブログの開設と「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」の発売記念日、そして6月30日は当ブログで「ルネ記念日」としている第3回東京音楽祭世界大会が開催された記念すべき日でもありますsymbol1

 これから大変な作業になります(泣)。ルネのデビュー50周年記念誌の翻訳は終わっているので、それ以降は内容を短くしても継続していくつもりです。移転先が決まりましたら最新記事で報告いたします。継続は力なり』で頑張りますので、ルネ友のみなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

 ・・・と書き上げた後、3月8日(火)にGMOメディアサポートセンター teacup.担当の方から、問い合わせに対する返信をいただきました。そしたら何とっ! teacupブログサービスが、現在他社へのブログお引越しを検討中で、決まり次第お知らせ告知があるとの連絡symbol1 涙が出るほど嬉しかったです!! 告知があり次第報告いたします。


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 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の24回目です。

 前回はルネの人生において辛い内容でした。しかし、今回はナタリーと和解した時の内容になります。当ブログでもそのことについては記事にしていますので、過去ログでご覧ください。

※過去ログ「ルネとナタリーの共演」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/490.html

TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Le décès de leur père les a rapprochés
彼らの父の死は彼らを近づけた

La réconciliation officielle de
     Nathalie et René Simard

  ナタリーとルネ・シマールの公式和解

「p’tits Simard プティ・シマール」からの愛のメッセージ。

 ギィ・クルティエ事件以来、ルネとナタリーの間に不和があったことを私たちは知っています。 彼らはもうお互いに話しませんでした。しかし、彼らの父の死は彼らを近づけました。そして、国民は彼らの和解を目撃したのでした。

 彼の生涯を通じて、「L’oiseau鳥」の歌手は、彼がいつも兄弟の末の妹と一緒に歌うのが好きだったと繰り返しました。

 「一緒に仕事をするのはとても楽しかったので、その時間を懐かしく思います。ナタリーはとても緊張していました。」彼は2000年代の初めに表明しました。

 さらに、何ヶ月も話し合わずに、兄と妹はついに会いました。この和解に関連した彼らの幸せは素晴らしく、彼らはそれをすべての人に見せたいと思っていました。ナタリーは認めています。

 「パパが亡くなったとき、私たちは自分たちに、これからは今の瞬間だけが重要だと言いました。


▲2010年のジャン=ロック・シマールの葬儀の間に、一族は集まりました。


Ils tournent la page
  彼らはページをめくりました


 2011年9月25日、ドゥリュモンドゥビユでのイベントは象徴的な価値を持ち、非常に悲しい話に、決定的な終わりをもたらしました。ナタリーとルネ・シマールは、特別支援を必要とする子供たちの養子縁組を促進する組織である、エマニュエル協会の特典ショーの一環として同じステージを共有しました。彼らの兄レジスもショーの一員であり、彼の姪でナタリーの娘のエーヴもいます。ナタリーはステージングを担当していました。

 「このショーは、「p’tits Simardシマール家の子どもたち」からの希望と愛のメッセージであり、家族が不可欠であることを思い出させることを目的としていました。困っている子供たちに関係する原因のため、そんな久しぶりに再会したルネとのステージでの打ち合わせに、私は感動しました。

 彼らはそこで、とりわけ、観客を喜ばせるために、彼らの素晴らしい権威ある「Tourne la pageページをめくれ」を歌いました。Un titre pour le moins evocateur.


※ 最後の「Un titre pour le moins evocateur」は、直訳すると「最も喚起しない(呼び起こさない)タイトル」となるのですが、どう訳すべきか一晩悩んでしまいました。ふたりのデュエット曲で一番有名なオリジナル曲ですので、「誰もが知っているタイトル」と訳すのが一番ふさわしいと思っています。仏語にお詳しい方、是非アドバイスをください!

▲ナタリーと彼女の兄ルネの間で、すべてが常にバラ色であるとは限りませんでした。しかし、彼らがお互いに持っている愛は、すべての不和を克服しました。

Les occasions manquent
     機会が不足している


 その日以来、さまざまな場面で歌手が再会するのを見るのは珍しいことではありません。彼らはお互いを望むほど頻繁に会うことはなく、それぞれの忙しい生活は彼らの姿ですが、彼らが約束の場所で集まると、彼らの目は輝き、笑いが有ります。 家族、それはナタリーとルネにとって重要です。



 ルネの妹ナタリー・シマールと娘エーヴ、兄レジス・シマールが出演し、Best Western Universel Hotelで行われた”Gala Mode Fashion”は、2011年9月25日25日(日)にルネが特別ゲストとして出演しました。ケベックの2人のスターの和解と共演は、ケベックのメディアで大きく取り上げられ、ステージでの利益はエマニュエル協会(障害児の養子縁組を促進する団体)の活動に役立てられました。

▲2011年9月25日25日(日)Best Western Universel Hotelで行われた”Gala Mode Fashion”で

右:ナタリーのニュー・アルバム「Je veux vivre」のお披露目会で
♪YouTube”Je veux vivre”
https://youtu.be/c2Hbz6g4MHg?list=PLf6iXresDHXcJ0jqwFBrxpkE8vONzalSU

▲▼ナタリーの砂糖小屋「Cabane chez Nathalie」で

 

▲▼「Je veux vivre」の活動、デビュー40周年記念アルバムのリリースや美容雑誌、ラジオ番組等で活躍中のナタリー


 ナタリーはCabane chez Nathalieをやめた後しばらくして、夫Lévis Guayレヴィス・ガイと別居していましたが、現在は復縁して、雑誌のインタビューにラブラブで答えています。ルネのデビュー50周年を記念した特別番組に出演したり、様々な活動に意欲的に取り組んでおり、facebookInstagramでもその活動の様子や写真を投稿しています。「Le Village de Nathalie」のグループサイトも出来、当時の番組映像がたくさん見られるようになっています。

 今年の4月にルネの53枚目のアルバム「Condor」をメインにしたリサイタル公演が予定されて前売りチケットも販売されました。ナタリーはこのアルバムの制作には関わっていませんが、特別ゲストとして出演し、兄妹仲良く「Tourne la page」を歌うことを願っているシマ姉です。

 次回からは、ルネが歌手として復帰してから司会を務めた出演番組やルネの祖先の足跡をたどった番組を紹介たページになります。デビュー50周年記念誌の紹介記事の作成も追い込みです!!


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    cloverシマ姉のグリーン・ライフclover


 久しぶりの「グリーンライフ」ですclover

 3月に入りました。今日は4月の暖かさとの予報ですが、まだ寒い日が続きます。今から11年前の3月11日は今年と同じ金曜日、「東日本大震災」が発生した日で、とても寒い日でしたね。

 シマ姉家に「優曇華の花」が咲きましたsymbol1・・・といっても、昨年秋から有ったのだと思います。そして実は花ではなく、クサカゲロウの卵だそうです。

左:シマ姉家の濡れ縁の優曇華の花(クサカゲロウの卵) 
 右:クサカゲロウの成虫(出典:wikipedia)


 昨年、カポックから濡れ縁のグリーンカーテンの朝顔夕顔に飛び火したカイガラムシの卵のうを、ネットから取り除いていて見つけました。

 ちなみに「優曇華(うどんげ)」とは、仏教教典に出てくる伝説の花で、3,000年に一度しか咲かないと言われています。また、「優曇華(うどんげ)」が咲く時には、金輪王が現世に出現するとも言われています。
 この金輪王は、インド思想では理想の王様とされる転輪聖王(てんりんじょうおう)の一人で、最大で最高の王様です。その王様が3,000年に一度現れるのですから、とてもありがたい花とされています。韓国ではビルの解体現場に咲いたとニュースになっていたりします(YouTube映像有 笑)。

 地域によっては、クサカゲロウの卵を「」とするところもあるようです。昔は、クサカゲロウの卵が家についていると、その家は火事になるとか病人が出るとか(『秋茄子は嫁に食わすな』的なもの)言われていたんだとか。しかし、幼虫はカイガラムシやアブラムシを餌とするため、益虫としての役割も持っています。アメリカやニュージーランドなど、農作物の害虫駆除に使用している国もあるほどです。

 私ですか? もちろん、私のグリーンカーテンの天敵を食べてくれる虫ですから「」! 是非今年のグリーンカーテンのために貢献して欲しいです♪

※「シットピ」参照
https://perfectlifeproject.com/kusakagerou-egg-hatching 
※クサカゲロウ:フリー百科事典『Wikipedia』参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%82%B2%E3%83%AD%E3%82%A6


 ちなみにグリーンカーテンの害虫駆除の助っ人にはカマキリがいて、ネットには卵のうが産み付けられています。「カマキリの卵の位置で、その冬の積雪量が分かる」(※科学的根拠はないそうです)と言われていますが、昨年は地上30㎝だったのに、今年は1m60cm越え★(写真左) 庭のカイドウの木には1mの位置にあり(写真右)、今までそんなに高い位置に有ったことがなかったので、今年の雪を心配していました。関東地方は大したことはありませんでしたが、全国的には観測史上一番の積雪量を記録した地域もあり、カマキリの雪予想はあなどれません! 雪の多かった地域の方も、そうでなかった地域の方も、まだ雪の心配がなくなった訳ではありませんので気を付けてくださいね!! 


 そして、昨年夏越しに失敗したとあきらめていた一番大きな株の白いガーデンシクラメンの花が真っ盛りですsymbol1 今年も「グリーンライフ」頑張ります!!


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