ルネのデビュー50周年記念誌紹介の7回目です。
その前に、前回予告いたしました、ルネが出演し、去る10月11日(月)に放映されたクイズ番組「LE TRICHEUR ペテン師」の画像を紹介いたします♪
収録は9月25日頃のようですが、ルネのコスチュームが4度変わっているのは、4回に分けて収録されたということでしょうか?
この番組の画像と映像は、facebookのお友だちJohanne Gagnonジョアンヌ・ガニョンさんから提供していただきました (映像はご覧いただけないため、画像編集しています。)
Merci beaucoup, Johanne Gagnon❤
番組中のルネに関する問題を5つ取り上げましたのでお楽しみください
<En 1974, Rene Simard, alors age de seulement 13 ans, remportait un prestigieux prix international dans un festival de shansons. Dans quel pays ce festival se deroulait-il?>
「1974年、当時わずか13歳だったルネ・シマールは、音楽祭で権威ある国際賞を受賞しました。 このフェスティバルはどの国で開催されましたか?」
Répondez "Japon"
答えはもちろん「日本」ですね!!
Dans les chanson de Rene Simard de 1984<Comment ca va?>, quel est le mot qui complete:<Rester la nuit rester...>
1984年のルネ・シマールの曲<Comment ca va?>で、< Rester la nuit rester...>を完成させる言葉は何ですか。
答えはルネが書いているとおり「toujours」です。ちなみにおかっぱのカツラをかぶっている男性2人は、左が司会者で、右でルネの物真似をして歌っているのは、有名なものまねタレントのAndré-Phippe Gagnonアンドレ=フィリップ・ガニョン氏です。
En 1985, Rene Simard lance la chanson" Chante la la la " une reprise de <Live Is Life>du groupe Opus, De quel pays Opus est-il originaire : Autriche, Suede ou Royaume-Uni?
1985年、ルネ・シマールはグループOpusによる「Live Is Life」のカバー曲「Chante la la la」を発表しました。Opusの出身国はオーストリア、スウェーデン、イギリスのどれですか?
答えは「スウェーデン」です。
「Chante la la la」がスウェーデンのOpusというグループの1985年のヒット曲「Live Is Life」の仏語版であることを、この番組で初めて知りました。ルネのオリジナル曲だと思っていたのでびっくりしました。
En plus d'être chanteurs, Rene Simard est aussi animateur. En 1984 et 1985, il etait a la barre d'une emission de varietes a Tele-Metrophole. Quel etait le title de l'emission?
歌手であることに加えて、ルネ・シマールはホストでもあります。 1984年と1985年に、彼はTele-Metropholeでのバラエティ番組の指揮を執っていました。 ショーのタイトルは何でしたか?
答えはルネも書いているとおり「RSVP」です。
▲MaryPoppinsの問題 正解発表でメリー・ポピンズが登場 正解したルネは劇中歌を歌いました
▲ルネ百面相 ▼出演者たち(左)とルネのタブロー(右)
♪Passion René Nathalie et Régis Simardでfacebookにアップしてくださった映像はこちらからどうぞ ルネ友の皆さんもご覧いただければ幸いです♪
https://www.facebook.com/passionsimard/videos/557748685514857
https://www.facebook.com/passionsimard/videos/931466320912508
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さて今回は、ルネがデビューして間もない頃の2つのエピソード。日本では、ルネが幼くしてミリオネアになったことや、家族のために家を買ったことなどが当たり前のように紹介されていました。しかし、ケベックでは、そのことが原因で、父ジャン=ロック氏が非難の的になったことが書かれていました。また、日本では知られていない、ルネの髪型と耳の手術のことも書かれています。
▲『週刊セブンティーン昭和49年7月9日No.25』掲載
※過去ログ「ボクは一家の大黒柱!」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/600.html
※カテゴリ『ルネ・シマール物語』参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate6/archive
ルネの劇的なデビューや、一見華やかに見える芸能生活の裏で、幼かったルネが経験し、その後のジャーナリストへの対応に大きな影響を与えたエピソードは、日本では全く紹介されなかったものなので、翻訳しながら胸が痛くなりました。
私の拙い翻訳が、大きく間違っていないことを祈りつつ、いつものことながら、仏語に堪能な方からのアドバイスをお待ちしております!
TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE
Le jour où il a appris à se taire
彼が黙ることを学んだ日
彼は数か月間人気がありますが、子供はメディアでのインタビューを楽しんでいました。 しかし、そのうちの 1 つは他のものよりも印象的でした。それは、ジャーナリストへの対応方法を永遠に形作るものでした。
▲左上:名声を飼いならさなければならない少年...
私たちは彼のキャリアの始まりです。 ルネは若く、この世界で彼を知った最初の家族でした。 彼は道を切り開きます...そしてそれは必ずしも簡単ではありませんでした。
彼の不動産購入を誇りに思う
小さなルネは、ますます多くのお金を貯蓄しました。 だから彼は家族を貧困から救うことができたのです。 歌手はそれを誇りに思い、それには理由が有りました! 彼は一族がその出演料を利用できることで、家さえも購入しました。
「私がプロとして歌い始めたとき、私は家族のために、プラント船長の家を購入する幸運に恵まれました。船長は船の炉で暖まっていました! この元船長は、彼の家に暖房システムを設置した彼の船をとても愛しており、それは可動していました!」と歌手は説明しました。大人になっても、彼はまだこの重要な瞬間を覚えています。
「あなたが子供で、あなたが歌うとき、あなたは地球全体が、あなたを知っているような気がすることでしょう。 私たちは過去にちやほやされた(運に恵まれた)ことが無かったので、それは私にとってだけでなく、私の家族にとっても魔法でした。 私のキャリアが始まったことで、私は家族に家をプレゼントすることができました。 やっと私たちは自分の家を持ったのです。」
※デビュー25周年記念番組より22分35秒~『Un Enfant Comme Les Autres』家族で教会の帰り道、売りに出されている『船長の家』の前を通るシーン
最も決定的な経験
しかし、この記憶はまた、より暗いあることを思い出させました。インタビューで、記者はルネに、稼いだお金をどのように使うかを尋ねたのです。 誇りに満ち、天真爛漫な少年は、中でも、彼が素晴らしい不動産の購入に行ったことを話しました。 それ以来、マスコミは興奮しました。 私たちは父のジャン・ロックを便乗者(profiteur)と呼びました。 また、彼は家族に必要なものを提供できないのだから、良い父親としての資質を持っていないとまで主張されてしまいました。 ルネはこのインタビューに悩まされ、それが彼の家族に不和を引き起こしたのでした。
彼の父は傷付いた
ルネの父は、彼に降りかかる論争に打ちのめされました。精神的に傷ついた彼は、息子に、私生活にかかわる事柄については、話すべきではないということを説明しました。もちろん、子供の肩にこの重責を負わせることはできません。子どもは、悪い口(舌)が言ったこのことに対して、一切責任を負うことはありません。一方、後者の場合、それは人生の教訓です。この瞬間は、ルネにとって決定的なものでした。その日以来、ルネは自分の個人的な生活について、可能な限り慎重にしようとしてきました。インタビューでは、彼は最低限のことを言うだけで、彼の親戚については何も明らかにしていません。彼のファンたちは、本物の、そして誠実だけれど、人々を傷つけることを恐れ、できるだけ口をきかない男性に会うことができます。
L'histoire derrière sa coupe
de cheveux 彼の散髪の裏話
シマール家の子供たちを思い浮かべるとき、ルネ、レジス、そして妹のナタリーが、前髪をおかっぱ風に四角くカットした髪型を無視することはできません
ルネが人気のピークにあったとき、ケベックのすべての母親(またはほとんど!)は、彼女らの子供たちの髪を、小さな天才のようにカットしました。 しかし、若いルネのためにこの髪型を作り出したヘアスタイリストは、流行を仕掛ける意図はありませんでした。 むしろ彼は、子供(ルネ)の身体的なコンプレックスである耳をカモフラージュしたいと思っていました。
今日、それは成長した男を笑顔にします。
「あなたは四角くカットした前髪と、あごまである長い髪のヘアスタイルを知っていますか? それは私の耳を覆い隠すためだけのものだったんですよ! それら(耳)をかわいいとは思わなかったし、剥がれたので隠したかった(笑)」
だから、彼のコンプレックスは大流行したのではないでしょうか! 11歳の時、彼は耳を接ぎ直す手術を受けました。 一方、彼の始まりのあかしとなった彼のヘアカットは、長年にわたって同じままです。
ナタリー(レジスと同じように)もこの髪型をしています
ルネのコンプレックスが大きな耳で、それを隠したかったこと、耳の手術をしたこと、髪を短くして耳を出した時、やっと男に成れたと思ったことなどは知っていました。しかし、その手術はアメリカで活動している間に行ったと推測していましたが、手術をしたのは11歳の時で、おかっぱ風の髪型は、それを隠すためだったということに驚かされました。
▲左:デビュー前の『坊ちゃん刈り』のルネ
中央:妹ナタリーと父ジャン=ロック氏と母方の祖母
右:デビュー後のルネと兄レジス
ルネは自分の耳をかわいいと思っていなかったようですが、母方の祖母は、ルネに会うたびにルネの耳を触っていたと聞きました。デビュー前のルネの髪型は耳を出した、いわゆる『坊ちゃん刈り』で、これはこれで可愛いと思うのですが・・・。また、ルネの兄弟の髪はみんな、母ガブリエルがカットしていたと思っていました。ルネの長めのボブ・カットの髪型が、ヘアスタイリストによって形作られたものだったというのも驚きました。
来日時、バシャン姉妹がルネの髪をセットしている写真が中二時代の記事にありました(下画像左)。その上の白黒写真は小さいですが、デビュー前よりも小さい頃のルネで、結構耳が大きく写っています。変声前は長めのボブ(おかっぱ頭)、変声後はマッシュルームカット。その後は日本でいうと『聖子ちゃんカット』(笑)で、男っぽい髪形になったのは20代後半でしょうか? 第12回東京音楽祭世界大会の時も、『今夜だけ復活!』に出演した時も、結婚式でも、まだ長めでした。少年時代のルネのイメージを壊さないようにしながら、徐々に変えていった感じですね。
それから、ルネが家族に家を購入したことをマスコミに取り上げられたことで、父が非難され、さらにファンが家まで押し寄せる事態を巻き起こしたことは事実でした。また、家族の不和とは、父が家を出、両親が離縁する結果を招いたことなのでしょう。ジャーナリストにプライベートについて語らなくなったルネ。亡き父ジャン=ロック・シマール氏の著書『Au-Dela Du Silence 沈黙を超えて』や妹ナタリーの自伝『Briser le silence 沈黙を破って』には、ルネが語らなかったシマール家のことが書かれているのでしょう。それについては、後々に翻訳していきたいと思います。
<偽アカウントにご用心>
去る10月8日(金)、ルネが半年ぶりにfacebookの公式ページに投稿したのがこれ★
<ルネのコメント>
C'est un faux compte. Signalez svp. Merci et bonne fin de semaine. 😉
偽のアカウントです。 報告してください。 ありがとう、そして良い週末をお過ごしください。 😉
以前にも成りすましのアカウントが出現したことが有りました。でもすぐに成り済ましと分かって削除されました。ルネ友のみなさまも、偽のアカウントには十分気を付けてくださいね!
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