ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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シマール家の紹介記事1971年12月24日号①

2024年12月07日 | ルネの家族

朗報! ルネが50年ぶりの日本の情報をFacebookの公式ページに投稿しました(^^♪

 以前お伝えしていたとおり、ルネはインタビューで、『妻マリー=ジョゼと秋に日本旅行を計画中』と語り、ルネの来日当時に通訳を務められた道上雄峰氏から、『ルネの日本旅行は11月らしい』という情報を得ていました。しかし、それ以降情報が無く、ADISQ galaでのノミネートも有り、円安によるオーバーツーリズムを考慮して延期されたのかと推察していましたが、去る12月3日(火)と5日(木)に、ルネのFacebookの公式ページに日本旅行の画像とスライドショーが投稿されました! すぐにその投稿にコメントを投稿し、ルネにメッセージも送ったところ既読になりましたので、日本旅行についての投稿の準備をしていたのかもしれません。

▲12月3日(火)投稿の画像とコメント

▲12月5日(木)のスライドショーの画像より編集(※ルネの公式ページでご覧ください)

 今回の旅行で、道上さんは日本でのファンとの集いをお勧めしてくださったそうなのですが、ルネは気を遣って、「今回は自分たちだけの観光をしたい」との事だったそうです。道上さんとはコロナ前にファンの集いの計画で盛り上がっていたことも有り、道上さんから「ごめんなさい」とお詫びの言葉をいただいてしまい、こちらの方が恐縮してしまいました。

 道上さんはルネとマリー=ジョゼについて「短い時間でしたが、50年前に比べ友情愛情気遣い心遣いともに凄い成長でした。びっくりしました。素晴しい人です。奥様も素晴しい!」とルネの人となりと印象を高く評価し、「2人のお子様から多くを学んだと言って居ました。」と、メッセージでお二人にお会いした時のことを教えてくださいました ちなみに右上の写真で一緒に写っているのが道上さんです。

 そして、道上さんやルネ友さんたちと電話やメッセンジャーで散々やり取りをしたことも有り、6日(金)の明け方に、ルネとファンの集いをするリアルな夢を見ました(^^♪ 日本旅行のビデオ上映会があり、チャコールグレーのスーツ姿のルネの隣に座ってお話ししたり握手したりしていて、たとえ夢でも手の大きさと温かさまで感じて幸せいっぱいなシマ姉でした 

 ルネの日本旅行の様子は、さらに投稿されるかもしれませんので、楽しみに待ちましょう 「アダムス・ファミリー」のクリスマス公演の前後に、ルネへのインタビューで日本旅行についての話が出ることを願っています(^^♪

 

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 今日は大雪 それを物語るように、昨日までの暖かさから一変、平年の気温に戻り寒い日が続きます。

 そして12月12日(木)から1月5日(日)まで、ルネが監督を務めるミュージカル『La famille Addamsアダムス・ファミリー』のクリスマス公演が行われます(※カレンダー参照)

 

 上の画像では、アルベール・ルソー公会堂のクリスマス公演は、12月31日までとなっていますが、来年のトロワ・リヴィエールでの再演は9月18日から20日までと明記されています。トロワリヴィエールのチケット販売はまだのようですので、La famille Addams - Site officielで確認してください。 

 

 そして今回から、1971年12月24日号として発行された新聞記事のルネ・シマール特集を3回に分けて紹介いたします。

 

 

RENÉ SIMARD...

SON PÈRE SE VIDE le COEUR

彼の父親は胸の内を明かした

 

PARCE QU’ À 10 ANS IL VIT UN BÉRITABLE CONTE DE FÉE

10歳の彼は本物のおとぎ話を生きていたから

LE PÈRE DE RENÉ SIMARD

FAIT D’ÉTONNANTES

DÉCLARATIONS CONCERNANT

L’AVENIR DE SON FILS

ルネ・シマールの父親が息子の将来に関して驚くべき発言をする

LEUR NOEL RESSEMBLERA

À TOUS LES AUTRES

...SANS FALBALA

彼らのクリスマスは他のクリスマスと同じように見えるだろう

…華美な装い無しで

 

 むかしむかし、美しい黄金の声を持った10歳の小さな男の子がいました。この文章から、本当のおとぎ話を組み立てることができます。理由はわかりませんが、小さなルネ・シマールの物語はおとぎ話を思い出させます!

 先週の日曜日の午後、気がつくと私はケベック州リモワルー地区にあるシマール一家が住んでいる小さなアパートにいました。家の中には静寂がなく、大勢の子供たちの泣き声と笑い声が聞こえます。私はこれらすべての小さな金髪の頭の中から、3か月の間に州全体の新しいアイドルになった人を見つけるために集中しなければなりませんでした。

 彼のお母さんとお父さんが私を迎えてくれるリビングルームにはクリスマスツリーが飾られていて、プレゼントを受け取る準備ができていました。私たちの周りには、3人、4人、5人の子供たちがいます。とても長い間!私はこれほど小さな家、実際には大きなアパートでこれほど多くの生活と混乱を見たことがありませんでした。

L’amour remplance l’argent 愛はお金の代わりになる

 ジャン・ロック・シマール氏は40代の男性。彼はサグネ地方で生まれました。彼が私たちに話すと、それを感じることができます。彼は息子を誇らしく思っているようで、あまり興奮せずに客観的に私たちに語りかけます。

「息子に起こっているすべてのことを見てとても幸せです!それに、ここにいる家族全員が彼のために幸せです!しかし、神様、これは私たちの生活になんと大きな激変をもたらしたのでしょうか…」

あなたの存在、生き方、ルネの成功はすべてをどう変えましたか?

「ほぼ一夜にして、ルネは自分が有名人になったことに気づきました!彼はどこに行っても、王としてあらゆる敬意をもって扱われます。私たちはどこでもそれを要求します。しかし、一つ忘れてはいけないのは、彼はまだ子供であり、まだ10歳であるということです。

 私の家族の中で最も重要なものが 1 つあります。それは愛です。私たちは今まで生きてきて、それほどお金持ちではありませんでした。しかし、お金が不足している場合は、愛が代わりに使われました。それがさらに重要だと思います。親愛なる閣下、誰もがお互いを愛しています。必見です!

 ルネ、彼は私の他の子供たちと同じように扱われています!たとえ彼が数か月の間にスターになったとしても、あなたが言うように、彼は変わっていません。彼はいつも母親に、余裕があれば 5 セントを要求します。兄弟や姉妹と遊ぶときは、彼はただの普通の小さな男の子です。この物語全体の中で私が最も怖いのは、彼には他の人たちのような若さがないということです。

 幸いなことに、ルネは年齢の割にとても賢いです。彼はすぐに理解してくれる。これは、Guy Cloutier (そのマネージャー) に感銘を与えたものです。

 私は彼と話し合いました。私は彼に警告し始めました。 4、5年もすれば声も変わるでしょう。もしかしたらその頃には不幸な出来事が起こるかも知れません。子役スターはみんなそうです。ルネにはつかの間の栄光を経験して苦しんでほしくありません。

 彼は授業を続けますし、私は彼のキャリアが彼の学業の邪魔になるようなことはさせません。」

 

 ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供(日本公開時「ルネ・オン・メロディ」) 」では、シマール一家がオルレアン島に移住した時、最初に住んだ「白い家」と「船長の家」の外観しか出てきません。パパの喘息のために生活保護を受け、ケベック・シティのアパートの地下室に移り住み、ルネの兄姉が児童施設に預けられたり、ルネと母ガブリエルが伝染性肝炎で入院したりしたことは描かれていませんでしたが、アパートの地下室の外階段(?)からルネが出てくるシーンはありました。そして映画では、親しい人たちに見送られ、白い家から船長の家に引っ越したように構成されていました

 映画には、ルネが家族とサント=ペトロニーユ教会のミサからの帰り道に「白い家」を見つけたくだりがあります。白い家→船長の家→教会→ルネたちが通った学校は一本道で行くことが出来ます。ルネとレジスがケベック・シティのパブに行って、レジスのギターでルネが歌い、お小遣いを稼いだことは良く知られています。その時は既に、この記事の冒頭で書かれているケベック州リモワルー地区のアパートに住んでいたのでしょう。それについては、月刊明星1974年10月号に掲載された「ルネまんが履歴書 少年は愛の香りにつつまれて歌う(まんがと構成/水野英子)」の方が正確なのかもしれません。

 

 

 

 また、以前翻訳した記事で、白い家には4部屋しか無く、1部屋は両親とナタリー、1部屋は2姉妹、もう1部屋は兄弟の部屋だったと記憶しています。この新聞記事の取材はケベック州リモワルー地区のアパートでのものですので、7人兄弟が賑やかに泣いたり笑ったり、記者にまとわりついたりしている中での取材ですから、なかなか大変だったことでしょう。

 そしてこの新聞記事はタイトルのとおり、今は亡き父ジャン=ロック・シマール氏の、当時の心の内を知ることが出来る貴重な記事でした

 

 この記事が掲載された新聞は、ルネの記事を含め当時のままのものです。たまたま他の新聞と一緒にまとめて出品されていたものを購入することが出来ました。Musée Simardのシャンタルさんが所有していないため、翻訳と画像の保存が済んだので、貴重な資料としてシャンタルさんに管理を託し、カナダに還すことにしました。シャンタルさんが所有していない日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報(ヤフオクで入手)や「不治の病」の記事、当ブログでまだ画像を投稿していなかったトンボ学生服の特大ポスター等も、クリスマス・プレゼントとして寄贈しました(現在カナダの郵便局はストライキ中なので、クリスマスまでに届くかが心配★) この先もずっとルネの記録としてずっと後世に残して欲しいです!


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