最近気がつくことは、和風のレストランなどに行った折、多くのお客は座敷の席に上がらないことだ。ほとんどのお客は椅子席に座る。
つまり、膝を折って長時間じっとしていることが辛くなっているわけだ。まあ、当たり前のことで、人間楽をしたいからだ。
ただ、どうしてそうなってしまったのかを考えると、やはの生活が洋風になっているからだろう。つまり日常の生活の中で、座敷で座ったり立ったりという動きが少なくなり、結果として正座したり胡座をかくのが億劫になってしまっている。
自分のことを考えると、若い頃はなにも考えずに、当たり前のこととして座敷に座り込んでいた。冬ならコタツに潜り込んでいた。
いつからか、コタツはなくなりソファや椅子の生活になった。それによって、なにが起こったかは、太腿の筋肉の劣化なのだろう。専門家ではないから詳しいことは分からないが、若い頃はしっかりと筋肉があったろうが、加齢によって全身の筋肉は衰えていく。同時に生活が洋風になったことによって、さらに加速する。
というわけで、50過ぎくらいから、胡座をかくことが辛くなった。わずか15分程度でも脚が痛くなってしまう。
齢をとったと実感する瞬間ではあるが、胡座は座っていれば分かるが、太腿の筋肉が伸び緊張している。しかも一定の時間そうなっているのだから、たぶん筋肉は自然に鍛えられているのだろう。
洋風の生活では、脚の筋肉などに負荷がかかることはまずない。屈伸運動をしても、一定時間の負荷をかけるのではなく、単なる短時間の繰り返しに過ぎない。
そんなことを考えて、あえて胡座をかくことにした。すでに半年ぐらい過ぎたが、毎日30分程度テレビを見ながら胡座をかいている。当初はやはり脚が痛くなり、30分過ぎて立つのもやっとだった。現在でもスクッと立つのは辛いが、胡座をかくこと自体は平気になった。やはり筋肉が鍛えられたということだろう。
昔の戦争時に、日本人は和式の便器だから足腰が鍛えられている、洋式便器の欧米人に負けるわけがない、という冗談ともつかない論法があったが、ややそれに近い感覚だろう。
実際、この齢になると、和式便器はお呼びではない。これも脚の筋肉が衰えている証左であろう。和式便器で鍛えようとは思っていないが、せめて胡座をかいて、自然に筋肉を鍛えて、畳の上で座ったり立ったりが自然にできるようにしたい。
高齢者でもし脚が不自由でないなら、畳の生活を続けることが、きっと足腰のためにはいいのだろうと思う。人間、楽のほうに流されがちだが、そのツケはいつもついて回ることを忘れたくないものだ。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
つまり、膝を折って長時間じっとしていることが辛くなっているわけだ。まあ、当たり前のことで、人間楽をしたいからだ。
ただ、どうしてそうなってしまったのかを考えると、やはの生活が洋風になっているからだろう。つまり日常の生活の中で、座敷で座ったり立ったりという動きが少なくなり、結果として正座したり胡座をかくのが億劫になってしまっている。
自分のことを考えると、若い頃はなにも考えずに、当たり前のこととして座敷に座り込んでいた。冬ならコタツに潜り込んでいた。
いつからか、コタツはなくなりソファや椅子の生活になった。それによって、なにが起こったかは、太腿の筋肉の劣化なのだろう。専門家ではないから詳しいことは分からないが、若い頃はしっかりと筋肉があったろうが、加齢によって全身の筋肉は衰えていく。同時に生活が洋風になったことによって、さらに加速する。
というわけで、50過ぎくらいから、胡座をかくことが辛くなった。わずか15分程度でも脚が痛くなってしまう。
齢をとったと実感する瞬間ではあるが、胡座は座っていれば分かるが、太腿の筋肉が伸び緊張している。しかも一定の時間そうなっているのだから、たぶん筋肉は自然に鍛えられているのだろう。
洋風の生活では、脚の筋肉などに負荷がかかることはまずない。屈伸運動をしても、一定時間の負荷をかけるのではなく、単なる短時間の繰り返しに過ぎない。
そんなことを考えて、あえて胡座をかくことにした。すでに半年ぐらい過ぎたが、毎日30分程度テレビを見ながら胡座をかいている。当初はやはり脚が痛くなり、30分過ぎて立つのもやっとだった。現在でもスクッと立つのは辛いが、胡座をかくこと自体は平気になった。やはり筋肉が鍛えられたということだろう。
昔の戦争時に、日本人は和式の便器だから足腰が鍛えられている、洋式便器の欧米人に負けるわけがない、という冗談ともつかない論法があったが、ややそれに近い感覚だろう。
実際、この齢になると、和式便器はお呼びではない。これも脚の筋肉が衰えている証左であろう。和式便器で鍛えようとは思っていないが、せめて胡座をかいて、自然に筋肉を鍛えて、畳の上で座ったり立ったりが自然にできるようにしたい。
高齢者でもし脚が不自由でないなら、畳の生活を続けることが、きっと足腰のためにはいいのだろうと思う。人間、楽のほうに流されがちだが、そのツケはいつもついて回ることを忘れたくないものだ。
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