団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

3月11日を迎えて

2016-03-14 08:21:31 | Weblog
 3月11日が過ぎた。当時も含めて、いろいろに震災の復興状況をメデイアは取り上げていた。ニュース性からいえば、それでいいだろうが、あまりに過剰な発信で辟易としている人は多いだろう。
 私が読んでいる新聞では、使用前使用後のように、震災前と震災後の写真を並べて、震災前がいかに豊かでハッピー、震災後は悲惨でチープな状況を比較していた。わざわざそういう写真を採用して、その差を際出させているわけだが、震災前にみんなそんなに幸せだったわけではない。
 人間の生活だったのだから、悲しみも不幸もあったろう。それが当たり前であり、すべてが震災で変わってしまった、という観点は、読者におもねっているとしか思えない。
 たんたんと事実を伝える客観的な報道姿勢がほしいところだが、それよりも被災地以外の人たちに、被災地のために何ができたか、というスタンスが必要だ。我々はなにができたのだろうか、という反省ではないか。
 せめてと思い福島産の農産物を買うように心掛けたのだが、実際は近所のスーパーではあまり売っていなかった。せめて福島産のコーナーを常設してもいいのではないか。きっと協力した人は多い。
 私は酒飲みではあるが、震災直後にスナックで福島産の日本酒を頼んだ。ママが近所のスーパーに走った。その程度のささやかな支援はできたのだが、それ以降は糖質の多い日本酒は飲めなくなった。
 あとはやはり福島周辺の地域に旅行に行くことであろう。これはまだ実現していないが、いずれ一泊二日ぐらいで行ってみたいと思っている。いまの福島なら、中国人の団体はいないだろう。かえって静かで落ち着いた旅行ができそうだ。
 こんなことぐらいでしか一般の人は協力ができない。それでも、そうしたことを意識しながら気にしてきたのが、この5年間であった。
 日本にとって最近では最悪の大厄災だった。神戸震災は限定的だったし、津波がなかった。今度の大震災で分かったことは、地震ではそうは死なない、最大の原因は津波であり、津波対策こそがなにより優先されるだろうし、あれだけの破壊を復興させるのはやはり5年10年単位で考えなければならない、ということがよく分かった。
 むろんまた大震災がいつ来るか分からないながら、やはり確実に時間はかかってもやることをやる、という覚悟であろう。それに協力がするのが住民に必要な意識であろう。
 以上のことは福島原発とは別物である。福島原発は天災というより、人為的な災害であろう。これはやはり司法の場で裁く必要がある。これも何年かかってもいいから、しっかりと取り組んでほしい。それが今後の原発の取り組みに利するからだ。
 最近、高浜原発の停止命令が司法から下った。そもそも40年以上は使わない、といっていたのがすぐに反故になる、この業界は腹立たしいほど利権の巣窟だ。もう原発からテイクオフしよう。それには既得権や利権から離脱しなければならない。本気で新しいエネルギー政策が求められている。
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