暑い日中に散歩に出る気にならず
夕方涼しくなってから散歩をしている。
夕方散歩にでようとしたらお隣の大ちゃん
「『道祖神』て知ってる?」と聞いてきた。
「知っているけどこの辺にはないね。馬頭観音と
庚申塔はあるよ。見に行ってみる?」といったら
「行きたい」との事で二人で出かけた。
まずは「Mホームタウン」の入り口にある馬頭観音へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d1/e191301ef4f461cb09c47a67497bf206.jpg)
昔は田んぼへ下っていく入り口に馬頭観音が
ありました。赤丸印↓のところ
それが大手建設会社が田圃を大規模埋め立てして
住宅地を作り、道の傍にあった馬頭観音を道の
反対側に移動しました。馬頭観音にはいろいろ謂れが
あるようですが、私が小さい頃教わった事は
「馬の墓」と教わりました。農耕馬として大切に
していた馬が亡くなるとねんごろに葬ったと聞く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/37/19982c4848005ee9b66ba265e3955255.jpg)
明治、大正、昭和の年号が読み取れました。
次に向かった所は東金街道に面した庚申塔(庚申塚)
私の次兄の家の横にある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/20/53db05ee9227a348c79750c603dc8f68.jpg)
ここも道路が拡張される時に撤去されそうに
なっていた庚申塔を兄がここに移動した。
以前は目の前(赤丸印)にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/4c/513ea4804746a9b57fc204d217e14d4b.jpg)
この庚申塚はかなり古いものです。小さい頃
この庚申塚の周りで遊んだものです。子供達は
「どうろくじん様」と呼んでいた。
どうろくじん様の昔話。大人たちは
「どうろくじん様の周りで遊ぶでない」といつも言っていた。
塔が倒れたら危ない、実際に倒れて下敷きになって怪我を
した子がいた。が、子供達はお構いなしにここでみんな遊んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b7/64dd9751ef032aa2860a59becdcdcdd8.jpg)
元禄14年(1701年)はこんな事がありました。
14年2月、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩が
松の廊下で吉良義央(上野介)に切りつける(ネットより)
道端の古いものに目をつけるのも面白いです。
夕方涼しくなってから散歩をしている。
夕方散歩にでようとしたらお隣の大ちゃん
「『道祖神』て知ってる?」と聞いてきた。
「知っているけどこの辺にはないね。馬頭観音と
庚申塔はあるよ。見に行ってみる?」といったら
「行きたい」との事で二人で出かけた。
まずは「Mホームタウン」の入り口にある馬頭観音へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d1/e191301ef4f461cb09c47a67497bf206.jpg)
昔は田んぼへ下っていく入り口に馬頭観音が
ありました。赤丸印↓のところ
それが大手建設会社が田圃を大規模埋め立てして
住宅地を作り、道の傍にあった馬頭観音を道の
反対側に移動しました。馬頭観音にはいろいろ謂れが
あるようですが、私が小さい頃教わった事は
「馬の墓」と教わりました。農耕馬として大切に
していた馬が亡くなるとねんごろに葬ったと聞く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/37/19982c4848005ee9b66ba265e3955255.jpg)
明治、大正、昭和の年号が読み取れました。
次に向かった所は東金街道に面した庚申塔(庚申塚)
私の次兄の家の横にある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/20/53db05ee9227a348c79750c603dc8f68.jpg)
ここも道路が拡張される時に撤去されそうに
なっていた庚申塔を兄がここに移動した。
以前は目の前(赤丸印)にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/4c/513ea4804746a9b57fc204d217e14d4b.jpg)
この庚申塚はかなり古いものです。小さい頃
この庚申塚の周りで遊んだものです。子供達は
「どうろくじん様」と呼んでいた。
どうろくじん様の昔話。大人たちは
「どうろくじん様の周りで遊ぶでない」といつも言っていた。
塔が倒れたら危ない、実際に倒れて下敷きになって怪我を
した子がいた。が、子供達はお構いなしにここでみんな遊んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/68/e9346504193053d196b453eb00631be8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b7/64dd9751ef032aa2860a59becdcdcdd8.jpg)
元禄14年(1701年)はこんな事がありました。
14年2月、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩が
松の廊下で吉良義央(上野介)に切りつける(ネットより)
道端の古いものに目をつけるのも面白いです。