大晦日は父の命日です。
父は40数年前の今日63歳で亡くなりました。
大酒飲みの父が病気(胃癌)と判った時は病状が
かなり進行していてC大学病院で手術したものの
すでに「手遅れ」と医者に言われ、余命3ヶ月と
宣告。早々と退院させられてしまいました。
あの頃(40数年前)の大学病院は生存見込みの
無い患者は今のように終末期医療までしてくれず、
父は9月半ばに退院させられ、その後は亡くなるまで
家で闘病生活を送りました。

父の具合が悪くなっていても、私はその年の10月に
結婚が決まっていたので結婚式を挙げました。
闘病中の父は残念ながら結婚式に出席できませんでした。
癌患者を家で看病するのはとても大変なことで母は
大変苦労しました。幸い父の友人に医者のHさんが
いたので癌の進行が進んで痛みが出たきたときに
そのH医師が朝晩痛み止め(モルヒネ)を打ちに
来てくれたので助かりました。
12月に入って病状は「何時死んでもおかしくない」と
H医師に言われましたが父はなかなか死にません。
「Iさん(父)は心臓が丈夫なんだな~。なかなか
死ねないな」とH医師。
12月も末に近づいても正月を迎える気分にもなれずでした。
そして大晦日の朝、皆に看取られてようやく父は
亡くなりました。家族みんなが
「ようやく楽になったね」と思いました。
一年の最後の日(大晦日)に亡くなるなんて
父としては
「何時までも忘れるなよ」ということだったのでしょうか。
父ちゃんの父親が葬儀にわざわざ大阪から駆けつけて
くれたのにお義父さんの接待をした覚えが全くない。
父ちゃんに
「あの時どうした?」と聞いたら
「大晦日の商店街は店が殆ど閉まっていて
商店街の奥にあった肉屋が開いていたので
そこでハムを買って食べた」との事。
私は葬儀が終わるまでの事が殆んど記憶に無い。
大晦日が来ると忘れる事が出来ない「父の命日です」
父は40数年前の今日63歳で亡くなりました。
大酒飲みの父が病気(胃癌)と判った時は病状が
かなり進行していてC大学病院で手術したものの
すでに「手遅れ」と医者に言われ、余命3ヶ月と
宣告。早々と退院させられてしまいました。
あの頃(40数年前)の大学病院は生存見込みの
無い患者は今のように終末期医療までしてくれず、
父は9月半ばに退院させられ、その後は亡くなるまで
家で闘病生活を送りました。

父の具合が悪くなっていても、私はその年の10月に
結婚が決まっていたので結婚式を挙げました。
闘病中の父は残念ながら結婚式に出席できませんでした。
癌患者を家で看病するのはとても大変なことで母は
大変苦労しました。幸い父の友人に医者のHさんが
いたので癌の進行が進んで痛みが出たきたときに
そのH医師が朝晩痛み止め(モルヒネ)を打ちに
来てくれたので助かりました。
12月に入って病状は「何時死んでもおかしくない」と
H医師に言われましたが父はなかなか死にません。
「Iさん(父)は心臓が丈夫なんだな~。なかなか
死ねないな」とH医師。
12月も末に近づいても正月を迎える気分にもなれずでした。
そして大晦日の朝、皆に看取られてようやく父は
亡くなりました。家族みんなが
「ようやく楽になったね」と思いました。
一年の最後の日(大晦日)に亡くなるなんて
父としては
「何時までも忘れるなよ」ということだったのでしょうか。
父ちゃんの父親が葬儀にわざわざ大阪から駆けつけて
くれたのにお義父さんの接待をした覚えが全くない。
父ちゃんに
「あの時どうした?」と聞いたら
「大晦日の商店街は店が殆ど閉まっていて
商店街の奥にあった肉屋が開いていたので
そこでハムを買って食べた」との事。
私は葬儀が終わるまでの事が殆んど記憶に無い。
大晦日が来ると忘れる事が出来ない「父の命日です」