「大丈夫?」
そういって、白いハンカチを差し出してくれた美幸さん。
(女神だ……)
しばらくポカンと見惚れてしまった。
ふんわりとしたその笑顔は、おれが思い描いていた『女神』の姿そのものだった。
***
せっかく写真部に入部したのに、バスケ部の練習が入ったため行けていない。
ゴールデンウィーク中も試合と練習があり、親から「ちゃんと勉強してるのか」と言われてしまったため、一日だけあった休みも家でずっと勉強するはめになり、結局、親友である渋谷とも全然遊べなかった。
ゴールデンウィークが空けて二日目の水曜日。
委員会の仕事でバスケ部の練習に行くのが遅れてしまったのだが、体育館に着くなり、
「桜井、外周10周!走ってこい!」
部長の田辺先輩に言われて、あわてて外に戻った。みんなはもう走り終えて戻ってきたらしい。
早く走って戻らないと……と、気が焦っていたせいだろうか。8周目の途中で派手にすっころんでしまった。
「痛……っ」
左の肘、血が出てる……
ああ、しまったなあ……ジャージの上着にハンカチとチリガミ入れてあったけれど、体育館に置いてきてしまった……
とりあえず、このまま保健室に行くか……そんなことを思いながらしゃがみこんでいたら、
「大丈夫?」
凛とした、女性の声。
「え……」
見上げると……ハンカチが差し出されていた。
(女神だ……)
ポカン、としてしまう。
その優しい笑顔はまるで女神のようで……
えーと、この人は、女子バスケ部の……
「あの……先輩」
「え」
彼女は、あはは、と笑って、
「先輩っていうのやめて。こそばゆい」
「………」
女子バスケ部の子達は名前にさん付けで呼び合っている。名前で呼び合っているので名字が分からない。確かこの人は……
「えーと……美幸さん」
「そうそう当たり。っていうか、ほら、血、垂れてるよ」
「え」
白いハンカチを躊躇なくおれの傷口に当てくれた美幸さん。
「ハンカチ汚れちゃいますよっ」
やめさせようとしたけれど、美幸さんは「いーからいーから」と笑って、
「保健室いこ、保健室」
「え、いえ、一人で大丈夫です」
「いーじゃん。外周サボりたいから一緒に行くよー。はい、立って?大丈夫?」
「!」
顔を至近距離でのぞかれ、カアッとなる。女の人の……ふんわりした髪の匂い……。
「えーと、君は……しのさくらの……」
「あ、桜井、です」
しのさくら、というのは、篠原と桜井の略。同じ日に同じくバスケ未経験で入部した篠原とは何かとペアを組まされることが多くて、いつの間にバスケ部内では二人合わせて『しのさくら』と呼ばれるようになっていた。
「しの、じゃなくて、さくらのほうね」
「はい」
歩きながらも、ふわっと良い匂いが漂ってくる。
フワフワ、フワフワ……
なんだか体が軽くなったような感じだ。
**
お借りしたハンカチに血が付いてしまったので、どうしようかと思ったのだけれども、帰宅後、母に見せたらすぐに染み抜きをして洗ってくれ、アイロンまでかけてくれた。いつもは、嫌悪の対象でしかないはずの母だけれども、今回ばかりは本当に本当に本当に感謝の言葉しか出てこなかった。
翌日、部活にいってすぐに、美幸先輩にその綺麗になったハンカチを返した。
雨なので部活中止になるのかと思いきや、バトン部が体育館を譲ってくれたそうで、助かった。また写真部に参加できないのは申し訳ないけれど。
ハンカチと一緒に、お礼の品(男子バスケ部御用達の駄菓子屋のチョコレート)を渡すと、
「私、その駄菓子屋、一回しか行ったことないんだよー。連れて行ってくれる?」
そうニコニコ言われ、思わず二つ返事で練習の帰りに一緒にいく約束をしてしまった。
(先週の木曜日は渋谷と約束して一緒に帰ったけど、今日は約束していないから大丈夫だよな……)
どのみち雨だから、自転車で家の前まで送ってあげることもできないし、まあいいか、と結論付け、雨の中、美幸さんと一緒に駄菓子屋へ行った。
いつもよりも少しゆっくり歩くことも、男は目に止めないような、小さなメモ帳とかキラキラしたシールとかを彼女が手に取っている姿も新鮮……。
心の中で、渋谷の下駄箱に靴が残っていたことが気にかかったけれど、まあ、約束してないから、渋谷がおれのことを待っているってことはないだろう、と自分を納得させる。
案の定、翌日、渋谷は何も言ってこなかった。安心したような、おれがどうしたかなんて渋谷には興味がないことなんだな、と思ってガッカリしたような……。
やっぱり渋谷にとって、おれの存在なんて些細なものでしかないのかな……。
***
週末、大きな試合があった。
その打ち上げの席でも、少しだけ美幸さんと話せて、ちょっと浮き浮きしてしまっていたら……
「さーくらーいくーん!」
「え」
いきなりガシッと後ろから頭を抱えこまれた。篠原だ。
「な、なに!?」
「なに、じゃないでしょー」
そのままズルズルと壁際に連れていかれ、しゃがまさせられる。
篠原はニヤニヤとおれの顔をのぞきこむと、
「桜井、美幸さんのこと狙ってるでしょ?」
「え」
狙……狙ってるって!!
途端に、自分でも赤くなったのが分かった。
篠原が笑いながらおれをつついてくる。
「わっかりやすーい」
「え、そんな……っ」
「こないだ一緒に駄菓子屋も行ったよね?」
「え…っ」
どうしてそれを!!
「一年の奴が見たって。それに今日もなんだかんだ話してたしね~」
「それは……その」
うひひひひ、と篠原は変な声で笑うと、
「いいじゃん。美幸さん。彼氏いないらしいし」
「え、そうなの?」
「らしいよ。ってやっぱ喜んでんじゃんっ」
「いや、そんな……っ」
言いながら、チラッと美幸さんの姿を見る。……やっぱり女神だ。狙ってるなんてそんな恐れおおいというか………
「相談のるよー」
「相談って……」
篠原はしつこくまたつついてきたが、「あ、そうか」と言って手を止めた。
「桜井って、あの渋谷慶と仲良いんだっけ?」
「え? あ、うん」
どうしてここで渋谷の名前が? って、それに『あの』渋谷ってどういう意味?
「渋谷に相談してるんだ? だって、渋谷ってあれなんでしょ? 中学の時、女落としまくってたんでしょ?」
「………………………………え!?」
落としまくって!?
「まあ、あの顔だもんねーああ羨ましい」
「え、え、ええ!?」
し、渋谷が女落としまくって………?
でも、考えてみたら、渋谷は男女問わず誰とでもすぐ仲良くなって………
おれがアワアワしていたら、篠原がキョトンとなった。
「え、そういう話、全然しないの?」
「う………うん」
「えーーーー」
篠原は呆れたように肩をすくめた。
「それ、ほんとに仲良しなのー?」
「え」
グサッ
「女の話もできないなんてーホントは心開いてないんじゃないのー?」
「う………」
そ、それを言われると…………
たぶんおれが全然女っ気がないから、渋谷もそういう話、したくてもできなかったのでは………
と、そこへ。
「しのさくらー? 二人してなーにこんな隅っこに固まってるのー?」
「!」
み、美幸さん………
いきなり声をかけられ焦ってしまう。
篠原がヘラヘラと美幸さんに言う。
「しのさくら、さくらの方が美幸さんと話したいらしいので、しのは退散しまーす」
「篠原………っ」
止めるのも聞かず、篠原はスキップしながら行ってしまった……。残されたおれはどうしたら………っ。
「話?」
「え、いや……っ」
美幸さんに聞かれ固まってしまう。そんな話なんて何も……っ
「何の話してたの?」
「あ…………えーと…………」
何の話って…………
ぐるぐると頭をめぐらせ、最後にした話を思い出す。
「あ、あの、僕の友達の話、です」
「友達…………って、もしかして、渋谷君のこと?」
「え?」
な、なんで美幸さんまで渋谷のこと知ってるんだ!?
「あれよね。『緑中の切り込み隊長』」
「あ、はい」
緑中の切り込み隊長っていうのは、渋谷の中学校時代のバスケ部でのあだ名。渋谷という人は、この近辺の中学校のバスケ部の間ではかなりの有名人だったらしい。
「すごい人気だったのよねーファンクラブみたいなのもあったらしいよー」
「へえ………」
そうしたら『女落としまくってた』っていうのも、あながち噂だけではないのか………
「特定の彼女とかいなかったらしいから、余計にモテてたのかもね」
「あ………そうなんですか」
「やっぱりモテると逆に特定の子作るのも難しいのかな」
「…………」
美幸さん………視線の先には、キャプテンの田辺英雄先輩?
ああ、田辺先輩もモテるもんな。今も女子バスケ部の人達に囲まれている。この人もやっぱり渋谷ほどではないけれど、オーラがある。
「!」
ふっと美幸さんに視線を戻して……ドキッとした。その横顔………本当に女神のようだ。光がさしてみえる。
「…………あ」
ちょっと離れたところで、篠原がニヤニヤと手を振っている。
『美幸さんのこと狙ってるでしょ?』
狙ってる……って、それは………好きってこと?
再度美幸さんに視線を戻す。美幸さんの女神のような微笑み………ずっと見ていたいと思うような、優しい笑み………
(好き…………?)
気になってそちらを見てしまう。話すとドキドキする。
そうか……これが、好き? これが、恋?
(渋谷………)
明日、渋谷に話してみよう。
こういう話をしたら、おれ達、もっと仲良くなれるのかな? 本当の親友になれるのかな………。
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お読みくださりありがとうございました!
篠原君は、恋愛第一主義。女バスに可愛い女の子が多い、という理由で高校からバスケ部に入ったような子です。
篠原君にたきつけられ、美幸さんのことを好き?と思いはじめた浩介君……。
続きは、火曜日メンテらしいので、火曜をさけるため、明日更新します。どうぞよろしくお願いいたします。
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