橘真理子ちゃんは、おれの姉に少し似ている。
初めて見た時に、ぎょっとしたくらいだ。
そんなことが言い訳にならないことは、重々承知している。でも……言い訳させてほしい。
あの時おれは、浩介が美幸さんと相合傘して帰る姿を見て、正気を保てなくなって、恥ずかし気もなく泣いていて……。そこへ不意打ちで真理子ちゃんが現れて……一瞬姉と錯覚して、それで……それで……
『泣いて、いいですよ?』
椿姉みたいにふんわり抱きしめてくれた真理子ちゃんの柔らかい胸の感触……
(わーーーーーなんで拒否しなかったんだおれーーーー!!!)
思いだすだけで、穴掘って中に隠れたい気持ちでいっぱいになって叫びだしたくなる。どうしてあのまま彼女の腕の中で泣き続けてしまったんだ……。だいたい、椿姉にこんな風に慰められたのだって小学5年生の時が最後なのに……
(こ、こんなことが浩介に知られたら……)
……いやいや。別に知られても、あいつは何とも思わないだろう。何しろあいつは今、美幸さんに夢中だからな。おれが誰と何しようと……
(…………)
凹むわ。余計凹むわ。ああ、もう考えたくない……
記憶からあの時の感触を追いだして、なんとか過ごした月曜、火曜、水曜……
そして今日は木曜日。
自習中にトランプやって遊んでいたら、上野先生にゲンコツおみまいされたりして、気が紛れていたけれど……
木曜日は写真部の活動日。どうやっても真理子ちゃんに会ってしまう……
サボりたい。サボろう。そうしよう……
心を決めて昇降口に向かっていた最中、
「私、今日先輩にご相談があるんですけど」
当の本人に見つかってしまい、そんな恐ろしいことを言われた。
部室に行く道すがら内容を聞いてみたところ、通常だったら絶対に断る依頼だったのだけれども、
「かわりに金曜日のことは誰にも言わないってお約束しますから」
にっこり、と真理子ちゃんに言われ、肯くしかなくなってしまった。
脅迫だ……。真理子ちゃん、可愛い顔して恐ろしい……
**
「でね。コンテストに出すんだったら、渋谷先輩モデル引き受けてくれるって!」
「…………」
真理子ちゃんが喜々として、兄である橘先輩に言っている。
真理子ちゃんはお兄さんにどうしてもコンテストに参加してほしいらしく、その餌としておれがモデルをするという話を持ってきたのだ。
「ヌードでもいいって」
「ヌ?!」
そんなことは言ってないっと言いかけたのを、真理子ちゃんのニッコリした笑顔に遮られる。真理子ちゃん、目が笑ってない……『ばらしますよ?』と脅迫している目だ……。
橘先輩は、神経質そうに眼鏡をあげ、こちらを見ると、冷静な声でつぶやいた。
「確かにヌードは魅力的だが……」
み、魅力的?!
「コンテストには出さない」
「お兄ちゃん!」
真理子ちゃんが悲鳴じみた声をあげた。それにも介さず、橘先輩はおれを向くと、
「今日は文化祭のコンセプトを決めようと思っている」
「文化祭って……11月の頭ですよ? ずいぶん早い……」
「早くない。遅いくらいだ」
そんなもんなのか……。と感心してる場合じゃない。
橘先輩がコンテストに参加してくれるようになることが、真理子ちゃんへの口止め料だ。どうにか説得しなくてはっ。
「あの……先輩はどうしてコンテストに出したくないんですか?」
「……………」
橘先輩はピクリと眉を上げると、
「出しても無駄だからだ」
「無駄?」
どういう意味?と聞く前に、真理子ちゃんが叫んだ。
「無駄じゃない! お兄ちゃん、真理子との約束守ってよ!」
真理子ちゃん、また涙目になっている。でも、橘先輩は冷たい視線を妹に返した。
「だからそれはもう守れないと言っただろう。お前、いい加減しつこいぞ」
「……………っ」
真理子ちゃん、また出ていってしまうのかと思いきや、ムッとした顔をしたまま、棚からファイルを取り出してきた。
「昨年までの文化祭の様子です。どうぞ皆さんご参考までに」
「あ、ありがとう……」
いったいなんなんだ。この兄妹は………。
戸惑いながらも、浩介と南と三人でファイルをめくっていたら、真理子ちゃんが座っているおれの隣にそっとやってきた。
「私、コンテストのこと、諦めませんから。お兄ちゃんの説得、協力してくださいね」
「……………」
耳元でこそこそと言われ、若干……いや、かなり、うんざりしてしまう。兄妹喧嘩に巻き込まないでほしい………
でも弱味を握られているから逆らえない……。しょうがないので頷くと、真理子ちゃんは眉間にシワを寄せたまま、部屋から出ていってしまった。
いったい二人の間に何があったというのだろう………。
**
その日の帰り、うちの近くの公園に寄って、いつものようにバスケの練習をした。
でも、浩介の奴、どうも心ここにあらずで、ボールの取りこぼしが酷すぎて……
「集中できないならもうやめるぞ?」
「あ、ごめん……」
「…………」
謝りながらも、心ここにあらず、だ。
こいつ、頭の中、美幸さんでいっぱいでバスケもできないのか。
イライラする。これ以上一緒にいたら、おれ、何を言い出すか分からない。
「もう止めようぜ。じゃあな」
ボールを持って出口に行きかけたところ、
「あ、慶。待って」
「!」
後ろから腕を掴まれ、ドキッとする。でも、こんな時でもトキメイテしまった自分に腹が立って、思いきり振り払った。
「なんだよ」
「あ……あの……」
振り払われて行き場のなくなった手を、静かに下ろし、浩介が小さく言う。
「聞きたいことがあるんだけど……」
「…………なんだ」
どうせ美幸さんのことなんだろ?
お前、昨日も一緒に帰っただろ? いつも水曜日は体育館練習で片付け楽だから早くあがれたって言って、うちに寄ってくれること多いのに、昨日は来なかったもんな? 待ってたけど……来なかったもんな。
そんな恨みつらみを何とか喉の奥に押し込めて、浩介を見上げる。
「だから、なんだよ?」
「あの………」
早く言え。……って、まさか、告白しようと思ってる、とかいう相談じゃないだろうな。
いや、ありうる……もし、そうだったら、おれ……耐えられるか?
いや……ちょっと無理かも……いや、絶対無理!
「浩……っ」
遮ろうとした瞬間、浩介が叫ぶみたいに、言った。
「真理子ちゃんと何かあったの!?」
「おま………、え?」
言いかけて、言葉を止める。……真理子ちゃん?
ぽかんとしたおれに浩介が畳みかけるように言う。
「慶、今日、真理子ちゃんに会ってから、ずっと変だったし、部活中も何かコソコソ喋ってたし」
「あ………」
「金曜日の写真部の用事っていうのも、真理子ちゃんに会うことだったの?」
「…………」
浩介の真剣な目……
「浩………」
言葉が出てこない。浩介、お前、それが気になって……?
「ごめん。気になっちゃって、全然集中できなくて」
「…………は」
うそだろ……ホントに?
マジかよ……おれのことで? おれのことで……
そう思ったら……
「は、は……っ」
「ちょっと、慶?」
笑いだしてしまったおれに、浩介がプウッとふくれた。
でも……ごめん。笑ってしまう。……嬉しくて。
「ごめん、ごめん……」
「ごめんじゃなくて、教えてよ。何があったの?」
「何があったって……」
……と、真理子ちゃんの柔らかい胸の感触を思いだして、血の気が引く。
そんなこと、言えるわけないじゃないか!!
「べ、別に何もねえよ」
「うそ!」
「!」
むにっと両頬を掴まれ、血が逆流する。何を……っ
「うそついてる。慶」
「……………」
………勘弁してくれ。
「ただ、橘先輩の説得に協力してくれって頼まれただけだよ」
「……………」
じとっと浩介はこちらを見ていたけれど……いきなりとんでもないことを言い出した。
「もしかして……真理子ちゃんに告白されたとか?」
「は?」
「慶、真理子ちゃんのこと好きなの?」
「はああ?」
何をどうしたらそんな話になる?
「あのね……南ちゃんに聞かれたの」
浩介はようやくおれの頬から手を離すと、下を向いたままつぶやくようにいった。
「慶に彼女ができたらどう思うかって」
「…………」
南、何を……
「おれね、渋谷の恋は応援しないとって思ったの」
「……………」
応援……。だよな。そりゃそうだよな……
「でも」
浩介は言いにくそうにまたうつむいた。
「でも、おれと遊ぶ時間が減ったら嫌だなって思っちゃった。我儘だよねおれ」
「……………」
浩介……
「でも、おれ、我慢するから。頑張って我慢するから言ってね?」
「………何を?」
「真理子ちゃんと……その、付き合ってる、とかそういうことだったら……」
「…………」
浩介……浩介。愛おしい……
浩介の頬を、今度はおれがむにっと掴む。
「付き合ってねえよ。つか、おれ、誰とも付き合うつもりねえし」
「え………なんで」
お前のことが好きだから。
……なんて言えるわけがない。
「興味ない。面倒くさい」
「面倒くさいって」
「今は女と付き合うより、友達と遊んでるほうが楽しい」
下に置いていたボールを取って、浩介の胸におしつける。
「お前と遊ぶのが一番楽しい」
「慶……」
浩介はボールを受けとると、にへらっと笑った。……かわいい。
「じゃ、もうちょっと遊んでいい?」
「おう」
再びゴール下に戻る。
「久しぶりに賭けするか」
「うん! じゃあ、負けた方は勝った方のいうことをきく、ね?」
「10本勝負な」
「先攻後攻ジャンケン……ポン!」
おれの勝ち。先攻。すぐにゴールを決めてやると、浩介がギャーギャー騒ぎ立てた。
「もー本気ださないでよー!!」
「現役部員が何言ってんだよ。ほら、次お前」
「もー……」
むーっとふくれっ面の浩介もかわいい。
こうやって……こうやって、ずっとずっと一緒にいられたら……
それ以上はのぞまないから。だから……
***
翌日の放課後、写真部の部室に行った。
橘先輩が、翌日も作業をすると言っていたからだ。
何がなんでも、橘先輩を説得しなくてはならない。
真理子ちゃんの口止めを絶対的なものにするためなら、もうこの際、ヌードモデルでも何でもやってやる。とにかく、真理子ちゃんとのことを浩介に絶対に知られたくない!
「失礼しまーす……」
小さく言って入ったが、誰もいない。電気はついているし、橘先輩のカバンもあるからいるはずなんだけど……。
「……暗室か?」
でも、ずいぶん静かだ。もしかしたら寝てるのかもしれない。橘先輩は暗室で寝ていることもある、と聞いたことがある。
起こすと申し訳ないかな……でも……、と思いながら、そーっとドアを開け……
「…………………!!!」
ぎょっとする、というのをこういうのだろう。
息をするのを忘れてしまった。
「渋谷先輩」
泣きそうな、か細い声。
「真理子ちゃん……」
薄暗い室内……背もたれのない椅子をいくつか並べた上に横になり、腕を組んで寝ている橘先輩。熟睡しているのかピクリとも動かない。そして、その横に、顔面蒼白で立っている、橘先輩の妹、真理子ちゃん……。
「……見ちゃいました?」
「………ごめん。見た……」
見てしまった。
真理子ちゃんが、兄である橘先輩にキスしているところを……
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お読みくださりありがとうございました!
どうしてもここまで入れたくて長くなってしまいましたっ。
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