世界史の桜井浩介先生はわりと評判がいい。
授業が分かりやすいことと、変に生徒に媚びないことが大きな理由だ、と小学校一年生からの親友・高瀬諒が言っていた。
生徒に媚びない、という話通り、1回目の授業だというのに、生徒に好きな歴史上の人物を言わせる……とかそういう「ツカミ」みたいなものもなく、ただ一人ずつ名前だけ言わせて、そして自分も名前しか名乗らず、さっさとこの一年の授業計画を説明し、さっそく授業をはじめてしまった。
話通り、確かに授業も分かりやすい。受験対策を考えた授業だな、と思う。媚びたような面白い授業ではなく、ひたすら役に立つ授業。
まだ二年生なので、大学受験に世界史を選択するかどうかも決めていないけれど、桜井先生の授業を一年受けたら、かなり偏差値上がる気はする。
なんて思いながら、真面目に授業を聞いていたのだけれども……
「ね、泉……」
前の席の相澤侑奈がこちらを向いて「窓の外を見て」とゼスチャーしてきた。
「諒が他の女とイチャイチャしてるっ」
小さく、でも鋭く言って、プウッと頬をふくらませた侑奈。そんな顔も可愛い。
彼女は小学校五年生からの友達。諒と侑奈とオレは小学校の時からずっと〈仲良し3人組〉とまわりから言われてきた。それは約3ヶ月前、諒と侑奈が付き合うことになってからも変わらない。
(イチャイチャって……)
ただ単に、体育のゼッケンの入った段ボールを横に並んで運んでるだけじゃねーか……
3階の窓から二人でジッと校庭に向かう諒を見つめていたら、
(………あ)
諒がこちらに気がついて軽く手をあげた。あいかわらず爽やかでカッコイイ奴。
こんなに可愛い侑奈と、あんなに格好いい諒と仲良しなことは、嬉しい反面、変なプレッシャーもあるというか……
複雑な気持ちで前を向いたところ、
「……あ」
「相澤さん?」
桜井先生が、侑奈の前に立っていた。さすがにずっと後ろを向き続けているのを注意しにきたのだろう。透明な目が侑奈を静かに見下ろしている。
それにも構わず、体の向きを戻さない侑奈。これはまずい……。
「おい、ユーナ……」
前向けよ……といいかけたところで、いきなり侑奈が立ち上がり、桜井先生を見上げた。
「Sorry,sir……」
流暢な英語が侑奈の可愛いらしい口から紡ぎだされる。
侑奈は母親がアメリカ人で小学校1年生から4年生までアメリカで暮らしていたため、英語ペラペラなのだ。容姿も母親の血を濃く継いでいるので、英語の方がむしろ似合う。
気が強い侑奈は、昔から気に入らないことがあると、こうして英語で捲し立てて相手を黙らせてしまうことがあり、先日も、嫌味な物理教師にこれをやったのでクラスメート達も知っている。皆、桜井先生がどうするか興味津々に見守っている感じ。
侑奈の早口の英語は何を言っているのか全然分からないけれど、おそらく「日本語がわからないから後ろの席の子に聞いてた」とかそんなことを言っているっぽい。
(あーああ……)
桜井先生かわいそうに……。物理の前川先生は真っ赤になって挙動不審になった挙げ句、侑奈のことを徹底的に無視したけれど、桜井先生はどうするだろう……。
みんなが注目する中、桜井先生はジーっと真面目な顔をして、侑奈の英語を聞いている。
そして、侑奈がスピーチを終え、席に着くと、桜井先生は少し首をかしげて……、言った。
『君の言いたいことはそれだけですか?』
(え!?)
桜井先生の口から綺麗な発音の英語が聞こえてきて、ぎょっとする。
『わかりました。では、これからは英語でも授業をします』
「!?」
ザワザワザワっとクラスがざわめく中、桜井先生は教卓に戻った。そして、みんなに向かって、
「これからは日本語と英語両方で授業をします。資料集14ページを開いてください」
そして、侑奈に、
『今までのところは、休み時間に説明しますので、ここから参加してください。資料集14ページを開いて』
「……………」
綺麗な英語……聞き取りやすい。
みんなが呆気に取られる中、桜井先生は先ほどまでとまったく変わらず淡々と資料集にのっているピラミッドの説明をはじめ………
(………げ)
一通り日本語で話すと、同じことを英語でも話しはじめた。
(うわ……)
クラスメート達もコソコソと「桜井やるじゃん」とか「桜井先生かっこいい!」とか言っている。
(これは、荒れるな………)
侑奈の機嫌が悪くなったのが、手に取るように分かった……
(諒……今日は大変だぞ……)
今ごろそんなことも知らずにのほほんと体育の授業を受けているであろう親友に、同情のメッセージを心の中で送る。
教室ではそのまま、世界史なんだか英語なんだかわからない授業が行われ続けていた。
*****
案の定、その日の夕方の侑奈は荒れていた……ようだ。
「………あっ、あ……んんっ」
襖の向こうから聞こえる喘ぎ声が、いつもより大きいし、
「……ユウ……ユウッ」
いつもは侑奈のことを「相澤」って名字で呼ぶくせに、やる時だけは名前で呼ぶ、諒の声にも余裕がない。
打ちつけるような音も、いつもより激しくて……
隣の部屋の窓辺で、襖の向こうの声を聞きながら、いつものようにコッソリ自慰行為にふけっていたんだけど、
(……あ、やば。もうイク)
諸々で興奮が加速してしまって、あっという間に果ててしまった。諒と侑奈の行為はまだまだ続きそうなのに……
(………………)
どんな顔してやってんだろうなあ……
二人の声を聞きながら、ぼんやりそんなことを思う。
こうして、団地の3階にある侑奈の部屋で諒と侑奈がやってる間、襖で仕切られた隣の部屋の窓から、侑奈のお父さんが帰ってこないか外を見張る………ってことをはじめたのは、3ヶ月くらい前。だから、もう何回目だ? 週2と考えても20回以上か……結構な回数だ。
「イヤホンで音楽聴いてるから、何も聞こえない。安心してやってていいぞ」なんて二人には言ってるけれど、実は初回から音楽なんか流さないでひたすら隣室の声を聞いていた。2回目からは、我慢できずに自慰行為をするようになった。
でも、今のところバレていない。二人が終わる頃にはキッチリ片付けて、本当にイヤホンで音楽を聴きながら外を眺めるからだ。
「………泉」
「おお、お疲れ」
いつの間に隣室から出てきていた諒が、オレの左耳からイヤホンを取って、自分の左耳に入れ、オレの右横に座るのもいつものこと。
終わったばかりの彼女を置き去りにしていいのか? と、聞いたことがあるんだけど、
「先に行けって言われた」
と、諒に肩をすくめて言われて以来、余計なことは言わないことにしている。
そして、普段は侑奈を名字で呼ぶくせに、やるときだけは名前なことに、余計に興奮するんだけど、そんなことも言わない(当たり前か)。
「泉」
窓のサンに並んで座っている諒が、トン、とオレの膝に膝をぶつけてきた。
「これ誰?」
「クラキマイ」
「ああ、クラキマイ……」
肯いてるけど、絶対知らないだろ。諒は芸能関係とことん疎いから……
「知らないだろ」
「知ってる」
「ウソつけ」
こっちは笑って言ったけれど、諒は真面目な顔をしたまま、ボソッといった。
「ウソじゃない。泉の好きなものは全部、知ってる」
「………」
ふーん……
「じゃあ、このアルバムの中でお前が一番好きな曲、どれ?」
「………」
見ていた歌詞カードを渡すと、諒は迷いなく一つの曲を指さした。この迷いなさ、本当に知っていたらしい。ちょっと驚きだ。
「3曲目な……」
操作して3曲目を頭だしする。
右耳から聴こえてくる透明感のある声……
サビのあたりで視線を感じ、諒を見上げると、やっぱりこちらを見ていた。
「なんだよ?」
「……泉」
「ん?」
「オレ……」
なんだか真面目な顔をした諒が何かを言いかけた。けれども、
「今日、ミートボールにするから。2人とも好きでしょ?」
隣の部屋から機嫌良く戻ってきた侑奈の声にかき消されてしまった。
こうして見張りをしてやるお礼に夕飯をごちそうになる、というのもいつものことだ。
侑奈は小学校4年生の時にお母さんが亡くなって以来、家事全般しているため、料理の腕はかなりのものなのだ。
見張りの話の以前から、時々食べにきていたので、それがお礼と言われると微妙なんだけど、まあ、細かいことは気にしない。
「手伝うよ」
「ありがと。泉もお願い」
「おお」
そのまま夕飯の支度をはじめてしまったので、結局、諒が何を言おうとしたのかは聞きそびれてしまった。
***
侑奈の団地からの帰り道、諒と一緒に、わざと遠回りになる住宅街を通って帰るのもいつものことだ。
お互い、家に帰りたくないから、こうして一緒に時間を潰すのだ。時間が早いと公園に寄ることもある。
「そういやさあ……」
侑奈の機嫌が悪くなるのが嫌で侑奈の前では話せなかった、今日の世界史の桜井先生のことを話してやる。
「あの英語での授業は、ユーナに対する当てつけだよな~」
と、オレが結論付けると、「違うと思う」と速攻で否定してきた諒。
「桜井先生、相当天然だから」
諒はバスケ部なので、顧問の桜井先生とは一年生の時からの付き合いになるのだ。
「たぶん本気で、相澤が日本語話せないと思ってると思う」
「えー……」
「今頃、相澤のために英語のプリント作ってるんじゃないかな。あの人ホント真面目だし」
「げ」
それは申し訳ない……
「明日謝りに連れていくか……」
「オレも一緒にいくよ」
「頼む」
まったくユーナもしょうがねえな~と言いながら、あの時の桜井先生の真面目な顔を思い出して、「あ」と思う。
「桜井、天然なのかあ……だからユーナのあの上目遣いにも引っかからなかったのかな」
「上目遣い?」
キョトンとした諒の腕をバンと叩く。
「あの顔であの上目遣いは最強だろ? 普通の男なら誰でも落ちるって」
「それは……」
ちょっと笑いながら、諒が言う。
「それはただ単に、泉が相澤を好きだからそう思うだけだよ」
「そんなことはない。物理の前川だって真っ赤になってたし。実際お前だって落ちたわけだろ? 現役彼氏」
「あー……、そうだなあ……」
なんだ。歯切れが悪い……
「なんだよ? そういやお前、さっきも何か言いかけたよな?」
「うん……」
諒は立ち止まり……、ゴンッとオレのオデコにオデコをぶつけてきた。
「泉……」
「なんだ」
エイッと押し返してやる。小学生の時からよくやってる遊び。お互い図体だけはデカくなったけど、やってることは同じだ。
諒は「いてて……」と涙目でオデコを押さえながら、ポツンと言った。
「……泉、無理してない?」
「え」
諒の真剣な瞳……
「泉、ずっと相澤のこと好きだったのに、オレが……」
「いいんだよ」
バーカ、と言って、小突いてやる。
「本人はバレてないと思ってるみたいだけど、ユーナが中学の時からお前のこと好きだったの、オレ知ってたし」
「…………」
「また、ヤケになって変な男に引っかかるのも困るし」
「…………」
「あとお前も。いい加減、女取っ替え引っ替えやめないとそのうち刺されると思ってたから、これで安心だ」
「あー…………」
あー……と長く伸ばした挙げ句、黙ってしまった諒……。おいおい……
「お前まさか、諸々のあちこちの女と切れてないわけじゃないよな……?」
「いや、切れてる……と思う」
「思うって!」
バシッと腕を叩くと「痛いって」と体当たりしてきた。負けずにオレも体当たりを返す。これも小学校の頃から変わらない。何往復かの体当たりの応酬の末、諒がふてくされたように言った。
「オレは付き合ってるつもりなくても、付き合ってるって言われたり、勝手に女子同士で喧嘩はじめたり………意味わかんないんだよなあ……」
「それはお前があちこち手出すからだろ!」
再び体当たりすると、諒はいたって真面目な顔で、言った。
「しょうがないじゃん。オレの座右の銘、据え膳食わぬは男の恥、だったし」
「………………」
こいつはーー!!
「どうせオレには膳並んだことないし! ちょっと背が高くて顔がいいからって調子に乗んなよお前!」
「調子になんか……」
「だいたいなあ、オレだって本当は背高い方なのに、バカみたいに高いお前とつるんでるから、低いって思われて……って、頭に手をのせるなー!!」
頭にのせられた手を思いきり弾き飛ばす。
でも、諒は妙に嬉しそうに、
「泉、身体測定終わった? 何センチだった?」
「………174」
「やっぱり!」
諒は再びオレの頭に手を置いてから、そのまま平行に自分のところに移動させて、満足げにうなずいた。
「うん。結構伸びてる」
「まあな。でも……」
でも、まだ足りない。だって諒は……
「お前は?」
「オレもう止まった。185のままだった」
「………………」
小1で出会った時は身長はオレの方が少し高いくらいだったのに、小6になってから諒だけものすごい勢いで伸びてしまい、声変わりもはじまって、一人先に大人っぽくなってしまって………
「あと、11センチか……」
「うん」
「絶対追い付くからなっ」
「うん」
嬉しそうにうなずく諒。ニコニコだ……
普段わりとクールだから、こうやって笑うと余計に可愛い。小学生に戻ったみたいだ。
こういうギャップにも女共はやられちまうんだろうなあ……
そう思ったら心配になってきた。
「………お前まさかさ、ユーナと付き合ってから他の女とやったり……」
「それはない」
諒がキッパリと言い切った。
「約束はちゃんと守ってる」
「…………」
「ちゃんと据え膳にもごめんなさいしてる」
「…………あっそ」
まだ膳あるのか、と呆れつつ……
(……諒、本当にユーナのこと大事にしてるんだな)
ホッとする。
そうでなければ、小学生の時から思い続けているオレが浮かばれない。
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お読みくださりありがとうございました!
本日深夜にお届けした、人物紹介に続きまして、本編の1をお送りいたしました。
新作です。新キャラです。高校生です。
作中は2001年4月です。泉が聴いていたのは、その前年発売のクラキマイちゃんのファーストアルバムでした。
ちなみに諒が好きだといった3曲目は「Secret of my heart」。ちょっと意味深(*^-^)
題名の「嘘の嘘の、嘘」。登場人物全員がそれぞれ大なり小なり嘘をついてる、というところからこの題名になりました。
明後日は浩介視点です。
泉サイドの話と浩介サイドの話、全然別の話が交互に別々に進んでいき、時々重なる時もある……って感じの構成になっております。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
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