***
そのまま電車を乗り継ぎ、慶の勤務する病院を訪れた。
日曜は外来診察はないけれど、面会はできるため、一般の人も多く出入りしている。でも、病棟に入るには受付で面会先の記入をする必要があるので、面会に訪れた人でなければ病棟には入ることはできない。
(慶、偶然いたりしないかな……)
門から病棟に向かう途中にいくつかベンチがあるスペースがあり、その中の一つに、行き止まりと見間違う茂みの奥にベンチがあるスペースがある。慶はおれに電話するときはたいていここを利用しているそうで、おれとも何回かここで荷物の受け渡し等で待ち合わせたことがある。
(さっきから電話してるけど、電源切れてるし……)
仕事中ということだ。仕事中は院内用の携帯を身につけ、個人携帯は電源を切っているため繋がらないのだ。
(あそこのベンチにいたら、そのうち会えるかな……)
って。
(おれ、ストーカーっぽいな……)
自覚はある。
苦笑しながらそのベンチのスペースに行こうとしたところ………
(話し声………慶?)
ドキッと胸が高鳴る。慶の声!
でも喜ぶ間もなく、慶ではない男の人の声も聞こえてきて………
(………………)
慶………笑ってる………
茂みの陰に隠れながら中を覗き込んだところ、ベンチに慶ともう一人……白衣の男性が座っていた。
(……島袋先生?)
あの眼鏡の横顔、寝癖の頭……たぶん島袋先生だ……
(変わってない……)
最後にあったのは、慶と一緒に高校卒業の挨拶に行った時だから、もう何年前になるだろう。
島袋先生は、慶のお姉さんの赤ちゃんの主治医だった。高校時代、お姉さんから頼まれて病院でボランティアをすることになった慶は、そこで出会った島袋先生に憧れて、将来医師になることを決意した。
慶の大学時代に、島袋先生は当時勤めていた横浜の病院から、今の病院にうつったため、慶は迷いなくこの病院の研修生になることを望んだ。そして現在、念願かなって2年目……
「うわ、本当ですか!? そこは絶対外せない!」
慶のはしゃいだ声に、島袋先生も笑っている。
(何の話してるんだろう……)
海とか星とか岩とか船とかいう言葉が聞こえるけど……
(仕事の話じゃないことは確かだな……)
じゃあ、仕事中じゃないってことだ。慶、白衣も着てないし。それなのに携帯電源入れてくれてないんだ……
(…………)
慶の中で、おれの存在って何パーセントくらいを占めてるんだろう。おれに比べたらすごく少ないんだろうな。……なんて卑屈なことを考えはじめてしまう……。
「本当は1週間くらいいられればいいんだけど」
「2泊3日が限度ですよね」
「そうだねえ。まあ、その日程でも慶君が満足できるルート組むようにするから」
「ありがとうございます!」
……旅行の話? 慶、旅行に行くの? ただでさえ今でも会えてないのに、そのまとまった休み、おれを置いてどこかに行っちゃうの?
(…………)
帰ろう。もう、帰ろう。ここにいてもしょうがない。おれは慶の邪魔になるだけだ。
静かに来た道を戻る。でも……
(帰るって……どこに?)
誰もいない、あの小さなアパートに。
慶が大学生の時は、慶はしょっちゅう泊まりに来てくれていた。ほとんど一緒に住んでいたといってもいい。
(あの頃に戻りたい)
一緒のベッドで眠って、一緒に朝を迎えて、慶のために食事を作って……なんて幸せな日々だったんだろう。
(そんなこと言ってもしょうがないんだけど……、あ)
ポケットの振動に立ち止まる。メールだ。開いてみると、慶のいつもの、要件だけのメールの文章があった。
『終わったのか?今電話しても大丈夫か?』
終ったのか……って、ああ、そうか……今日は祖母の告別式だった。
「…………」
おれは本当に薄情な人間だ。あまり関わりがなかったとはいえ、かなり近い血縁関係にある人の死になんの感慨も持つことができないなんて……
駅に向かってゆっくり歩きながら電話をかける。すぐに出てくれた慶。
『電話してて大丈夫なのか?』
「うん……もう帰る途中」
優しい声にホッとする。
会いたい。すごく会いたい。けれど、会ったら、きっと冷静でいられない……
『そうか……でもいいのか? お父さん気落ちされてるだろ? そばにいなくて大丈夫なのか?』
「…………」
は……
慶の言葉に乾いた笑いが出てしまう。
(やっぱり慶には、わからない……)
今回、父とは一度も話していない。はじめに挨拶はしたけれど、無視された。通夜の席でも葬儀場の人に案内された席に座ろうとしたら、『もっと末席にいけ』と手振りで追い払われた。父にとっておれは目障りな存在でしかないのだ。
でも、そんなこと慶には言いたくない。
「うん……大丈夫。ほらうち、家族関係希薄だからさ」
『…………』
気マズイ沈黙の後、慶は「それじゃ」と口調を変えた。
『今晩はおれ当直だから……明日の夜とか会えるか?』
「………うん」
そんなこと言ってもどうせ仕事が長引いて会えないのだろう。いつもそうだ。でも、そんなこと言って慶を困らせてはいけない。
喜んでいる声を作って慶に答える。
「じゃ、明日の夜、泊まりにいくね?」
『おお。今日見てきた練習試合の話もしたいし、それに……』
「うん」
『島袋先生が旅行に誘ってくれてて。その話もしたいし』
「…………」
心臓がグッと押されたように痛くなる……
「島袋先生と、旅行……?」
知っているくせに、知らないふりをして聞き返す。心臓の音がうるさくて慶の声が遠くに聞こえる。
『おお。島袋先生、夏前にはここ辞めて実家に戻るんだよ』
「え……」
そういえば、ご実家は小児科医院だと言っていた……
『それで、向こうのおすすめスポット連れて行ってくれるっていうから』
「そう……なんだ」
おすすめスポット……それが海とか星とかの話……。そこに行くんだ慶……
頭がガンガンと痛くて我慢できなくて、こめかみをおさえる。
さっきの慶の笑い声……おれなんかいなくても笑ってる慶……
ああ、もう無理だ。これ以上話はできない。
「慶、あの……」
話を遮ろうとする、と、慶がけろりと言った。
『だから、今年の夏の旅行、そこでいいよな? お前、毎年夏休みって八月中旬に一週間くらいだよな?』
「え?」
慶の声が頭の上の方を通り過ぎる。……夏の、旅行?
「う……うん……」
『去年は箱根に一泊二日だけだったもんな。今年は二泊三日なんとか取るから。すっげー流れ星が見えるところがあるんだって!絶対見たいよな?天気良いといいなあ』
「……………」
それ……それって……
「あの……その旅行って……」
『え、もしかしてお前、海外とか行きたかった? 国内いやか?』
「………っ」
慶……っ
そんなの………どこでもいい。
慶と一緒なら、どこでもいい。
こらえられなくて、走り出す。電話の向こうからおれを呼ぶ声が聞こえる。でも走って走って……
その声と、肉声が重なり……
「慶!」
「わ!」
一人でベンチに座っている慶に勢いよく抱きついた。おれと違って、突然でも引っくり返ったりしないのがさすが。ガッシリと抱き止めてくれた慶。
「なんだお前、こっちに来てくれてたんだ。よくおれがここにいるって分かったな」
「…………うん。救急車の音、聞こえたから……」
肩口に顔を埋めると、片方の手で頭を、もう片方の手で背中を撫でてくれる。
「ああ、そっか。じゃ、うち移動しようぜー?」
「え」
うちって……慶のマンション? 仕事は?
「なんか、吉村が腹痛いっていうから代わるつもりで来たんだけど、とりあえず今落ち着いたらしくて」
「え、それじゃ……」
吉村、というのは慶と同じ研修医の女の子だ。何度か会ったことがある。
「朝まで一緒にいられる?」
「あ、いや、当直まではやる自信ないっていうから、当直から代わることにしたんだ」
「…………」
だよね……。さっき当直って言ってたもんね……
つい、あからさまにため息をついてしまったら、慶が真面目な顔をしてのぞきこんできた。
「ごめんな。でも、5時までに戻ればいいから、あと2時間は一緒にいられる」
「………………」
2時間……。短いような長いような……いや、短いよ。
ぎゅうっと抱きつくと、そのまま立ちあがられた。パンっとおれの頬をその温かい手で囲ってくれる。
「こないだは10分だったからな。今日は一時間やるぞ」
「え」
いたずらそうに目を輝かせた慶。そんなこと言われたら、色々期待してしまうじゃないか。
こっちの気も知らないで、慶は「いくぞ」と歩き出した。慌てて後をついていく。
「で、残りの一時間で話ししような」
「話かあ……」
言うと、振り返られた。
「なんだよ。やなのか?」
「ううん」
嫌ではないけど……
「ベッドの中でくっついてるまま話したい」
「なんだそりゃ」
慶、ぷっと吹き出した。
「そんなんしてたら襲いたくなって話になんねーよ」
「えー襲って襲ってー」
「ばーか」
くくく、と笑う慶。……大好き。大好き慶。せっかく一緒にいられる時間、少しだって離れていたくない。
「そういや、こないだの朝、お前と一緒にいた子もバスケ部だったんだな。今日試合でてた。背の高い……」
「あ、うん。高瀬君」
185センチあるという。でも機敏で器用、そして冷静。………冷静、といえば聞こえはいいけれど、何もかもに一歩引いたような冷めた対応をするところが気になるといえば気になる。
「で、もう一人の方の子と一緒に試合見たんだよ。えーと、泉君?」
「ああ……」
「親友、なんだってな」
親友。あの朝もそう言ってた……
「懐かしいなあと思ってさ。おれも高校のとき『親友』のお前の試合、欠かさず見に行ってたもんな」
「うん」
「それでお前が女バスの先輩と仲良くしてるのをジトーッと睨みつけたりしてな」
「…………」
まだそれを言う……
「それを言ったら、応援にくる慶を目当てに、他校の女子がたくさん来てたじゃんっ」
「なんだそれ?」
「バレンタインの時だって散々声かけられたでしょ?!」
「??? そんなことあったっけ?」
「…………」
この人ホントに鈍感だよなあ……
研修医の吉村さんだって、絶対慶のこと狙ってる。でも慶はまったく気が付いてない。……まあ、教える気はないけど。
「覚えてないならいいよ。慶はおれだけ見てればいいから」
「おー。おれはいつでもお前しか見てねーぞ」
「………………」
本当に……?
歩きながら顔をのぞきこむと、慶はにーっとした。
「当たり前だろー。だいたいなあ、おれはお前が女バスの先輩に片想いしてた間も、それはそれは健気にお前のことを……」
「それはもういいよ……」
わざと大きくため息をつくと、ケケケ、と笑われた。
「なんかあの二人見てたら色々思いだしちゃってなー」
「…………」
あの二人って高瀬君達のことか。
「いいなー青春だなーってさー」
「……戻りたい?」
聞くと、慶はうーん……と首を捻って、
「いやー高校時代はもういいかなあ」
「そう?」
「だって、高校の時はやってねーじゃん」
「何を?」
「何をって……」
部屋のドアを開け、おれを中に押し込めると、後ろ手に鍵を閉めた慶。
「決まってんだろ。これから一時間やること」
「………」
そして、おれの首の後ろに手を回し、噛みつくみたいなキスをしてくれる。
慶はいつでもおれを求めてくれて、おれを見ていてくれて、おれを受け入れてくれて。これ以上何をのぞむというんだ。
慶の中でおれの占める割合が何パーセントであっても、今、この瞬間は、たぶんおれで埋め尽くされているはず。だから……
「慶……」
醜い嫉妬心も、両親に対するこの憎悪も、慶からの愛と慶への愛で包み込んで、隠すことができる。大丈夫。大丈夫だ……
崩れそうな気持ちをなんとか立て直して、慶の細い腰を抱く。
「大好き……慶」
その言葉にだけは嘘はない。
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お読みくださりありがとうございました!
すみません。あいもかわらず真面目な話でm(_ _)m
そしてやっぱり暗い桜井浩介(^_^;)
次回は明後日。諒君の可愛い小学生時代です。
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