「美幸さんのこと、1秒以上続けて見るなよ」
言われた時にはビックリして固まってしまった。
慶。どれだけ嫉妬深いんだ。
そしておれ。どれだけ愛されてるんだ。
美幸さんと初めて話したのは、高校二年のゴールデンウィーク明けの部活の最中のことだった。
ランニングの途中ですっころんでうずくまっていたおれに、
「大丈夫?」
と、ハンカチを差し出してくれた美幸さん。女神のようだ、と感動したのを覚えてる。それからずっと彼女を目で追うようになり……
………なんて話、今、慶にしたら本気で殺される気がする……。
田辺先輩と美幸さんは、大学在学中に一度別れたけれども、三十歳ごろに再会して、すぐに結婚。三年前に念願の子宝に恵まれ、美幸さんは仕事を辞めて育児に専念することにしたそうだ。
「美幸のやつ、お前らが来るからって、朝から張り切ってケーキ焼いたり、あちこち片づけたりしててな」
車で駅まで迎えにきてくれた田辺先輩が苦笑気味にいう。
「棚の位置変えたりするのに、子供が邪魔だからどっか連れて行ってくれって言われて、このクソ暑い中、さっきまでずっと公園にいたんだよ、オレ」
「へえ、いいパパしてますね」
言うと、田辺先輩はちょっと渋い顔になった。
「……どうだかなあ。まだ一緒に遊ぶって感じじゃなくて……。いうことも全然聞かねえしな。さっきも無理矢理公園から引き揚げて、玄関の中に放り込んでから、お前ら迎えにきちまったから、もしかしたらすっげえ機嫌悪いかも」
「すみません。この距離だったら全然歩けたのにわざわざ迎えに来てもらっちゃって」
「いや、この炎天下歩くのは………あ、ここだよ」
まさに新興住宅街、という街並み。真新しい家が立ち並んでいるうちの一軒だった。白い壁が太陽の光で輝いている。でも、どうも雑然としているというか……何か違和感がある。
「あ……」
玄関に向かっている途中で、田辺先輩がハッとしたように駆け出した。
「なに……」
呼びかけようとした言葉をひっこめる。玄関を開けた途端に聞こえてきた、子供の叫び声。物がぶつかる音。そして、女性の悲鳴のような声。
「美幸?! 優吾?!」
靴を脱ぎすて、うちの中に入って行く田辺先輩。
おれ達はどうしたら……と思っていたら、慶がさっさと田辺先輩の後についていってしまったので、おれも慌てて追いかける。
「…………!」
扉の向こうは………まさに修羅場だった。あちこちに散乱している物。ずらされたソファー。真っ赤な顔をして叫びながら物を投げている小さな子供。それをやめさせようとしている母親……。
「美幸、何なんだこれは?!」
「………知らないっ。知らないよっ」
絞り出すように言う美幸さん……。こんな険しい表情見たことない……。
「この子、ずっと暴れてるの。せっかく綺麗にしたのに……っ」
「そんな、優吾、お前……っ痛っ」
優吾君に手を伸ばした田辺先輩に、優吾君が投げた図鑑がぶつかる。
「優吾!」
美幸さんが叫んだ。
「どうして? どうしてこんなことするの? 優吾!」
美幸さんが暴れる息子に手を振り上げる……っ
「やめ……っ」
ざっと血の気が引いたのが分かった。美幸さんの姿と母の姿が重なる。
『どうして出来ないの? どうして、どうして、どうして……』
『痛い、痛いよ……お母さん』
フラッシュバックが起こる……
『お母さんやめてお母さんお母さんお母さん……っ』
背中が痛い。息ができない。苦しい苦しい苦しい……
「浩介」
「!」
深淵に沈み込みそうになったところを、掴み取られた。慶が心臓を押さえているおれの左手を握ってくれている。
「おれがついてる。大丈夫だから」
「…………」
慶はもう一度ぎゅっと強く握りしめてくれると、パッと離し、つかつかと美幸さんのそばに歩み寄った。
「元に戻してください」
慶のピシャリッとした声に、場が一瞬静まりかえる。が、すぐに優吾君は叫びを再開した。こんな小さな体にどれだけのパワーがあるんだと驚くぐらいの力強さ。田辺先輩と美幸さんだけが慶を振り返った。
「なにを……」
「棚の位置を変えたんですよね? それを元に戻してください」
「え?」
「もしかして、ソファーの位置も変えましたか? それも戻してください」
「なにを……」
「早く」
有無を言わせない慶の言葉に、田辺先輩がソファーを移動させはじめた。おれと慶も手伝う。優吾君の叫びが小さくなってきた。
そして、隣の部屋の押し入れにしまってしまったという棚を美幸さんが持ってくると、優吾君は叫ぶのをやめ、出していた車のおもちゃを並べ始めた。
「優吾……」
「何だったんだ一体……」
呆然としている田辺先輩と美幸さんに、慶が冷静に説明をしている。
「いつもと同じ場所に同じものがなかったので、戸惑っていたんだと思いますよ? 模様替えをなさるなら、息子さんにも納得してもらってから、息子さんの目の前でやったほうがいいと思います」
「な…………」
力が抜けたようにしゃがみ込む二人……。
「ねえ……渋谷君」
ポツリと美幸さんが言う。
「うちの子……やっぱりおかしいの? ネットに書いてある、障がいのある子の特徴にすごく当てはまってるの。やっぱり何か障がいが……」
「それは私には判断できません」
慶が冷たいほどキッパリという。
「でも、障がい児対応は、一般の子供にも有効的ですので、障がいの有無は抜きにして、障がい児対応の勉強をしてみませんか? 環境を整えてあげたら、息子さんもずっと落ちつくと思いますよ?」
「例えば?」
「そうですね、まず見通しを……」
「渋谷」
田辺先輩が、慶と美幸さんの間に割って入った。
「お茶でも飲みながらにしないか? っていうか、お前ら二十年以上ぶりに会ったっていうのに、ロクな挨拶もしてないよな」
「あ………」
慶と美幸さんが顔を見合わせちょっと笑った。
「久しぶり。渋谷君。あいかわらずカワイイね」
「四十過ぎのオジサンにカワイイはないんじゃないですか?」
苦笑する慶。そして美幸さんがおれの方をみた。
「久しぶり。桜井君」
「あ……はい」
一瞬だけ、目を合わせ、すぐに頭を下げる。おそるおそる慶の方をみると……
(………こ、こわい……)
無表情にこちらを見ている慶……。いや、おれ、ちゃんと一秒しか見てないって!
***
美幸さんが作ったケーキをいただくことになった。
彼女は夢を叶えて、ケーキ屋に就職していたそうだ。落ちついたらまた戻りたいけど、いつになるかな……と疲れたように言う美幸さん……。
その暗い雰囲気を吹き飛ばそうとしたのか、田辺先輩が明るくおれ達に言ってきた。
「お前ら、一緒に住んでるんだってな? あいかわらず仲良いよな。彼女とかいねえのか?」
「二人ともカッコいいから彼女くらいいるでしょー」
「え……」
そうか。一緒に住んでるっていっても、そういう関係じゃないって思われることもあるのか。
「えーと……」
「彼女はいません」
真面目な顔で答える慶。機嫌悪そう。たぶん「二人ともカッコいい」って言った美幸さんの言葉にムカついてるんだろう。「浩介のことカッコいいとか言うな!」とか思ってるんだろうな。
もう、慶、かわいいなあ。
「はい。彼女なんかいるわけがありません」
かわいすぎる慶の左手を掴み、上にあげさせ、おれも左手をあげ、横に並べる。薬指に輝く結婚指輪。
ちょっと驚いた顔をした慶に微笑むと、そのまま正面を向いて宣言した。
「おれ達、正式に結婚はできないので、事実婚ってことになっちゃうんですけど」
「え」
目を丸くした美幸さん。
「え、そういうこと?」
「はい。そういうことです」
「え? どういうことだよ?」
「だからこういうことです」
結婚指輪を合わせるようにして、左手を重ねてみせると、田辺夫妻が「うわっ」と叫んだ。
「愛の巣ってマジだったのか」
「冗談かと思ってた………」
まじまじと見られ、苦笑してしまう。慶も頬をかきながら気まずそうに視線をそらした。
田辺夫婦が矢継ぎ早に聞いてくる。
「いつから?」
「高2の冬からです」
「ずっと? マジか。長えな」
「えー全然気がつかなかった」
「ずっと内緒にしてて、最近ようやくカミングアウトすることにしたんです」
「どうりでお前、合宿のときノリ悪かったわけだな」
「合宿?」
田辺先輩の言葉に美幸さんが食いついてきた。
「何何? 合宿の時って?」
「いや、まあ、男子高校生にありがちな……なあ?」
「はい」
女性にはとても話せない話だ。
美幸さんが、何よも~っと怒って、田辺先輩が、まあまあ、となだめてて……。その様子が高校時代から変わらなくて、ホッとする。二人、うまくやってるんだな……。
なんかちょっとうらやましくなって、慶を振り返り、
(………慶)
真剣な表情に引き込まれてしまった。慶、医者の顔をしてる。おれ達が昔話に花を咲かせている間、慶はじっと優吾君を観察していたようだ。
(かっこよすぎ……)
おれの慶は、なんてかっこいいんだろう。
優吾君は今はおとなしくミニカーで遊んでいる。あれだけ叫んでいた子供と同一とはとても思えない。
慶の様子に気がついた美幸さんが、「どう?」と慶に聞く。
慶は「専門ではないのですが」と断りながらも、優吾君の普段の様子を聞いたり、今遊んでいる様子を見たりしながら、今後の対応について二人に色々提案しはじめた。この日のために勉強したのか、元々持っていた知識なのかはわからないけれど、慶の淡々とした話し方は、専門家そのものだ。
長い長い打ち合わせの後、
「ありがとう。渋谷君。頑張ってみる」
頷いた美幸さんに、慶は軽く手を降った。
「いえ、頑張り過ぎないでください。お母さんが倒れたら大変なことになりますから。手を抜けるところは抜いて、適当にお願いします」
「…………渋谷君」
ふっと笑った美幸さん……。
田辺先輩が心配そうに美幸さんを覗きこんでから慶に向き直った。
「実は、こいつ最近全然眠れてないんだよ。神経が高ぶって眠れないらしくて。そういうの診てくれるところって………」
美幸さん、昔、眠るの大好きって言ってたのに……。バスケットボールを抱えたまま、校庭の隅で眠っていた美幸さんの姿を思いだして切なくなる。
母親というのは、そんなにも大変なものなんだろうか………
「では、私の知り合いの心療内科医を………」
慶が戸田先生を紹介している横でそんなことをぼんやり思った。
優吾君はこちらにはまったく興味を示さず、ひたすらミニカーを畳のヘリにそって並べている。
ふと思う。おれはどんな子供だったんだろう…………。
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書き途中なのですが、この後も長く続いてしまって、スクロールするのが面倒になってきたので、ここで一回切って送ることにしました。
真面目な話ですみません……。いや、ホントに真面目な話になってきた……。
この「風のゆくえには」シリーズは、すべて登場人物任せでして、勝手にストーリー進んでいってしまいます。
それって、ようは、私の生活範囲内の話ってことですよね。なもので、話が地味ですみません、というか、妙に所帯じみててすみません、というか……
私の中では、彼らは本当に実在していて、普通に生活してるので、なので、なんというか……すんごい事件は起こらないと思います。人生そんなにすんごい事件に遭遇することってないじゃないですか?
そんな彼らの日常ですが、よろしければ次回もどうぞよろしくお願いいたします!!
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