入院していたオヤジが退院する見込みになり、預かっていた車を病院に置きに行く。
古いドイツ車である。
20年近く前、車好きのオヤジがこだわりを持って(中古で)買った車だが、飾っておいているに等しい状態で、あまり乗っていない様子。儂も免許を持っていないお袋を何度か病院に送る以外にあまり乗らなかったが、気分転換に使わせてもらった。
しかしまあ、何で速度表示はこんなに数字が並んでいるんだろうと思う。
「任務」を終え、そのまま遠回りして職場に向かうことにする(はいそうです休日出勤)。
昔お袋の実家に行くときは、バスをよく使った。バスは国道を行く。中学に入ると、一緒に行くことは少なくなったが、小学生の間は、買い物がてらよく一緒に行った。2時間もはかからなかったはずだが。久々に、本当に久々にその道を走ることにした。思いついたのは前日である。
しばらくは、のどかな田園とその向こうに工場が続く。
やがて、以前のT市の中心部に入る。町村合併を繰り返したこの町の名前が3回変わったのを経験している人も少なくないはずである。もう少しにぎやかなところは、ここから少しはずれたところにあるが、昔はこの辺が中心だったはずだ。古い商店街がそれを物語る。
右の建物は、旧邸跡でなかなか趣のある建物。明治か大正かドラマに使えそうな感じだった。反対側を向けば、海が近いことに気付く。
この町は、中学高校と、自転車でよく遊びに来た。高校の時は部活帰りにぶらぶらして帰った。遠回りになるのに、全然平気だった。部の先輩の家に泊まり、夜通し遊んだこともあった。たしかこの近くだった気がするが、思い出せなかった。
もう少し先に行くと、「天井川」でそこそこ名の知れた川を越える。
この辺りは、単調な風景である。バスに乗っている時、一番退屈していた覚えがある。そういえば帰りも同じ路線を利用するのだが、覚えているのは行きの風景ばかりである。
この辺はカブトガニの繁殖で有名なところらしい。地元の銘菓にも「カブトガニ」を冠した土産がある。儂は口にしたことはない。
高校の時に泳ぎに来たことがあったか一度だけ。実家から結構な距離の筈だが。
この辺は、高速道路が近くに迫る。当然昔はなかった。四国に高速道路ができるなんて、当時は夢物語だった筈だ。
風が結構強い。この坂を越えると、I市に入る。ランナー数名、そしてお遍路さん数名。
「しまなみ」のマーク、小さくて見えないか。しまなみで有名になったI市は、タオルと造船の町。そして、商都である。月賦販売発祥の地と聞いたことがあるが、さて本当のところはどうなんだろう(調べていない)。
「きうり封じ」で有名なお薬師さんが近くにある。国道沿いのこの池も何度も目にしたはずだが、「地蔵池」という名がついていることを初めて知った。
この先は、バス路線に従い、旧道に入る。まだ昼時ではないが、入ってしばらくしてから、コンビニで甘い物を食う。そういえば、ここまでつぶれたコンビニをよく見たな。
アイスとスイーツのどちらにするか結構迷う。食べ終わった後で、スプーンを付けてくれていたことに気付く。
さらに進む。海の存在はあまり感じないが、川にさしかかると海に気付く。この川は流れが逆流していた。引き潮時らしかった。
旧道といいながら、店はそこそこつぶれずに頑張っていて、結構にぎやかな町並みだと感じる。ここは右の納屋が一見寂れた感じを漂わせるが、道路の反対側はスーパーやらホームセンターやらが集まっているところ。左の札幌スープカレーの看板に心惹かれる。サラリーマンとおぼしき人が入っていった。
この先の橋を越えると市街に入る。「ソウジャ」という名の川。もう少しでバスを降りるよ、という感じ。
このホテル、昔は、そんなに繁盛しているようには見えなかったけどなあ。今はきれいに建て替えられて、いい感じになった。一度、職場の人の結婚式で泊まったことがある。きれいな部屋だった。あのときは、夜に名物の焼き鳥をほ食べに行ったか。
いつもこの先の「ドンドビ」あたりでバスを降り、買い物してから実家に向かうのがパターンだった。タクシーに乗せてもらった時は、ラッキーって感じだったな。メーターが一回上がる程度の距離だから、歩かされることも多くて、昔はそれがすごく遠く感じたが。
昨日から少し頭痛がしていたが、この頃になると少し落ち着いてきたので、もう少し先まで行く。
伊予の国は、南北朝辺りの史跡も多い。新田義貞の弟、脇屋義助の墓もあるらしい。土岐氏、ねえ。また久々に歴史の本でも読み返すのもいいかなと。
直後に、知り合いに声を掛けられ、しばし話をする。しかしまあ、みなさん良く見つけるな。格好悪い姿勢で走れんなあ。
でこの海で、この日は終了。JRで職場に向かいました。当初の予定から何時間か遅れましたが。
バスで見たはずの風景は確かに残っていたけど、高校の時にぶらぶらした旧T市の辺りも結構懐かしかった。バスに揺られて行っていたときは本当に遠い街だったが、この日はそうでもなかった。
時の流れってやつだろうか。
古いドイツ車である。
20年近く前、車好きのオヤジがこだわりを持って(中古で)買った車だが、飾っておいているに等しい状態で、あまり乗っていない様子。儂も免許を持っていないお袋を何度か病院に送る以外にあまり乗らなかったが、気分転換に使わせてもらった。
しかしまあ、何で速度表示はこんなに数字が並んでいるんだろうと思う。
「任務」を終え、そのまま遠回りして職場に向かうことにする(はいそうです休日出勤)。
昔お袋の実家に行くときは、バスをよく使った。バスは国道を行く。中学に入ると、一緒に行くことは少なくなったが、小学生の間は、買い物がてらよく一緒に行った。2時間もはかからなかったはずだが。久々に、本当に久々にその道を走ることにした。思いついたのは前日である。
しばらくは、のどかな田園とその向こうに工場が続く。
やがて、以前のT市の中心部に入る。町村合併を繰り返したこの町の名前が3回変わったのを経験している人も少なくないはずである。もう少しにぎやかなところは、ここから少しはずれたところにあるが、昔はこの辺が中心だったはずだ。古い商店街がそれを物語る。
右の建物は、旧邸跡でなかなか趣のある建物。明治か大正かドラマに使えそうな感じだった。反対側を向けば、海が近いことに気付く。
この町は、中学高校と、自転車でよく遊びに来た。高校の時は部活帰りにぶらぶらして帰った。遠回りになるのに、全然平気だった。部の先輩の家に泊まり、夜通し遊んだこともあった。たしかこの近くだった気がするが、思い出せなかった。
もう少し先に行くと、「天井川」でそこそこ名の知れた川を越える。
この辺りは、単調な風景である。バスに乗っている時、一番退屈していた覚えがある。そういえば帰りも同じ路線を利用するのだが、覚えているのは行きの風景ばかりである。
この辺はカブトガニの繁殖で有名なところらしい。地元の銘菓にも「カブトガニ」を冠した土産がある。儂は口にしたことはない。
高校の時に泳ぎに来たことがあったか一度だけ。実家から結構な距離の筈だが。
この辺は、高速道路が近くに迫る。当然昔はなかった。四国に高速道路ができるなんて、当時は夢物語だった筈だ。
風が結構強い。この坂を越えると、I市に入る。ランナー数名、そしてお遍路さん数名。
「しまなみ」のマーク、小さくて見えないか。しまなみで有名になったI市は、タオルと造船の町。そして、商都である。月賦販売発祥の地と聞いたことがあるが、さて本当のところはどうなんだろう(調べていない)。
「きうり封じ」で有名なお薬師さんが近くにある。国道沿いのこの池も何度も目にしたはずだが、「地蔵池」という名がついていることを初めて知った。
この先は、バス路線に従い、旧道に入る。まだ昼時ではないが、入ってしばらくしてから、コンビニで甘い物を食う。そういえば、ここまでつぶれたコンビニをよく見たな。
アイスとスイーツのどちらにするか結構迷う。食べ終わった後で、スプーンを付けてくれていたことに気付く。
さらに進む。海の存在はあまり感じないが、川にさしかかると海に気付く。この川は流れが逆流していた。引き潮時らしかった。
旧道といいながら、店はそこそこつぶれずに頑張っていて、結構にぎやかな町並みだと感じる。ここは右の納屋が一見寂れた感じを漂わせるが、道路の反対側はスーパーやらホームセンターやらが集まっているところ。左の札幌スープカレーの看板に心惹かれる。サラリーマンとおぼしき人が入っていった。
この先の橋を越えると市街に入る。「ソウジャ」という名の川。もう少しでバスを降りるよ、という感じ。
このホテル、昔は、そんなに繁盛しているようには見えなかったけどなあ。今はきれいに建て替えられて、いい感じになった。一度、職場の人の結婚式で泊まったことがある。きれいな部屋だった。あのときは、夜に名物の焼き鳥をほ食べに行ったか。
いつもこの先の「ドンドビ」あたりでバスを降り、買い物してから実家に向かうのがパターンだった。タクシーに乗せてもらった時は、ラッキーって感じだったな。メーターが一回上がる程度の距離だから、歩かされることも多くて、昔はそれがすごく遠く感じたが。
昨日から少し頭痛がしていたが、この頃になると少し落ち着いてきたので、もう少し先まで行く。
伊予の国は、南北朝辺りの史跡も多い。新田義貞の弟、脇屋義助の墓もあるらしい。土岐氏、ねえ。また久々に歴史の本でも読み返すのもいいかなと。
直後に、知り合いに声を掛けられ、しばし話をする。しかしまあ、みなさん良く見つけるな。格好悪い姿勢で走れんなあ。
でこの海で、この日は終了。JRで職場に向かいました。当初の予定から何時間か遅れましたが。
バスで見たはずの風景は確かに残っていたけど、高校の時にぶらぶらした旧T市の辺りも結構懐かしかった。バスに揺られて行っていたときは本当に遠い街だったが、この日はそうでもなかった。
時の流れってやつだろうか。