きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

歴史街道丹後100キロマラソンの60キロの部に出たときのこと

2015-09-20 15:30:00 | 大会回顧録
記録を見てびっくりした。丁度10年と2日前に出た大会。
もう一つびっくりしたのが、初フル完走して、春先にハーフ一本走って、でその次に出た大会。
9月の3週目から10月にかけてウルトラの大会が多くなる。この辺りが「シーズン」なんだう。今のようにまだそんなにマラソンブームとまでは行かなかった時代。それでも、この大会は、結構日本各地で有名なウルトラの大会を主催しているところがしていて、恐らく大会運営はかなり良かったように思う。日テレの24時間マラソンの指導も、この主催者がやっている筈。参加を決めたのはそういうのと、後は「歴史街道」というフレーズ。静御前の故郷ってそれだけで良さそげに思う。距離は60キロ。当然未知の数字。しかもこのときは、単車で往復。

最初で最後のツーリング&ランでもありました(ツーリングの時の写真は何故か残っていないがこういうスーパーシェルパのカスタムに乗っていました)。
こういう大会は、写真など撮っていないのでゴール時の記念写真とかしか手掛かりがない。

記憶も途切れ途切れではあるのだが・・・。

前日は一日高速を使わずに一日かけて現地入り。受付を済ませる。本当に賑やかな会場で、お祭り状態。びっくりする。この日はツーリングを始めたときと同じように、ちゃんと会場近くのビジネスホテルに泊まる(慣れてくるとこんな面倒なことはしなくなります。単車の時はテント泊になっていったし、大会に行くときはカプセルとか夜行バスとか、何より大会に出なくなったというのはあるのですが)。
早朝、会場に行き、スタート地点までバスで移動。この時に100キロに出場しているランナーを追い越す。この辺りのランナーは恐らくもうかなりきついペースになっている様子。まだ20キロ走っていない筈。

今年のホームページを見ると、スタートは久美浜カヌー庫らしい。このときも恐らくそこだろう。ボランティアの方が一生懸命給水とか給食とかの準備をしている様子を覚えている。高校生もいたんじゃなかろうか。そして、スタート。スタートは7時半だったと思う。

60キロのコースは、前半20キロぐらいに七尾峠という200メートル弱の峠が一つあるのみで後はほぼフラット。登りに入る15キロぐらいまでは、それほど記憶がない。さすがに10年前である。この峠、覚えているのは歩いたこと。初フルは少なくとも歩かずにという目標を守って完走したが、この時は、上りで体力を使うと後が不安であった。まだ大会参加3回目ということもある。で走らずにいたが、体力的にはまだ十分だったこともあってかなり大股で上っていった。
峠を越えると海の近くに出る。静神社は記憶にない。
陽が高くなるにつれ、ものすごく暑かったことを覚えている。
エイド毎に桶の水を頭から被る。これが気持ちよかった。氷も入っていたし。しかし、すぐ暑くなる。帽子は被っていたがとにかく暑い。
木陰を探しながら道路の右に左にと移動しつつ走る。
途中のレストでは、大会案内の書かれてある通り、置いておいた自分の荷物を取り出すこともできるので、一応着替えも準備していたが、ろくに荷物を確認せずにすぐに出た。靴を脱いで休憩を長めに取っているかのようなランナーがたくさんいた。
何か、そういうのを見ると、休んだら勿体ないと思ったわけで。
しかし、暑いことは暑い。
ちなみに、この時愛媛県から参加したのは2名だったが、もう一人の参加者は、ペースは桁違いに速かったにもかかわらず、途中のエイドで大休憩をしていたようである。

後で結果をみていたら、それらしき人が確かにいたのでよく覚えている(これの参加最遅っていうとこ)。9月の中旬だったが、気温は30度ぐらいあったと記憶している。
そして、覚えているのは、100キロコースとの分岐。100キロのランナーは、分岐からさらに山に行き、400メートル超えの峠(碇高原)に向かう。しかも70キロ地点である。この1年後に出た初めての100キロ(しまなみ遠足(とおあし))で一番きつかったのが70~90キロ(苦しい区間長すぎ)辺り。この分岐辺りは、周りが田圃で長閑ではあるが、逆に単調で(写真撮りながら走る訳にもいかないので、自ずと路上への興味関心も薄くなる)、しかも60キロの部に参加しているランナーは少ないから、周りに誰もいない状態で、先の見通しもないまま、とぼとぼと走っていた、そういうのも覚えている。
どの辺りがフルの距離の地点だったのかははっきり覚えていない。

海の近くで再び100キロのランナーと合流し、抜いたり抜かれたりもしたと思うが、ランナーの姿が多くなってきて、気持ちが少ししゃんとしたような気がする。苦戦の跡が見える。

ゴール手前で、少しペースが上がる。確か残り3キロぐらい。さっきまでの田舎から、少し街になってきた辺り。で、アナウンスと共に、ゴールテープを切る。感動でした。ウルトラ、走れるんやって。
記録は7時間43分。立派。

完走記念メダルをもらう。生まれて初めてである当然。

ちゃんと60キロの部。
で、その日は余韻に浸りながら、ビジネスホテルに戻り後泊(今では考えられんぐらい贅沢やな)。そして、また高速を使わずに愛媛へ。

この大会でなにが良かったかというとTシャツ。「TANGO100」とバックプリントされていてきれいなデザインで(もう一ついうと前の年のやつがもっと格好良くてしかも500円ぐらいで売っていたのだが買わず)。ニューバランス製。
このTシャツは、その次の年のしまなみ遠足(とおあし)で100キロ完走してから着用するようになった。
洗っても臭いがとれなくなってきたのでもう廃棄しましたが。

この丹後ウルトラの年とその翌年が一番大会参加が多かった。それ以降は、DNSが多くなったこともあり、大会参加そのものが少なくなって、今や愛媛マラソンとクラブ駅伝ぐらいか。
大会参加よりも、旅ラン志向が強くなったというのもあるし。
これは、もう一回ぐらい走ってみたいなと思うぐらいのイベント色の強い楽しい大会ではあった。

10年と2日後の今日。
あの時を思い出すかのようなカラリとしたいい天気です。

追記(9/28)。ここにツーリングの写真が残っていた。良かった。
http://blog.livedoor.jp/sightree6583a/archives/2005-09-17.html
http://blog.livedoor.jp/sightree6583a/archives/2005-09-19.html
10年前も食うもんばっか。
http://blog.livedoor.jp/sightree6583a/archives/2005-09-18.html
スタート前のドキドキ感も。