謡曲を趣味とした下手の横好き連中が集まって、毎週練習し年に2回ほど発表会を開いている。
練習も楽しいし、発表会も終わった後の懇親会が楽しいので参加率は極めて高い。
謡曲は「能」から楽器や舞の部分を抜いたもので、謡本は能の台本的な体裁をしていて、コレ単独でも楽しめる。
先月・今月と「能」と「狂言」を鑑賞する機会があった。
小さな町で開催されることは希であるが、どうしたわけか2度も我が町の文化会館で開催されたのだ。
先月は新作能の「武蔵伝」今月は喜多流の「羽衣」であったが、いずれもよかった。
携帯でこっそり写真でもと思ったが、仕上がりを見てがっかりした。
実は携帯での撮影はあまり経験がない。たとえばズーム機能などこの写真の失敗のあとマニュアル本を引っ張り出して読んでみて初めて判った。
PCでもデジカメでも特に携帯などマニュアルを見ることは殆どないのが今までの実態。
な~んで基本的なことを省略するようになったのか、。
理由の一つは、説明の用語が理解できず更にその用語の意味を調べる手間を要すること。
いま一つは、字が小さすぎて、持っている老眼鏡の最強のレベルをもってしても見えづらい字が羅列されていること。
そしてこれはついでだが、薄いピンクのバックカラーに赤の文字だったり、薄いブルーの地の色に青の字が使われたりして、非常に見にくい。
なぜこうした見にくい説明書が作られるのか理解に苦しむ。
苦しい故に、その苦しさを回避ための自衛本能が働く。
と、まあ、こうした自分勝手な数々の理由によってマニュアルは概ね一回パラパラと見たら何処かにお蔵入りとなる。
我が町に能の舞台が掛かるのと、マニュアル本の発見率はいい勝負。
ただし、「能」は動きを局限まで制限して表現するが、マニュアル本は局限まで複雑化していると息巻いてみたりしているのは私だけ・・・・か?。