たまたま本屋で手に取った本が3冊。
タイトルが気になって読んでみることにした。
町の図書館のものを借りて読む方が安上がりでいいのだが、図書カードの古い奴が何枚かあって賞味期限が切れるとまずいの使ったのだ。
その内の1冊は「曲がり角の日本語」というやつで、いつの時代でもそうだが、今の若い奴はっていうパターンかと思いきや、年寄りが駄目なんだよっていう新手のパターン。
文科省指導の「正しい」文法の駄目さ加減や、百年後の予測まで頭カッカとオーバーヒート気味に語っている。
もっと学者同士でガンガンやり合って欲しいと思う。
いつの時代も言葉というやつは、文法などお構いなしに現実の社会の中で生きそして死んでいく。どんな立派な言葉も・・・ああそれってもう死語ですねとなる。
いつの時代も言葉は曲がり角だと言われ続ける宿命にあると私は思うが・・。
さて、もう一冊は「ゾウの時間ネズミの時間」というやつで初版は20年近くも前。
そういえば、あらゆる動物の一生のうちの心拍数や呼吸などは体の大小にかかわらずほぼ等しい、などと聞いたことがあったが・・・出所はここだったのだろう。
我が家の愛猫が死んでまだそれほど日が経っていないが、18歳と10ヶ月間の彼の心拍数と呼吸それに1Kgの体重あたりの消費エネルギーは私がこれから何年後に死ぬか分からない期間とほぼ同じだと言われると、創造主の前では生物みな兄弟だと改めて感じさせられる。
時間も一様に流れるのではなく、条件はあるがそれぞれの動物に流れる時間は体重の四分の一乗に比例するとか、動物のサイズや形によって時間も相対的に考察する必要があるという。どうもいやはや・・・我が家の猫の「シロ」君が賢かったわけが判ったぞ。彼にしてみれば私なんぞはまだまだ青二才だったのだ。
3冊目は「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という医者が出した一冊。
理想的な死に方は「癌で死ぬ」ことだとおっしゃる。
何でも楽に死ねるとか。治療をしなければ楽に死ねるのに医者や家族に勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙げ句、やっと息を引き取らさせてもらえるのが現状。・・だそうだ。
「自然死のすすめ」を提唱していて、人間ドックなど駄目らしい。
私など先般「前立腺癌」のブラキという療法を受けたばかりで、小線源の内部照射を施している。半減期90日1年で効力は無くなるらしいが、現在バリバリの現役癌治療中の61日目である。
この本にもっと早く出会っていれば考え方が変わっていたかと言えば、答えはノーだ。
早期発見・早期治療まで否定するのは如何なものかという感想をもった。
ただし死に方・死を準備するにおいての処し方というものには大いに共感できた。
ところで、この3冊には共通している点がある。
いずれも800円以下と安いことだ。
でなけりゃ、3冊もまとめて手に取るものか。