朝晩は少し気温が下がるが日中はまさに初夏を思わせる陽気だ。
庭にもいろいろな草木が新芽を出したり花を咲かせたりするが、難しい名前でも日本語とか漢字表記はどうにか意味をとらえて覚えているが、意味の無いカタカナの名前は忘れてしまう。
忘れないように名札を付けて置いても、やがて文字が消えたり、植え替えて場所が変わったり、ときにはどこからか侵入してはびこったものが、元の草花を駆逐してしまって堂々と居座って花を咲かせたりすると、もうまったく判らなくなる。
(ブルーベリー:食べるので忘れない、蜜蜂が飛んできて忙しそうにしていた)
(芝桜:生えてる場所で覚えている。とりあえず放置していても元気)
(ベゴニア:短くカットしておいたら又伸びて花がつき始めた)
カタカナの横文字でもこのあたりまでは、なんとか判る。
(「青鴫立」と漢字表記の名前のモミジ:若葉が最高に美しい)
漢字が読めずに辞典で調べたら、鴫(シギ)という鳥がいるらしい。千鳥と似ていて河口付近に沢山たむろする様子が葉っぱの文様に似ていることに由来するらしい。
(「???」である。)
鉢には名前札が2本挿してあって、「ムラサキイセハナビ」と「ガザニア」とあったが、これはそのいずれとも違うもので、ヒメヒオウギの白バージョンといったところか。
多分ガザニアを植えていた覚えがあるので、ムラサキイセハナビの種が飛んで来て鉢を占拠し、名札を付け替えさせた後に、又もや鎮座したと思われる。
問題はこれは種が飛んで増えるものではなくて、根からはびこるものだから鉢に生えた以上は人間の手が介在したことになる。
もっとも花の名前をすぐ忘れるくらいだから、植えたこともすぐ忘れたのだろう。
こうして、植えた覚えもなく名も忘れ去られた花がしばしば咲くのである。
花が咲くのは嬉しいものの、名前を忘れて思い出せないのは情けない。