昨日のトトロの森から川辺川沿いに下る。
高速道路の取り付け道路から球磨川鉄道などの踏切を越えて「十島菅原神社」へ向かう。
ナビが無ければとても行き着けないややこしさ。
私としては神社の佇まいが、とても興味があったので外せなかった。
▲(十島菅原神社)
神社の屋根は神殿・拝殿ともに茅葺きで高床式の骨組みが素晴らしい。
国の重要文化財に指定されている神社。
神殿の周りは池で、小さな島が十箇所設けられているため十島(としま)菅原神社と呼ばれている。
”としますがわら”を「とおします・・」とやや引っ張って読むと「通します」となる。
受験シーズンともなると参拝者が多いとか・・・。
▲(神社敷地内の木の切り株)
神社の周辺はとても開けていて、普通に見慣れた鎮守の森の神社の佇まいとは異なる。
広い敷地には、木の切り株がゴロゴロ。
古い切り株は苔が生えていたが、外側になるほど切り株が新しくなっていた。
国指定の重要文化財であり、尚且つ茅葺き屋根という特性上火災・類焼などが一番怖い。
神殿の周りが池になっているのも理にかなっている。
近くには湧水の防火用水や、消防施設が整えられていた。
さて、引き返して人吉市内から球磨川を越えて、人吉城趾へ向かう。
▲(人吉城趾)
▲(人吉城趾:大手門付近の石垣)
”荒城の月”は滝廉太郎作曲、作詞は土井晩翠。
滝廉太郎は故郷大分の竹田城をイメージして作曲したとか・・。
土井晩翠は故郷の人吉城を思いつつ作詞したのではと、私は勝手に思っている。
▲(武者返し?の石垣)
武者返しの石垣は、清正の築いた熊本城が有名。
ただ、人吉城の石垣の特徴は最上部に大きな平たい石を70cmくらい出した状態で設置。
けっこうな武者返し状態。
▲(水の手門跡)
球磨川から船着場を経て直接入門出来る「水の手門」がある。
普通の城では珍しい門。
▲(球磨川と人吉市街)
石垣の上から球磨川を見下ろすと、まだ水害の跡が生々しく復旧工事が進められている。
市街地も、国宝の青井阿蘇神社の門前の橋が被害を受けるほどの水害に見舞われた。
一度は白紙撤回された上流川辺川のダム計画が再開されるようになったのも人吉・球磨地方の大水害が発端。
大いなる自然の恵みと水害抑止の措置とのバランスが難しい。
阿蘇白川の穴あきダム完成に続きここでも、巨大穴あきダムの建設が始まろうとしている。
「闇の森鳥語虫語に植物語」・・・しろ猫
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