江津湖は熊本市の南東部に位置する瓢箪のような形をした湖である。
ひょうたんのくびれた部分から上を上江津、下の部分を下江津と呼んでいる。
(上江津湖)
ボート乗り場があったりして、昔から屋形船などの船遊びも盛んで民謡にも歌われている。
一般的に江津湖といえば、私がいつも行く下江津湖と違って、ここ上江津湖をイメージする人が多い。
(水前寺のりの自生地)
水温が年間を通してほぼ一定の、この地域では古くから淡水の海苔(水前寺海苔)の産地であったらしい。
深過ぎず浅過ぎず、小さな砂利質で穏やかな流れ等々条件が揃った場所しか自生しない。
細川藩は幕府への献上品として活用していたらしい。
今では、特定の場所でしか生育しないので、国の特別天然記念物として管理されている。
江津湖一帯はすべて湧水地域で何処でも水が湧き出ているが、流れ込む小河川もほぼ湧水である。
(湧水を集めた川)
一番の源流は水前寺公園の方向から流れてくる。
加勢川と表記される場合もあるが、散策路の掲示板には水前寺川と書かれていた。
(水前寺川)
江津湖に一旦流れ込んで、下江津湖から流れ出るときは加勢川と名前を変えて緑川と合流し有明海にそそぐ。
加藤清正が水前寺方向から南へ長大な堤防を築き、下流域に広大な田んぼを作り上げたとき堤防の内側の湧水を加勢川として緑川まで導水したのが江津湖の始まりであり、加勢川の始まりである。
(水前寺川の護岸堤防)
水前寺公園に近づいてくると川幅は狭くなり、民家や茶店が狭い道路を挟んで川岸に迫ってくる。
水面を見ながら歩いていると、この護岸の下部構造が独特であることに気がついた。
湧水という観点から川面を見詰めるという事がなかったので、今まで気づかなかった。
コンクリート構造物の下部は穴あきになっていて、川底まで続いていない。
脇から水か湧き出ている箇所もあって、ここが水前寺公園の池の水と繋がっていることがわかる。
熊本地震の後、水前寺公園の池の水か極端に少なくなって、干上がってしまうのではと皆が心配したものだ。
幸いしばらく日が経つにつれ水が増えていき、今はかつてのように綺麗な湧水の池にもどった。
往復一万歩ちょっとの散歩道だった。
面白いモノにも出くわしたがそれはまた明日のことにしよう。
「水色という色はない水の色」
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ひょうたんのくびれた部分から上を上江津、下の部分を下江津と呼んでいる。
(上江津湖)
ボート乗り場があったりして、昔から屋形船などの船遊びも盛んで民謡にも歌われている。
一般的に江津湖といえば、私がいつも行く下江津湖と違って、ここ上江津湖をイメージする人が多い。
(水前寺のりの自生地)
水温が年間を通してほぼ一定の、この地域では古くから淡水の海苔(水前寺海苔)の産地であったらしい。
深過ぎず浅過ぎず、小さな砂利質で穏やかな流れ等々条件が揃った場所しか自生しない。
細川藩は幕府への献上品として活用していたらしい。
今では、特定の場所でしか生育しないので、国の特別天然記念物として管理されている。
江津湖一帯はすべて湧水地域で何処でも水が湧き出ているが、流れ込む小河川もほぼ湧水である。
(湧水を集めた川)
一番の源流は水前寺公園の方向から流れてくる。
加勢川と表記される場合もあるが、散策路の掲示板には水前寺川と書かれていた。
(水前寺川)
江津湖に一旦流れ込んで、下江津湖から流れ出るときは加勢川と名前を変えて緑川と合流し有明海にそそぐ。
加藤清正が水前寺方向から南へ長大な堤防を築き、下流域に広大な田んぼを作り上げたとき堤防の内側の湧水を加勢川として緑川まで導水したのが江津湖の始まりであり、加勢川の始まりである。
(水前寺川の護岸堤防)
水前寺公園に近づいてくると川幅は狭くなり、民家や茶店が狭い道路を挟んで川岸に迫ってくる。
水面を見ながら歩いていると、この護岸の下部構造が独特であることに気がついた。
湧水という観点から川面を見詰めるという事がなかったので、今まで気づかなかった。
コンクリート構造物の下部は穴あきになっていて、川底まで続いていない。
脇から水か湧き出ている箇所もあって、ここが水前寺公園の池の水と繋がっていることがわかる。
熊本地震の後、水前寺公園の池の水か極端に少なくなって、干上がってしまうのではと皆が心配したものだ。
幸いしばらく日が経つにつれ水が増えていき、今はかつてのように綺麗な湧水の池にもどった。
往復一万歩ちょっとの散歩道だった。
面白いモノにも出くわしたがそれはまた明日のことにしよう。
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