カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

周回遅れも悪くない

2013-12-10 10:31:49 | 日常あれこれ

周回遅れで最先端などということは最近よく耳にする。

環境に優しい新時代の交通システムなどと言われている路面電車などがその例である。

我が家でも、周回遅れの現象が庭を明るくしてくれている。

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「モミジの紅葉」

毎年小振りの葉っぱは黄色くなると落ちてしまう。もう正常な葉は既に落葉している。

ところが今年は台風で枝の先端の葉っぱだけ飛ばされて無くなり時期外れに大きな青葉が芽をふいてきた。

それが、急な寒さにぶつかって赤く紅葉してはじめた。

「青鴫立」というモミジで小さな青葉の頃が見頃の種類らしく、黄色で終わる紅葉は青葉の清々しさには及ばない。

ところが、周回遅れの大きな葉は真っ赤になって楽しませてくれている。

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「ハゼの紅葉」

部屋の中で一葉ずつ黄色になって落ちていたので、寒い屋外に出したら思い出したように正常に紅葉し始めた。

出すのが遅かったので、例年より一周遅れになってしまった感がある。

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「ブルーベリーの紅葉」

これはひょっとすると、周回遅れではなく一周早い状況なのかもしれない。

思へば去年は白い雪の中で紅葉していたような気もするのだ。

さてさて、時期外れには意味もある。

想像しながら眺めるのも面白い。

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12月8日雑感

2013-12-08 11:27:58 | 人声人語

1941年12月8日は太平洋戦争への突入を宣言した日である。

日本人にとっては忘れてはならない日である筈なのだが、メディアで取り上げられることも珍しくなってしまった。

そして取り上げる場合も、日本がこの日を境に悲惨な戦争に突入し多くの犠牲を払うことになったのだという論調である。

この辺りにメディアの幼稚ともいえる無自覚さが見て取れる。

当時の日米双方の白黒戦闘映像を流しながら淡々と歴史年表風に展開してみせて、「はい、今日は何の日?の一丁上がり!」なのである。

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里山に登るにしても、幾つもの分岐点がある、紹介するにしても確かめてみて迷いそうな分岐点はちゃんと示す必要がある。

そして、往々にして狭い方や悪路の方が登山道であったりするのだ。

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当地では名前の知られた山でも道標が建っていることはまれである。

その重要な分岐点の認識があまりにも現在のメディアには希薄ではないのか。

運命の日は開戦のその日にあるのではない。

その日を許容したというよりも、威勢の良い世論形成でむしろ積極的に協力したという後ろめたさが以前のメディアには確かにあった。

その自責の念のようなものが今に継承されているとは思えない。

如実な例は、衆参両院のねじれ批判の先頭に立つ事ことへの疑問が感じられなかったこと。

ねじれ解消の結果、一気に多数決原理が機能するようになった今国会で多数の法案が成立し、決められる政治へと転換が図られた頃、成立した法案に批判の真似事をはじめたこと。

里山への登り口も、歴史の転換点も突然には現れない。

分岐点に立ってミスリードしないようにという、緊張感や重大な役割への誇りといったものを持てないようなら、いさぎよく旗を降ろしパパラッチにでも専念した方がよい。

歴史を軽ずるものは、いつかの迷い道であったことすら安直に見逃し、そして・・・また迷う。

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バナナの木

2013-12-06 17:03:15 | 日常あれこれ

先日登った里山の中腹付近で少し違和感を感じたことが二つある。

一つは、山からの湧き水で水道を賄うほどに恵まれている筈の山里で大きな溜め池が作られていたこと。

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そしてもう一つは、この寒い季節にバナナが成っていたことである。

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水については、飲み水と田んぼでは所要量が違うということや、田んぼの水不足の悲劇の歴史のなせる事なのかも知れない。

しかしながらバナナは異質である。

この後このバナナの運命はどうなるのだろうか。

集団で密生して生えていた一角は西向きで山道が大きくU字にカーブする場所だった。

ひょっとしたら冷たい風が遮られ、南向きではないものの西陽を長く浴びられて保温の状態が比較的良い場所なのかも知れない。

それにしても師走にバナナとは・・・・。

誰が植えたのだろうか。

人も住まない山道で突然見かけたバナナを見ながら空想するに、植えた当人はそれなりの思い入れがあったわけで、ひょっとしたらモノになった時代もあったのかもしれない。

自家製の青いバナナの食べ方など今の私達には知識の持ち合わせがないだけで、煮たり蒸したりした南方系の食べ方があったかも・・・。

我が家では、ここ1年くらい前から毎日1本以上のバナナを食べている。

手術の後、便秘はよろしくないというので特に野菜とバナナそれに季節が来ればリンゴなどを意識的に食している。

もともと便秘はしないほうであったが、痔が悪くなることはあった。

それもこの頃はまったく症状が出なくなった。

リンゴに比べて圧倒的に安いバナナの流通が少し気になるが、高すぎるよりはいい。

あの山あいのバナナも、高嶺の花であった頃植えられたのかも知れない。

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来なくていいぞ誕生日

2013-12-04 16:46:36 | 日常あれこれ

今日は私の誕生日である。

新聞の読者のコーナーに川柳を投句したが、まったく一顧だにされなかった作句がある。

その作品がこの一句である。

「また来たか来なくていいぞ誕生日」

なるほど、さもありなん。これじゃ無理だわね。

「誕生日をどうして欲しい?」と配偶者が訊くので「何もせずに放ったらかしておいて欲しい」と答えると「ふ~ん」とやや不満気なリアクションだった。

夕方には帰ってくる、それから鍋にしょう。と、言って出かけてしまったので、本を読むことにした。

Dscn0928

「七つの顔の漱石」出久根達郎(著)2013.5.20晶文社(刊)

先日の演劇「庭に一本なつめの金ちゃん」の開演前に脚本を書いている作者の出久根達郎氏が登場しての対談があったのだが、その際に紹介された新刊3冊の内の1冊である。

漱石については、いろいろ沢山な人が紹介しているので凡そは分かっているが、今回初めて知ったのは漱石が結構なスポーツマンで、器械体操は名手でテニスとかボートに卓球・乗馬・弓・水泳と何でもこなしており、そのレベルも相当なものだったらしいということだ。

もう少しこのスポーツを継続して、健康管理に役立てていれば血を吐いて苦しむようなことにはならなかったのではとも思うが、漱石の気質ではなるべくしてなったとしか思えない。

今ひとつは鏡子夫人の書簡が紹介されているが、字や文体がとても漱石に似ているということらしい。奥さんの書簡を通じて漱石の様子が窺いしれるとも作者は述べている。

漱石が熊本の五高に教授として赴任後当地で結婚しているし、市内をあちこち転居しているが現在保存されている。

2つの旧居については、配偶者と共に訪れたことがあるので、何となく親しみがもてる。

鏡子夫人は悪妻だったと思われている節もあるが、東京の都会から言葉も不便な田舎の熊本での新婚のスタートは不安と不満があるのは当たり前で、慣れない土地でよく頑張っていたのではあるまいかと思う。

二男七女というから、夫婦仲が思わしくなくて出来る子供の数ではない。

そう言えば、我が夫婦も初めての子供は北海道に赴任して最初の冬に誕生したので、初産と初めての土地と初めて迎える北海道の寒さに不安がいっぱいだったのを思い出した。

その時の息子も大きくなって、何年か前には自分の産まれた土地を見てみたいと北海道に飛んでいったことがある。

我が家は一男一女、漱石夫妻には及びもつかないがそれなりに生き延びている。

などと書き連ねていたら、配偶者が帰ってきたようだ。

今日の鍋の具には、少こ~し気合いが入っている予感がする。

折角だから、いつもより少し多めのお酒を頂きながら「来なくても良い誕生日」を祝うとしようか。

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感覚雑感

2013-12-02 16:41:53 | 日常あれこれ

今の時期に野山で目立つのは赤い実ですね。

植物も鳥などに種を運んでもらうために色々工夫をした結果でしょうか。

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この柿の実などは完全に鳥へのプレゼントでしょうかねえ。

皮を剥いて干し柿にするには少し時期が過ぎたような気もしますし・・・。

収穫した柿の木にもちゃんと鳥のために何個かは残してあるものです。

Cimg4715

我が家の庭のピラカンサスの実も真っ赤に色づきました。

まだ山には餌になる沢山の実が有るのでしょうか、今年はまだ来ませんね。

たしか去年は鳥が食べ始めて2~3日で無くなりました。

朝晩の冷え込みは少しずつ厳しくなっていますが、師走ですと言われると途端に身構える癖がついているので、師走にしては暖かいような等と勝手なことをのたまってしまうのです。

語感や皮膚感覚など、とかく人間の感覚は当人の置かれた状況や思考の違いによって変わってくるものです。

嬉しい行事の日の朝は、どんなに寒くてもぱっと起きられますから・・・・。

さて師走の詠み始めの一句といきましょうか。

「木枯らしに越冬ツバメ覚悟あり」

なかなか覚悟が決まらないのは人間のようでして・・・。




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