ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

夏祭りの色

2016-08-05 00:32:55 | 
長きにわたる曇天を掻き分け、太陽が顔を出し、大声を張り上げる

冷房を入れても、喉は冷たいものを欲しがり

僕は自分で補充した自販機で冷えた缶コーヒーを買う


7時を過ぎてもまだ明るさが残っている

僕は店を閉め、歩いてドラッグストアに向かう

途中、微妙な距離感で踏切が鳴り始めた

降りてくる遮断機を見ながら、僕は走り出し、軽く背を丸めてくぐった

走って生きてた遠い昔を思い出していた

彼から見たいまの僕は、どう評価されるのかな

そんな蔑むような眼を向けないで欲しい

哀れむような眼もいらない

君の言いたいことはわかるよ

それでも僕は、まだこの世にしがみついているんだ


彼方で響く太鼓の音

着物のおばさんのグループとすれ違い、後ろから少女たちの楽しげな声が聞こえた

僕は少しだけ長い瞬きをした

遠い夏祭りの色が映った






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三軒家万智

2016-08-03 23:16:30 | ドラマ
真田太平記、全12巻読み終えました。読書人でもない自分にとっては長かった。しかし、さすが池波先生。三流読者の自分にさえ、あの長編を読破させてしまう筆力、素晴らしいです。歴史好きでまだ読んでいない方がおられたら、おすすめです。それにしても真田信之(幸村の兄)は長生きですね。93歳ですよ、あの時代に。

さて、北川景子主演の「家売るオンナ」。面白い。北川さん演じる三軒家万智という強烈なキャラクターは彼女のはまり役といえるでしょう。

美人で、仕事もできすぎるぐらいにできる。しかし、あまりにも凛としすぎて近寄り難い。これは北川さんのイメージと被るところがあります。だから彼女も演じやすいし、楽しいのではないでしょうか。それが見ている側にも伝染してくる感じですね。

北川さんに注目したのは「筆談ホステス」というドラマからでした。確か母親は田中好子さんだった。当時は「美人だけど演技が下手」的な風評が耳に入り、自分も詳しくないから「そうなのか」と思っていましたが、筆談ホステスの演技を見て、上手下手はともかく、懸命に、ひたむきに演じている事は伝わってきました。こういう人は大体、伸びてきますね。

ドラマ放映中の8月の誕生日で年齢的な節目を迎える北川さん。そのタイミングで記念碑的な作品に出会えたのではないでしょうか。

彼女と同じ8月22日生まれの女優といえば菅野美穂。いよいよ秋から完全復帰となりそうです。朝ドラでは主人公の母親役。そしてTBS系金曜10時の「砂の塔」で4年ぶりの主演。また彼女の演技が見られるのは嬉しいです。
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千代の富士死す

2016-08-01 22:00:48 | スポーツ
元千代の富士が亡くなりました。非常に残念です。まさに僕らの少年時代のヒーローでした。

彼が横綱に駆け上がる1年前、いったい誰がそれを予想できたでしょう?左前褌を取っての一気の速攻と、番付を駆け上がるスピードが見事にリンクしたのです。

僕の少年時代のヒーローは初代貴ノ花と千代の富士です。昭和50年代、まだ子供たちは休み時間など、砂場で相撲を取っていました。僕は細かったので、貴ノ花や千代の富士になりきって、泥まみれになっていましたね。決して手を突かず、顔から落ちるという。そんな時代でした。

しかし、千代の富士にも天敵が現れます。元横綱・隆の里。稀勢の里の先代の師匠ですね。一時期、彼には勝てなかった。1年以上、負け続けた記憶があります。隆の里も千代の富士とは違った意味で凄い筋肉の付き方をしていました。肩の盛り上がりがもの凄かった。いまの鳴門部屋の力士の体つきにも亡き親方の面影があります。ほんと力士、横綱って短命だなあ。

隆の里に対する苦手意識を克服した後、台頭してきたのが花のサンパチです。昭和38年生まれ。北尾、小錦,保志、寺尾など。綺羅星の如くでした。特に、小錦と北尾(双羽黒)の圧倒的な体の大きさは、小柄な千代の富士には脅威だったでしょう。しかし、八歳年下の彼らですら、千代の富士を超えることはできませんでした。ちなみにサンパチで最も優勝回数が多いのは保志(北勝海)でした。同部屋の千代の富士に、徹底的に稽古をつけてもらった賜物です。決して体には恵まれてなかったけれど、最大の武器は立合いの鋭い踏み込みにありました。彼がいまや理事長ですから、時は流れました。

優勝回数31回の大横綱・千代の富士にも引退の時は訪れました。引導を渡したのが、千代の富士の憧れでもあった初代貴ノ花の息子、貴花田でした。年齢差17歳。この初日の歴史的一番は、記憶に残っている人も多いと思いますが、僕の印象深いのは二日目の板井戦です。勝ったのですが、捕まえるまで時間がかかり、明らかに集中力がありませんでした。気持ちが切れたことを感じました。

翌日、貴闘力に敗れた千代の富士は「体力の限界。気力もなくなり引退することになりました」の名言を残し引退。年寄陣幕(のち九重)を襲名しました。

今場所の日馬富士の相撲を見て、若き日の千代の富士の相撲を思い出していたところです。立合いから勝負を決めにいく取り口は、近代相撲の祖といっていい。これから千代の富士のような日本人力士は二度と現れることはないでしょう。残念です。ご冥福を祈ります。
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