四月十一日(月)曇り。
「週刊文春」の四月十四日号を見てブツ飛んだ。「菅直人、震災翌日『献金韓国人』に口止め電話」とのスクープ記事が目に付いたからだ。外国人から献金を貰って、知らん顔をしていた菅はどうしようもないが、渡した方は、善意で出したのだから、余り厳しく書かれたら可哀想だ。
実は、そのK氏は、私も良く知っている人で、氏の経営する会社では、私の友人も勤めているし、K氏とお付き合いのある人も、何人か知っている。まあ様々な商売をしているので、敵もいるかもしれないが、決して悪い人ではない。菅に百万渡したからと言って、何か頼むほどの小物ではないことは事実だ。
「文春」に出ていたが、一緒に「釣り」をしたと言われる船も、確か、以前は私が関係していた会社が所有していたクルーザーだと思う。そうだとすると、操船したのは私の友人だ。
更に私の記憶が間違いでなければ菅義偉氏の事務所のあるビルは、その社長の奥さんの名義のビルではなかったか・・・。
しかし贈収賄事件でもないので、小遣いを渡したほうが、何か悪いように書かれるのは、どうかと思う。以前、その方の仕事を共通の友人から依頼されて、少々動いたことがあったが、ウンでもなければスンでもなく、間に入った友人の顔もあるので私もそのままにしておいたら、私が話した相手から抗議の電話が入って困ったことがあった。随分と前の事なので、そんな出来事も忘れていた時にこの記事だ。今回の大震災ではないが、災難は忘れた頃にやってくる、の例えそのままだ。
菅総理も原発もメルトダウン状態と言った所か。
夜は、名前だけは真面目な「蜷川政経懇話会」を、同級生が経営する野毛の「弥平」にて開催。元自衛官の義一兄いは、今回の自衛隊の災害出動を自分の事のように喜んでいた。そして、「こんなに自衛隊が国民から信頼と期待を寄せられたことはない」とも。
また「俺が現役の頃は、訓練をしていると、心無い連中から『税金ドロボー』と罵声を浴びせ掛けられたものだが、正に隔世の感がある」と話していた。
終了後は、友人の奢りで関内に転戦。久し振りに傾城と傾国に酔う。仕上げはサリー姐さんのお店へ。その後、サリーを誘って寿司屋で仕上げ。友人の皆さんにスペシャルサンクス。