四月二十四日(日)晴れ。
大学のOB会が横浜のホテルで開催され、そのホテルに泊した、隠岐康、大島隆の両社友と共に、中華街で待ち合わせて、香港小路の「安記」へ。今日を期してしばらく禁酒をしようと思っているので、深酒をしない程度に紹興酒を楽しんだ。
いつもの、「モツ皿」「シュウマイ」「レバ皿」「蒸し鳥」をオーダーして乾杯。今日は日曜日ということもあって、昼時に行ったら並ぶハメになるので、十一時前に店に入ったのが正解。表で順番を待つ客を尻目に、幾たびか乾杯を重ねた。気の合う人たちと、好きな店でする食事ほど人生に潤いを与えるものはない。
地震や原発で苦労しているだろう郡山の盟友の話になり、落ち着いたら激励会を催そうとの話になる。
千葉の自宅に戻るという、大島、隠岐の両氏と別れて、食後は、中華街を散歩して解散。私と愚妻は、健康の為に歩こうと、中華街から関内、伊勢佐木町を経由して、京急の井土ヶ谷駅まで歩いた。所要時間二時間。疲れたが、普段車に乗っていては見ることのできない景色を楽しみながらの散歩だった。
自宅に戻ってから、シャワーを浴びて、少し昼寝してから、「実話ドキュメント」の連載原稿にかかる。現在、私が子供の頃の日本の世相と、生まれ育った横浜と、その歴史をからめて、「わが生い立ちの記」というものを書かせて頂いている。回顧録を書く柄ではないので、還暦を過ぎた、「忘れ残り」を書いているに過ぎない。今回はその四回目。「ドキュメント」で編集のお手伝いをしている横山孝平君の校正で読みやすくなっていることに感謝。まとまったなら一冊の本にしてみたいと思っている。