白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「安記」で飲んでから二時間歩いた。

2011-04-29 13:28:08 | インポート

四月二十四日(日)晴れ。

 大学のOB会が横浜のホテルで開催され、そのホテルに泊した、隠岐康、大島隆の両社友と共に、中華街で待ち合わせて、香港小路の「安記」へ。今日を期してしばらく禁酒をしようと思っているので、深酒をしない程度に紹興酒を楽しんだ。

 いつもの、「モツ皿」「シュウマイ」「レバ皿」「蒸し鳥」をオーダーして乾杯。今日は日曜日ということもあって、昼時に行ったら並ぶハメになるので、十一時前に店に入ったのが正解。表で順番を待つ客を尻目に、幾たびか乾杯を重ねた。気の合う人たちと、好きな店でする食事ほど人生に潤いを与えるものはない。

 地震や原発で苦労しているだろう郡山の盟友の話になり、落ち着いたら激励会を催そうとの話になる。

 千葉の自宅に戻るという、大島、隠岐の両氏と別れて、食後は、中華街を散歩して解散。私と愚妻は、健康の為に歩こうと、中華街から関内、伊勢佐木町を経由して、京急の井土ヶ谷駅まで歩いた。所要時間二時間。疲れたが、普段車に乗っていては見ることのできない景色を楽しみながらの散歩だった。

 自宅に戻ってから、シャワーを浴びて、少し昼寝してから、「実話ドキュメント」の連載原稿にかかる。現在、私が子供の頃の日本の世相と、生まれ育った横浜と、その歴史をからめて、「わが生い立ちの記」というものを書かせて頂いている。回顧録を書く柄ではないので、還暦を過ぎた、「忘れ残り」を書いているに過ぎない。今回はその四回目。「ドキュメント」で編集のお手伝いをしている横山孝平君の校正で読みやすくなっていることに感謝。まとまったなら一冊の本にしてみたいと思っている。


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山口申先生の勉強会に出席。

2011-04-29 13:13:47 | インポート

四月二十三日(土)曇りのち雨。

 午後から東京行き。まず御徒町にて、戦前の右翼・民族派団体をまとめた事典を出版する作業を行なっているN氏と待ち合わせた。外は生憎の雨。適当な喫茶店が見つからないので、以前、大熊氏と一緒に入った蕎麦屋に入る。

 まだ陽が高いうちに盃を重ねるのには少々気が引けたが、まあそこは雨も降っているし・・・ということを言い訳に打合せを行なった。蕎麦屋に入ったにも関わらず、蕎麦を食べずに一時間ほどで撤収した。

 その後、社友の大熊雄次氏と山口申先生の主宰する憂国青年同盟の勉強会へ参加。まず山口先生が時局解説をしたのちに、犬塚博英民革議長が講演。今回の震災と、今上陛下の玉音放送について解説をして頂いた。歴代の天皇陛下は、国民に天災などの災いが降りかかれば、それは全て、ご自分の徳のなさゆえ、と思い、祈り、ご巡幸をして国民にいたわりを示す。今回の震災でもそうだ。比べるのも失礼だが、菅のあの上から目線の、仕方なく現地を視察する態度と、両陛下の姿勢。被災地の方々はどれほどの励みとなったのか。いつも目頭が熱くなる。

 その後、直会。この勉強会は、終了後に料理名人で、今や民族派の梁山泊の観を呈している。(余計なことだが、私の経験では、そうなると一般の客の足が遠のいてしまうから大変だ)新宿の「フェボナッチ」のママさんが作る料理が楽しみである。また山口先生や、小川勝正先生などの差し入れで舌鼓を打つ。酒量が増すにつれ、談論風発、侃々囂々、喧々諾々、時には杯盤狼籍となることもある。そうならないうちに中座しようと思ったら、犬塚議長から、「帰るなら一曲歌って行け」と言われたが、その甘いささやきに負けると、終電が危うくなる。後ろ髪を引かれる、と言っても引かれるほどの髪の毛もないので、ご免なすってと、ご挨拶して大熊氏と東京駅に向った。ここで大熊氏と別れて横浜へ。

 横浜に着いてから、サリーの店へ。和歌山から上京している大切な友人が来ているとのことで、顔を出したが、すでに大破・轟沈とのことで、会えずじまい。サリーパパなどと、「写楽」で寿司をつまんでから帰宅。


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