白雲去来

蜷川正大の日々是口実

天災も、受け止め方によっては・・・。

2011-07-21 16:44:58 | インポート

七月二十日(水)曇りのち雨。

 今日は、大行社の幹部会議に出席するために東京行き。一時半から会議。四宮正貴、保坂龍廣両先生の後に、ご挨拶をさせて頂いた。

 芭蕉の「奥の細道」の中の句に、「象潟や 雨に西施が ねぶの花 」(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)というものがある。句の意味は、象潟の雨に濡れて咲いている合歓<ねむ>の花は(かの美女の誉れ高い)西施が(目を閉じて)眠っているかのような趣である。(桑原博史監修・三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」より)

 その象潟は、秋田県のにかほ市と言う所にあり、町の観光案内のパンフによれば、「南北約2km、東西1kmの入り江に島々が無数に浮かび、八十八潟、九十九島の絶景の地として、松島と並びその美景を天下に誇りました。しかし文化元年(1804)の大地震で海底が2m40cm隆起し、潟の海水が失われて現在の陸地になりました。水田のなかの美しい島々の姿が、いにしえを偲ばせてくれます」とある。

 芭蕉がこの地を訪ねたのが元禄二年(1689)のことだから、まだ象潟が、南北約2km、東西1kmの入り江に島々が無数に浮かんでいた。その景観を私達は目にすることができないので、芭蕉の句などで想像するしかない。確かに、美しい景観は消えてしまったが、その隆起した土地に、後の人たちは水田を作って稲作を始めた。景色では、人の腹を満たすことは出来ないが、土地があれば、様々なことに利用が出来る。

 正に、災いが転じて福となるの例えどおりである。山紫水明の山河を守ることは大切だが、自然はいつも我々と共存するとは限らない。東北沖の地震と津波のように、時としては、人間に牙をむいて襲い掛かってくる。堤防も風力発電も、確かに景観を壊すが、理想ばかりでは生きて行けないことの難しさを、今回の災害で考えさせられた。

 こんな感じの挨拶を会議の場でさせて頂いた。

 夜は、大行社の会長はじめ、執行部や若い人たちと共に、六本木に行き、お店の十周年のお祝いに参加した。周本昌山副会長に内川徳彦氏と共に横浜まで送って頂き帰宅。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リバウンドの会を開催

2011-07-21 10:52:45 | インポート

七月十九日(火)雨。

 台風の余波で、横浜も雨が降ったり止んだりの天気。今日は、六月に行った断食で知り合いになった方々と、お互いのその後を確かめ合う会を催した。

 名古屋からお一人、豊橋からお二人、東京から三名と私の七名が集合。話題は、もちろんリバウンドについて。しかし、皆さんそれなりに頑張っているようで、体系は変わっていない。

 再会の乾杯は「やまと」にて行なった。ほとんどが「やまと」が初めての方ばかりなので、「だんご揚げ」「生皮揚げ」「もも揚げ」「手羽揚げ」という、ほとんどフルコースを味わって頂いた。私は、ダンゴ揚げを食べたのみで我慢した。

 その後、お決まりのサリーの店に転戦して、お客さんをサリーに紹介する。途中から、宿泊組がお世話になった、社友のY氏が合流。その後、東京組は解散。横浜に泊まる方たちのみで、近所の店に転戦。十一時に解散。楽しい一日だった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人の三回忌。

2011-07-21 10:29:35 | インポート

七月十八日(月)晴れ。海の日。

 午後一時から、サリー夫妻が主催する、「友人を偲ぶ会」に出席するために愚妻と共に関内へ。その友人とはKさん夫妻で、二年前にご主人がガンで亡くなられ、その翌日に、奥さんが後追い自殺をしてしまった。

 私達とも仲良くして頂き、子供達も可愛がって貰った。サリー夫妻が主催する一泊旅行でも度々一緒になり、思い出は尽きない。早いもので、そのお二人が亡くなられて、今年で三回忌となる。

 関内にある、ちょっとオシャレな小料理屋があり、そこに十二名が集合。一周忌の時も同じメンバーで偲ぶ会を催した。亡くなられたKさんと同じ職場の方で、サリーの店のお馴染さんと、仲良しだった人たちである。ちなみに、Kさん夫妻の出会いはサリーの店だった。

 Kさんのご母堂からの手紙を披露した後に献杯。Kさんご夫妻を偲びつつ、三時に解散。その後、野毛の「魚遊」に転戦して納涼会を行った。昼間の酒に酔って、帰宅してからすぐに寝てしまった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする