七月二十日(水)曇りのち雨。
今日は、大行社の幹部会議に出席するために東京行き。一時半から会議。四宮正貴、保坂龍廣両先生の後に、ご挨拶をさせて頂いた。
芭蕉の「奥の細道」の中の句に、「象潟や 雨に西施が ねぶの花 」(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)というものがある。句の意味は、象潟の雨に濡れて咲いている合歓<ねむ>の花は(かの美女の誉れ高い)西施が(目を閉じて)眠っているかのような趣である。(桑原博史監修・三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」より)
その象潟は、秋田県のにかほ市と言う所にあり、町の観光案内のパンフによれば、「南北約2km、東西1kmの入り江に島々が無数に浮かび、八十八潟、九十九島の絶景の地として、松島と並びその美景を天下に誇りました。しかし文化元年(1804)の大地震で海底が2m40cm隆起し、潟の海水が失われて現在の陸地になりました。水田のなかの美しい島々の姿が、いにしえを偲ばせてくれます」とある。
芭蕉がこの地を訪ねたのが元禄二年(1689)のことだから、まだ象潟が、南北約2km、東西1kmの入り江に島々が無数に浮かんでいた。その景観を私達は目にすることができないので、芭蕉の句などで想像するしかない。確かに、美しい景観は消えてしまったが、その隆起した土地に、後の人たちは水田を作って稲作を始めた。景色では、人の腹を満たすことは出来ないが、土地があれば、様々なことに利用が出来る。
正に、災いが転じて福となるの例えどおりである。山紫水明の山河を守ることは大切だが、自然はいつも我々と共存するとは限らない。東北沖の地震と津波のように、時としては、人間に牙をむいて襲い掛かってくる。堤防も風力発電も、確かに景観を壊すが、理想ばかりでは生きて行けないことの難しさを、今回の災害で考えさせられた。
こんな感じの挨拶を会議の場でさせて頂いた。
夜は、大行社の会長はじめ、執行部や若い人たちと共に、六本木に行き、お店の十周年のお祝いに参加した。周本昌山副会長に内川徳彦氏と共に横浜まで送って頂き帰宅。