七月二日(土)曇り。還暦祝い。
本来は、私の誕生日である、三月二十一日に行なう予定であった「還暦の祝い」を、東北地方の大震災の発生で延期をした。百ケ日を過ぎた今日の日を選んだのには訳がある。
百ケ日は、卒哭忌(そっこくき)ともいい、「哭」は、声をあげて泣きさけぶ、「卒」は、終わる、という意味で、故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃、それが百箇日を迎える頃だ、ということから卒哭忌といわれるようになったことを、随分前に本で読んだことがあった。
自粛、自粛では商売をしている人たちはたまらない。中華街も、地震直後から、働きに来ていた中国人の従業員が帰国してしまい、老舗でも五十人以上の宴会が出来ないという状態が続いていたと聞いた。私も、人生の区切りであるし、これからどれほど元気でいられるのか分からない。震災で亡くなられた方々の卒哭忌も過ぎたことでもあるしと、敢えて開催させて頂いた。
本当に、親しくさせて頂いている方々少数と思っていたのだが、この人にも来て頂きたい、あの人にもと、人選をしている内に百名を超してしまった。有り難くも、申し訳ない気持ちで一杯である。特に、社友会の皆さんにはお世話になった。記念にと、モンブランの万年筆を頂いたり、特注のケーキ、お花、そして大熊雄次氏の所の従業員の方からは、特製の赤いスタジャンまで頂いた。普段、彼達には何もしていないのに、このサプライズには感激をした。
更には、愚妻にまでも気を遣って頂き恐縮している。ご参列を頂いた皆様の名前を挙げて感謝をしたいのは山々だが、それも大変なので、この場をお借りして、御礼を申し上げます。
特に、サリーとパパたちの「ファミリー」の皆さん。同級生や、日頃お世話になっているマスコミの方々。もちろん同憂、同志の皆さん。個人的に私を支えて頂いている方々に感謝申し上げます。札幌、新潟、栃木、岐阜、愛知、京都といった遠方から出席頂いた社友の皆さん。松山の矢野隆三会長にも感謝を申し上げます。いい友人に恵まれていると思っています。
打ち上げの席に、来て頂いたカシアス内藤さんにも感謝しております。恩師である野村先生よりも長生きをしていることに忸怩たる思いもありますが、「生かされている」と言うことを大事にしたいと思っております。今後共、ご厚誼の程を伏してお願い致します。
又、出席予定ではありましたが、透析のために欠席なされました久保田准一、小林勝久の両氏のご健康を願わずにはいられません。
※法事の為、心参された元週刊実話の編集長、下村勝二さんから頂いた蘭。陋屋には似合わないが、とてもリッチな気持ちになりました。有難うございます。