七月十一日(月)晴れ。
正午に松本佳展君来訪。十二時半に犬塚博英民族革新会議議長を横浜駅に迎えに行き、そのまま菊水国防連合の三田忠充会長の葬儀の行なわれる会場に向う。
二時からの開式というのに、すでに全国から諸先生、諸先輩、同志の皆さんが三田会長とのお別れに訪れていた。私も入り口でお手伝いをさせて頂く。
実は、菊水国防連合は私の出身母体でもある。国防連合の前身である菊水国防隊に正式加盟したのは昭和四十七年の事。五月に亡くなられた小早川久之先生の指導を受けたのが運動の第一歩だった。その後、縁在って野村先生の門下生となるまで、十一年間在籍した。
三田会長と初めてお会いしたのは、もう二十五年も前の事である。後輩ではあるが三田会長には何かとお世話になった。五十歳というのは余りにも早い逝去である。
犬塚議長、虎の会の盟友の折本満氏らと中華街に行き、弔いの酒。先に逝かれた人たちの思い出を語りながら五時まで。関内駅までお送りして別れた。
夕方の酒で帰りづらくなり、松本君に「やまと」まで送ってもらい一人で一杯やっていたら、どうも退屈なので、カメ&アコちゃん、愚妻まで呼び出しての酒となった。結局九時過ぎまで飲んで、記憶が薄れるまま帰宅した。