白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お世話になっている方の誕生会へ。

2011-11-05 15:03:55 | インポート

十一月四日(金)晴れ。

 珍しく良く寝た。昨夜布団に入ったのが確か七時過ぎ。夜中にトイレに行くので起きて時計を見たら深夜の二時だった。そしてその次に目を覚ましたのが八時。いやはや十一時間も寝ていたことになる。

 

 九時半に歯医者。帰宅してから連載させて頂いている「実話ドキュメント」の第百十二回の原稿を脱稿した。といっても、まだ推敲をしなければならず、入稿は明日となる。

 

 今日は五時からお世話になっている先輩の誕生会が紀尾井町のフレンチレストランにて行われるので電車で赤坂見附へ。話は横道にそれるが、私は、竹内まりあの「駅」という歌を聞くとなぜかこの赤坂見附の駅が浮かぶ。歌の文句のような経験をしたことはないが、その切ない歌が好きだ。

 

 野村事務所が、赤坂のみすじ通りにあった頃は、この駅で降りて事務所に通った。平成の二年の秋から、先生が亡くなられた次の年に、事務所を移転するまでの約五年ほどだ。その頃はまだ、「山王溜池」という駅はなかった。向田邦子さんのお店「ままや」があったり、高級料亭の千代新なども健在で、夜になると狭い通りに高級車が並んでいたものだ。

 

 その後、みすじ通りから七丁目の乃木坂の下に引越して、そこに二年いてから横浜に戻った。みすじ通りの事務所の下にあった本屋も、良く通った豆腐の専門店や、先生の贔屓だった「ちょん寿司」もなくなってしまったが、赤坂見附の駅を降りると、その頃の出来事が脳裏に浮かぶ。

 

 そんなことを思い出しながら、弁慶橋を渡って紀尾井町方向へ歩けば、およそ私の生活とはかけ離れた高級ホテルやブランド品の専門店の看板が目立つ。オープンエアのカフェテリアには場所柄か外人の人たちが多い。その通りに面したフレンチのお店。横浜の田舎者には最も似合わない場所だ。私は、フレンチの料理に添えるあの毒々しい色のソースと、良い歳をした男が、ケーキのことを「スウィーツ」何て言うのを聞くと、寒気がする。

 

 幸いに、フレンチと言っても、貸切の小部屋に出てきた料理は家庭的なものばかりで安心した。そしてそれらの料理のどれもがとても美味しかった。また、幹事を務めた人がこの店の顔なのだろう何と「森伊蔵」が用意されていた。にくい演出とはこのことだ。パーティーも、ごく身内の方ばかりで、とてもアットホームな心温まるものだった。こういった方々に囲まれている主賓が実に羨ましい限りである。

 

 八時近くになって、お世話になっている方々にご挨拶して、横浜に戻った。見附の駅で、もう一度思い出に浸ろうと思ってあたりを見回したが、当然ながら、「見覚えのあるレインコート」を着た昔の彼女などと会うはずもなかった。

Img714 ※私がお世話になっています小川寛大さんが編集をしております季刊「ジャパニズム」が発行されております。是非ご一読をお願い致します。(青林堂・定価933+税)


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