白雲去来

蜷川正大の日々是口実

後輩のご母堂の通夜に出席。

2011-11-19 13:20:38 | インポート

十一月十八日(金)晴れ。

 昼過ぎに、上の子供が帰って来たので、昼食を済ませてから一緒に伊勢佐木町の有隣堂に行った。私は、行き慣れているせいもあって、書店ではこの有隣堂が一番好きだ。本の並びから、何が何処にあるかが瞬時で分かるからだ。初めての書店に行くと、その並びを見つけるのに時間がかかる。エッセイとノンフィクションのコーナーが離れた場所にあったり、書店別に並んでいる文庫も、並びが違うと欲しい本を探すのが億劫になる。

 

 子供が、「幾らまで買っていい」と聞いたので、「三千円まで」と答えたら、持ってきた本の合計は三千五百円だった。子供曰く「五百円は私が出すから」と殊勝なことを言う。ここは一番いい格好をして「心配すんな。それくらいいいよ」と出してあげたが、考えて見れば、子供もたかが五百円ぐらいで父親から威張られてはたまったものではないか。

 私も一冊。沢木耕太郎さんの新刊「ポーカー・フェイス」(新潮社)を買った。沢木さんの本は好きで、殆ど読んでいる。友人のカシアス内藤さんのことを書いた「一瞬の夏」が最初だったかもしれない。名作「深夜特急」には感動したが、ある程度の歳となってから読んだので、私には、いわゆる「バック・パッカー」の旅は出来ないと思った。

 

 私の「旅」とは、のんびりと、美味い料理と、旨い酒と、景色を味わうものでなければ、旅をした気にはなれない。良く、旅を「自分探し」とか言う人がいるが、気色が悪くなる。友人の黒沢博さんの歌ではないが「馬鹿言ってんじゃないよ」。日本にいて、自分と言うものが確立できない者が、旅をして人生や生き方の何が分かるというのだ・・・。まあ人それぞれですからね。

 

 夜は、松本佳展君と共に、後輩の菅生勇人君のご母堂の通夜式に出席。お寺の名前をそのまま駅名にした東横線の妙蓮寺にて行なわれたのだが、その出席者の数の多さには驚いた。千人以上は来ていたのではないか。ご焼香をするのに一時間半も待ったくらいだ。個人のお付き合いの広さに敬服した次第。

 終了後に、先日、社友のカメちゃんに連れていって頂いた中華料理の「愛福楼」にて夕食。カメちゃんとヒデちゃんが合流。小皿料理をつつきながらも紹興酒を一本空にしてから「黒霧島」に変えた。食後は、サリーに香典返しを届けるために関内へ。偶然に会った友人の年ちゃんから、「いつもベロベロだね」と言われたが、私のせいではなく、酒のせいです。十二時近くに帰宅。


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「白雲去来」の事。

2011-11-19 12:46:23 | インポート

十一月十七日(木)晴れ。

 最近気がついたのだが、ブログを更新すると、本文の横に出てくる日付に印がつく。それをクリックすると、当然その日の分が画面に出てくるのだが、一日に三日分を更新しても、その日付の分しか見ることが出来ない。今月の日付を見ると、何と十一日分しかアップしていないようになっている。

 私は、二三日遅れても、基本的には毎日のブログをアップしている。それは、このブログが私の日記であり、備忘録でもあるからだ。したがって、その印の所だけ見ると、余り更新していないように思われてしまう。一日も欠かさないわけではないが、一応、遅れても毎日のことは書いている。

 

 といっても、不特定多数の方に読まれるわけだから、正直言って、その日の出来事の全てを正直に書いているとは限らない。個人的な用事や、名前を出すのは憚れる人たちと会ったときなどは、当然、書くことはしない。日常と全く関係のないことを書いている時は、大体、そういった出来事があった日である。例外は、四五日アップするのを忘れて、五日前の出来事が全く思い出せない日にも、嘘を書くことは出来ないので、全く関係のないことを書いて、日にちのノルマをこなす。

 

 機関誌「燃えよ祖国」にて、その私のブログ「白雲去来」をコンパクトにして掲載していたが、頁数の関係で掲載できないことの方が多い。バックナンバーを見たら、最後に掲載したのは、一七五号の平成二十年の十一月の「白雲去来」であった。考えて見れば三年も前の私の日常を掲載しても仕方がないので、現在製作中の最新号では、二ヶ月前の九月の出来事を掲載することにした。まあ私のくだらん「酒中日記」にお付き合い下さい。

 

 今日は、何処にも出かけずに一日自宅にいた。夜は、ほとんど飲まずに休肝日?とした。


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