白雲去来

蜷川正大の日々是口実

憂国忌

2011-11-27 08:43:39 | インポート

十一月二十五日(金)晴れ。憂国忌。

 歳のせいか、何時に寝ても七時ぐらいには目が覚めてしまう。食後にパソコンに向っていると、寝不足と目が疲れて、ついウトウトしてしまう。気がつくと椅子で寝ている。気をつけなければ。

 

 今日は、憂国忌である。言うまでもなく昭和四十五年のこの日、市ヶ谷台の自衛隊東部方面総監室において自決なされた三島由紀夫、森田必勝両烈士のご命日。元日本学生同盟(日学同)の人たちが中心となって追悼祭「憂国忌」を開催している。そして今日、その「憂国忌」は季語となって定着している。

Photo

  三島由紀夫烈士辞世
 益荒男がたばさむ太刀の鞘なりに 幾年耐えて今日の初霜
 散るをいとふ 世にも人にも先駆けて 散るこそ花と吹く小夜嵐

 

 私は、この、いわゆる「楯の会事件」に触発されて民族派運動に入った。人生に「もし」はないが、敢えて言うならば、もしその事件がなかったならば、きっと私の人生も違ったものになっていたのに違いあるまい。当然、野村先生との出会いもなかった。もちろん我が人生に悔いなどない・・・。

 

 久し振りに「朝まで生テレビ」を見た。例の「暴排条例」の特集で、木村三浩氏や宮崎学氏など旧知の方が出演して、治安維持法に変わろうとする稀代の悪法(条例)に対して、堂々と論戦を展開していた。私は、警察官は好きだが、現場を知らない警察官僚などの作る条例や法律は、最初から「危ない」という先入観がある。久し振りに見ごたえがあった。それでも、その場に野村先生や遠藤誠先生がいてくれたならばと、しみじみ思った。


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野分祭

2011-11-27 08:04:46 | インポート

十一月二十四日(木)晴れ。野分祭。

 今日にかけてかねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは野分のみかは

 

 昭和四十五年十一月二十五日に、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室において、憲法の改正、自衛隊の国軍化などを訴えて三島由紀夫烈士と共に自決なされた、森田必勝烈士の決起前夜に思いを馳せて毎年この日に「野分祭」が行なわれる。

 

 随分と前の事だが、私も発起人に名前を連ねたことがあった。何回目の野分祭か失念したが、正座してお祭りを行なったことがあった。だらしないことに一時間以上も正座する生活など殆どしたことがない私には、足が痺れて本当に辛かった。正直言って、玉串奉奠に指名されないようにと下を向いていた。ある同志が、指名され立とうと思ったら倒れてしまったのを見て、ますます身をすくめた。

 

 そんな会場の雰囲気を察したのだろう、司会の犬塚博英さんが、「森田烈士が腹を切った痛みに比べたら、足の痺れぐらい何だ」と言うようなことを話された。それを聞いた途端、足の痺れを感じなくなった。というのは嘘で、這ってでもその場から逃げ出したくなった。

 野分祭に参加すると、いつもその時の事が頭に浮かぶ。そして私の腸の腐り止めとなっていてる。

 

 一水会の若い人が読む檄文を聞いていて、自堕落な日々を過ごしている自身を反省するばかりである。三島烈士が市ヶ谷台において自衛隊員を前に訴えた言葉を今一度噛みしめて見たいと思っている。

 

 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

 

 終了後に、大熊雄次氏に誘われて、松本佳展君と共に湯島のお蕎麦屋さんにて食事。


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