十一月二十五日(金)晴れ。憂国忌。
歳のせいか、何時に寝ても七時ぐらいには目が覚めてしまう。食後にパソコンに向っていると、寝不足と目が疲れて、ついウトウトしてしまう。気がつくと椅子で寝ている。気をつけなければ。
今日は、憂国忌である。言うまでもなく昭和四十五年のこの日、市ヶ谷台の自衛隊東部方面総監室において自決なされた三島由紀夫、森田必勝両烈士のご命日。元日本学生同盟(日学同)の人たちが中心となって追悼祭「憂国忌」を開催している。そして今日、その「憂国忌」は季語となって定着している。
三島由紀夫烈士辞世
益荒男がたばさむ太刀の鞘なりに 幾年耐えて今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも先駆けて 散るこそ花と吹く小夜嵐
私は、この、いわゆる「楯の会事件」に触発されて民族派運動に入った。人生に「もし」はないが、敢えて言うならば、もしその事件がなかったならば、きっと私の人生も違ったものになっていたのに違いあるまい。当然、野村先生との出会いもなかった。もちろん我が人生に悔いなどない・・・。
久し振りに「朝まで生テレビ」を見た。例の「暴排条例」の特集で、木村三浩氏や宮崎学氏など旧知の方が出演して、治安維持法に変わろうとする稀代の悪法(条例)に対して、堂々と論戦を展開していた。私は、警察官は好きだが、現場を知らない警察官僚などの作る条例や法律は、最初から「危ない」という先入観がある。久し振りに見ごたえがあった。それでも、その場に野村先生や遠藤誠先生がいてくれたならばと、しみじみ思った。