十一月二十三日(水)曇りのち雨。新嘗祭。
起床後に、玄関に日の丸を掲げ、皇居を遥拝。併せて今上陛下の一日も早いご平癒とご退院を祈願する。
今日も、夕方まで、機関誌と「大吼」の編集作業に追われた。五時に自宅を出て、蒲田行き。六時から大行社の植田信春氏が毎年行なっている「新嘗祭感謝の集い」に出席。
定刻前に蒲田に着いたので、アーケードの商店街を少し歩いた。蒲田は懐かしい町だ。野村先生が、河野邸焼き討ち事件にて出獄してから住んだのが、この蒲田。しばらくして、蓮沼という駅の近くに「山河」というスナックを開店する。しかし、そのお店は民族派の梁山泊のようになり、その分一般のお客さんの足が遠のいた。
その「山河」で、様々な人たちとの出合いがあった。見沢知廉氏のご母堂と初めてお会いしたのも「山河」だった。そんなことを思い出しながら、二〇分ほどぶらぶらしてから会場入りした。
今日の集いに来ている人の殆どが知った顔で、楽しかった。植田氏から言われて祝辞を述べた。終了後に、内川、小針、村田の諸氏と共に横浜に戻り「やまと」にて二次会。「祝う会」にて多少食べたので、「やまと」では、「だんご揚げ」「生皮揚げ」をビールの肴にした。村田氏は「やまと」デビュー。お祝いに「もも揚げ」をプレゼント。十時前に帰宅。
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