十一月十一日(金)雨。
寒い朝である。考えて見れば二の酉が近くなって、寒いのは当たり前かもしれない。子供の頃は、二の酉に行く時は、オーバーなどを着て出かけたものだ。それを考えると近年は随分暖かくなっているのだろう。
産経の神奈川版で知ったのだが、横浜の港の近くにある日本郵船の歴史博物館に、日露戦争の際に、ロシアのバルチック艦隊を発見した信濃丸から連合艦隊に発した「敵艦見ゆ」の無線に対して、東郷平八郎が贈った「感状」の実物が展示されているという。
信濃丸は、北米定期航路に就航していた日本郵船の貨客船であったが、当時は海軍に徴用され、仮装巡洋艦として連合艦隊に編成されていた。明治三十八年の五月二十七日、対馬海峡に姿を見せたバルチック艦隊を発見し「敵艦見ゆ」と打電した。これを受けて東郷長官が秋山真之に命じて大本営に打電したのが、かの有名な「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」である。
この時に、連合艦隊の一等巡洋艦である「日進」では粋な命令が出た。「酒のほか、酒保(軍隊の宮内にあった日用品や飲食物を売る売店)許す。銭は要らん。勝手に食え」というものである。艦の売店で売っている酒以外のものを全部タダで食べて良いという命令である。戦闘で艦が沈んでしまえば、酒保もあったものではない。兵員は、歓声を上げて酒保に群がったという。ちなみに戦艦「敷島」では酒が許された。
信濃丸に対する「感状」は、日本海海戦終了後の六月二十日東郷長官から贈られた。「確実迅速ナル警報ハ連合艦隊ノ作戦ヲ利セシコト少ナカラス其功績大ナリトス」などと記されているそうだ。歴史博物館ではこれまで複製を展示していたが、信濃丸の艦長の遺族から昨年、実物を寄贈され展示した。初公開に合わせて「近代日本の歩みと日本郵船」というコーナーを特設している。興味のある方は、訪れてみてはどうでしょうか。(来年一月二十九日まで。一般四百円。問合せは045-211-1923)
今日も自宅でのんびりしたが、残念ながら休肝日とは行かなかった。残念。皇居の勤労奉仕から戻った松本佳展君が来訪して、宮内庁でしか売っていない「御苑(みその)」という芋焼酎を届けてくれた。お疲れ様でした。