白雲去来

蜷川正大の日々是口実

時が過ぎるのではなく、人が去って行く。

2013-10-16 23:39:23 | インポート

十月十一日(金)曇り。

今日は、私の道の兄であった、元楯の会の阿部勉さんのご命日である。私が勝手に「御楯忌」と名づけている。阿部さんは平成十一年の今日肺癌で、薬石の効無く亡くなられた。享年五十三歳。お元気ならば今年で六十七歳。まだまだ現役で十分ご活躍の出来る歳でもある。ちなみに「群青忌」は阿部さんが名付け親である。

先日、知り合いから連絡があって、大磯の大日本殉皇会の小早川恒夫さんが亡くなられたことを知らされた。小早川兄弟と言えば、神奈川では一族勤皇の家としても知られている。ご長男の小早川貞夫先生は、戦後の神奈川県における民族派運動においては草分け的な存在の人でもあった。私が、いわゆる街宣活動に参加したのも小早川貞夫先生の街宣車が初陣だった。

次男で菊水国防連合の総裁だった小早川久之先生は、私の恩師でもある。昭和四十六年秋、この人の門下となって民族派運動を経験した。私は、二十歳だった。野村先生の所に行くまでの十年間を小早川総裁の下で運動をした。二年前の五月二十五日に亡くなられた。そして今度は三男の小早川恒夫さんだ。これで小早川先生の三兄弟が皆亡くなられてしまった。寂しいことだ。

S48211※昭和四十八年二月十一日。第二回紀元節奉祝神奈川県大会の街頭活動。国府津駅前にて。前列右から二番目が小早川恒夫さん。後列右から三番目が小早川貞夫先生。二人おいて小早川久之先生。その隣が二十二歳の私。小早川先生ご兄弟が三人揃った珍しい写真である。

夜、酔狂亭で愚妻と飲んでいたら三浦良枝さんから電話があり、今日が三浦和義さんの五年祭でお墓参りに行って来たとのこと。もう五年か・・・。時が過ぎて行くのではなく、人が去って行くということを実感する。

 


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忙しい一日だった。

2013-10-16 23:07:16 | インポート

十月十日(木)晴れ。

これを書いているのは、十月の十六日。すなわち六日間もズルをしていたわけだ。ただ飲んだくれていたわけではない。言い訳がましいが「群青忌」の最終準備に追われている。パンフレット、当日放映する映像のDVD、そしてその日に合わせた私の著書の段取りや地方から参加する社友のホテルの手配・・・。文字通り八面六臂である。

午後から、お世話になっている方に群青忌のDVDをお届けするために東京行き。個人的にお会いするのは何年ぶりのことだろうか。サイパンでの偶然の出会いや野村先生のことなど、すっかり時間を忘れて失礼をしてしまった。

お暇をしてから、霞が関の弁護士会館へ。やはりお世話になっている方の紹介で、対談のセッティング。お伺いした時には、ほとんど終わっていて、弁護士会館のレストランで打ち上げ。解散後、飲み足らず新橋にて、今日の主役の徐裕行氏と一献。久しぶりに充実した時間を持てたことに感謝。新橋から横須賀線で帰宅。


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