白雲去来

蜷川正大の日々是口実

子供の頃のこと。

2013-10-30 09:26:42 | インポート

十月二十九日(火)曇り後雨。

 子供頃は、火曜日と聞けば、「今日は床屋さんが休み」とすぐに頭に浮かんだ。遊んでいて、風呂屋の煙突から煙が出ると三時。豆腐屋のラッパが聞こえると四時。近くの工場のサイレンが鳴ると五時。「カエルが鳴くから帰えーろ」と歌って家に帰った。

私が子供の頃に住んでいた町は、戦後「麻薬の密売」として有名だった京急黄金町駅と、東條英機らの戦争指導者が荼毘に付された久保山の火葬場との中間にある典型的な下町だった。市電の通っている「電車道」を渡ると、「赤門の寺」として有名な東福寺があり、その境内でよく遊んだ。そのお寺は高野山真言宗寺院のお寺で光明山遍照院と号す。作家大仏次郎や吉川英治はこの寺の近くで生まれ、明治の女傑富貴楼お倉の墓、長谷川伸一族の墓などがある。

もちろんそんなことを知ったのは後年、大人になってからのことだ。ちなみに野村先生のご尊父野村三郎氏のお墓もあり、お墓の横には「昂然と行くべし冬の銀河の世」の句碑がある。

あれれ床屋の休みの話から、随分と話が飛んでしまった。雨模様で寒い。出かけずに、自宅で、様々な人に様々な手紙や資料を送った。そんなことをしているとあっという間に夕方。秋の夜はつるべ落とし、とか。寒いので急に「鍋」がしたくなり、慌てて吉田町にある鳥専門店に行き「日向鳥」を買った。夜は家族で鍋を囲む。まあこんな程度で幸せ感が味わえるのだから安上がりにできている。録画しておいた「プラトーン」を見るが、北原ミレイではないが懺悔の値打もないぜ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また冬に包まれる。

2013-10-30 08:49:51 | インポート

十月二十八日(月)曇り。

いゃー早いものだ。今週で十月も終わる。日本では「天高く馬肥える秋」だが、中国では「蟹肥える秋」で、中華街ではどのお店も「上海蟹入荷」の看板が出る。しかし、私はせっかちなので、この川蟹が好きではない。食べるのにめんどうで酒を楽しむ暇がなくなるのが嫌だ。たから、幾ら美味、珍味と聞かされても食指が動かない。最近は、中華街の秋の風物詩となっている。

十一月になればお酉様、そしてボジョレーヌーボーが解禁となり、木枯し一番が吹いて我が街ヨコハマは冬に包まれる。街がイルミネーションで彩られる耶蘇の祭りが終わり、年の瀬を迎えると港に停泊している船の汽笛が一斉に鳴れば年が改まる。考えてみれば(考えなくても)もう物心がついてから毎年同じことを繰り返しているにも関わらず、毎年、初めてこの季節を迎えるような新鮮さがあるのはなぜなのだろうか。

一日、事務所でPCに向かっていた。静かでいい。事務所にはテレビもなく、あるのはミニコンポだけ。その日の気分に合わせて好きなCDを聴く。今日は、MJQを三枚に、BBキングと吉田日出子名選集「上海バンスキング」をBGMとして仕事。五時半に自宅に戻った。

夜は、月に一度の町内の仲良しさんたちとの飲み会。カツオの差し入れ有り。一時間ほど飲んでから帰宅。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする