十月二十九日(火)曇り後雨。
子供頃は、火曜日と聞けば、「今日は床屋さんが休み」とすぐに頭に浮かんだ。遊んでいて、風呂屋の煙突から煙が出ると三時。豆腐屋のラッパが聞こえると四時。近くの工場のサイレンが鳴ると五時。「カエルが鳴くから帰えーろ」と歌って家に帰った。
私が子供の頃に住んでいた町は、戦後「麻薬の密売」として有名だった京急黄金町駅と、東條英機らの戦争指導者が荼毘に付された久保山の火葬場との中間にある典型的な下町だった。市電の通っている「電車道」を渡ると、「赤門の寺」として有名な東福寺があり、その境内でよく遊んだ。そのお寺は高野山真言宗寺院のお寺で光明山遍照院と号す。作家大仏次郎や吉川英治はこの寺の近くで生まれ、明治の女傑富貴楼お倉の墓、長谷川伸一族の墓などがある。
もちろんそんなことを知ったのは後年、大人になってからのことだ。ちなみに野村先生のご尊父野村三郎氏のお墓もあり、お墓の横には「昂然と行くべし冬の銀河の世」の句碑がある。
あれれ床屋の休みの話から、随分と話が飛んでしまった。雨模様で寒い。出かけずに、自宅で、様々な人に様々な手紙や資料を送った。そんなことをしているとあっという間に夕方。秋の夜はつるべ落とし、とか。寒いので急に「鍋」がしたくなり、慌てて吉田町にある鳥専門店に行き「日向鳥」を買った。夜は家族で鍋を囲む。まあこんな程度で幸せ感が味わえるのだから安上がりにできている。録画しておいた「プラトーン」を見るが、北原ミレイではないが懺悔の値打もないぜ。