白雲去来

蜷川正大の日々是口実

家族で飲茶。

2013-10-27 13:40:54 | インポート

十月二十六日(土)雨後曇り。

朝から皆に手伝ってもらい「群青忌」に出席できなかった社友の方々や先生のご縁につながる方々に手紙を添えてDVDを発送したり、「宝島」を社友に発送したりで、気が付けば四時近かった。上の子供の友達が来ていたので、久しぶりに中華街へ出て食事。幸いに五千円のクーポン券を頂いていたので、それを使って飲茶を楽しんだ。

食後は、子供たちを帰して、愚妻とサリーの店に顔を出した。カメ&アコちゃんが合流。お馴染みのお客さんに私の本を一冊買って頂いた。いつものお客さんや仲良しさんたちと楽しい酒を飲んで十時には帰宅した。


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「宝島」の特集がすごい。

2013-10-27 13:33:40 | インポート

十月二十五日(金)雨。

「元後藤組組長をカンボジアでスクープ撮&インタビュー」という特集記事が掲載されている月刊「宝島」の十二月号を出版社のご厚意でご恵送頂いた。

Photo_3※特集記事の掲載されている「宝島」。

Photo_4※本文です。

ご興味のある方は、是非ご一読を。

天気も悪いので、一日事務所で片づけ。今週いっぱいは、他の仕事に手が付けられない。夜は、酔狂亭で独酌。


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大先輩の遺品整理。

2013-10-27 12:56:31 | インポート

十月二十四日(木)曇り後雨。

台風が二つも近づいているとのこと。貧乏に加えて天気まで悪いんでは気が塞がるばかりである。今日は、先日亡くなられた大磯の小早川恒夫さん宅へ、関係者の皆さんたちと遺品の整理に伺った。

十時半に松本佳展君に迎えに来てもらい、小早川さんと縁の深かった菊水国防連合の人たちの案内で大磯に向かう。途中、最後まで恒夫さんと親交のあった齋藤雄一さんのお宅で昼食をご馳走になる。久しぶりに伊勢原の藤田誠一郎氏にお会いする。藤田氏と初めてお会いしたのも大磯の小早川先生宅だった。小早川先生宅にお伺いする前にお墓に詣でて手を合わせた。

Dsc_0235※小早川家のお墓。

昭和四十七年当時、神奈川県には小早川貞夫先生が主宰していた大日本殉皇会の街宣車があるのみだった。月に一度、小早川先生宅を出発して湘南地方を回る「尊皇攘夷街頭宣伝」が行われていて、私も参加していた。終わると、車座になって日本酒を回し飲む。諸先輩の話を聞けるこの時間がとても楽しかった。神奈川県では、小早川三兄弟は有名で、戦後の民族派運動のパイオニア的な存在だった。ご長男の貞夫先生は大日本殉皇会を主宰、二男の久之先生は菊水国防隊(後の菊水国防連合)の代表、そして先日亡くなられた恒夫さんは大日本殉皇会を継いだ。しかし三兄弟の皆さんが亡くなられてしまった。

特に、ご長男の貞夫先生は、全日本愛国者団体会議の創立以来のメンバーで、後に議長の要職に就かれた。民族派運動関係の蔵書や資料の収集家として知られており、今回、伺ったのも、その蔵書や機関誌類の整理を依頼されたからである。貞夫先生とは長いお付き合いをさせて頂いていたが、書斎に入ったのは初めてのこと。まずその蔵書の多さには驚いた。三千冊もあっただろうか。もっと驚いたのは、送られた来ていた機関誌類のほとんどを保管していたことである。主だった機関誌類や本は頂いてきたが、何しろ量が多くてとても一度では運べない。泣く泣く置いてきたが、これが皆紙くずとして捨てられてしまうのかと思うと、今でも後ろ髪を引かれる思いである。

民族派運動の研究を志す人のためにも機関誌類は、もう一度お願いして、すべて頂いてこようかどうしようか迷っている。そのままにしてしまったら貞夫先生に申し訳ないような気がする。また貞夫先生の民族派運動に賭けた情熱に改めて敬意を表した次第である。

Photo※左は昭和43年発行の青年思想研究会の機関誌。錚々たる方々の原稿が掲載されている。右は、白井為雄先生が主宰されていた青年講座の機関誌。昭和43年発行。

Photo_2※小早川貞夫先生の遺品より。「天照」は横浜に本部のあった山下幸弘先生が主宰していた天照義団の機関誌。これに獄中の野村先生が「獄中俳句日記」を寄稿していた。昭和48年のもの。「新勢力」の20年記念号は、昭和50年発行。「日本及日本人」は昭和31年のもの。大東塾の「不二」は昭和50年発行のもの。


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大きなお世話。

2013-10-27 11:52:05 | インポート

十月二十三日(水)曇り。

毎日はっきりしない天気が続いている。午前中は病院へ。定期検査であるが「胃カメラ」と「脳ドック」を勧められた。十二月に備えて覚悟してやってみるか。

事務所に戻り、片づけ。入るのをためらうほどものすごい状態になっている。本は通路にまで溢れているし、群青忌に持って行った在庫はそのままだ。以前、群青忌関係のビラやパンフを整理しようと思って棚から全部出してしまったのもそのままになっている。整理するのは楽しいのだが、あーあどぅすんべかな。

群青忌に関して様々な人から様々な意見が寄せられている。大方が好意的なものだが、中には「二十年やったんだから、もういいんじゃないの」とか「いつまでやるの」などとも言われる。正直言って大きなお世話である。金も体も出さずに意見だけ言われても誰がその人の言葉に真摯に耳を傾けるだろうか。

先生が亡くなられてから二十年。門下生だって生前の先生とお会いしたことがない人がほとんどだ。そういう人たちに対して、野村先生を通して国家や政治と言うものを考える入口になってほしいと思うからこそ、大変な思いをして群青忌を続けている。河野邸焼き討ち、経団連事件、そして自決・・・。先生の思いを風化させては申し訳ないと言う門下生としての責任がある。

祀る神様だけが違って、やっていることは一緒、という追悼集会にしたくはないからこそ、ああいった形の群青忌がある。野村先生ではないが「分かってくれる人もいれば、分かってくれない人もいる」ことは百も承知である。何かをやろうとすると、必ず反対する人がいることも。

私がいなくなった後でも、どんな形でも良いから群青忌を続けて欲しいと思っている。またそういうことを行ってゆく若い人たちを育てるのも私の仕事である、という固い決意を持っている。群青忌は私のライフワークでもある。これは門下生の共通の思いではないだろうか。

夜は、愚妻と、「清水苑」にてささやかな「お疲れさん会」。それにしても昔に比べて肉が食べられなくなった。


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