十月九日(水)曇り。
十月に入ってから、各地で三十度を記録し、桜が咲いてしまった所があるとニュースで言っていた。扇風機もしまってしまい、布団も冬のものにしたので寝ていて暑くて仕方がない。
事務所で野村先生関連の資料整理をした。ただ書棚に置いてあるものをなるべくスキャナーで取り込んでデーターベース化してみたいと思っている。野村先生が、河野邸焼き討ち事件にて十二年の刑を終えて戦線に復帰した昭和五十年、先生の古い友人であった故末次正宏氏が、結成したのが政治結社・宏友会である。その会報の第一号に掲載されたのが、先生の「人の一生は邂逅の一語に尽きる」という文章で、これが、復帰した先生の活字になった第一号である。
文章の他に、「野村秋介獄中俳句・五十句」も掲載されている。先生の獄中句は、経団連事件にて公判を待つ、東京拘置所にて「銀河蒼茫」としてまとめられた。編集を担当したのは、故阿部勉さんである。装丁はイラストレーターの黒田征太郎氏。五十八年に復帰後に、先生自ら手を加え、中上健次氏の解説などを加えて、現在の装丁で弊社より出版した。
「人の一生はー」の中の「秋の五十句」には、「銀河蒼茫」には収録されていない句がかなりある。弊社刊の「銀河蒼茫」には、秋の句、「三上卓先生一周忌・四句」と題して、
①大慈悲と名づけて秋の矢の光陰 ②君が愛でし大輪の菊荘厳す ③逝きし日の蒼茫いまも④秋夜空 三上忌の獄にふる星みな飛礫(つぶて)
の四句となっているが、「人の一生はー」の方には、④の句が、「白菊のうるむ白さとなりにけり」となっている。おそらく後年先生は、この句をはずして「白菊の白が溢れてとどまらぬ」に差し替えたのではないかと思っている。ちなみに「銀河蒼茫」の中に、「白菊のうるむ白さとなりにけり」は収録されていない。いままでこういった作業をおざなりにしてきた怠慢を反省する今日この頃である。
夜は、酒友の展転社の藤本社長が所用あって来訪。打ち合わせの後に「やまと」にて一献。悲憤慷慨の炎の酒になる直前に、愚妻に迎えに来てもらい解散。一時間余の後に藤本社長から「無事帰宅」の報有り。安心した。