九月三十日(月)晴れ後曇り。
目を覚ましたら八時。家にいるのは下の子供と私だけである。慌てて子供の朝食を作った。私は、「アコウダイのかす漬け」と「玉ねぎのスープ」に、お世話になっている方から頂いた「イクラの醤油漬け」。贅沢なものだ。
子供が、学校に行った後は、家の片づけを済ませてから、事務所にて手紙を五通書いた。遠路からの群青忌へのご出席が心苦しいので、その旨を伝える手紙である。さすがに、手紙を五通も書くと手が痛い。その昔は原稿も手書きだったが、ワープロからPCになって、手紙以外はほとんど手書きをすることがなくなった。
「燃えよ祖国」の「別冊」を作っている時に、野村先生の句碑をまとめてみた。句碑があるのは、まず菩提寺の浄発願寺、福岡の毘沙門寺岡さんの会社の敷地、先生のお父さんのお墓のある横浜市西区の、通称「赤門の寺」の東福寺、群青の会の正田暢鍵氏が建立した群馬県の雷電神社、そして前橋の大前田英五郎のお墓があることで有名な雷電山の五ヵ所である。そのうちに北海道にも建立してみたいと思っている。
夜は、恒例の町内会の人たちとの飲み会。それでも調子が悪く、一時間ほどでお暇した。作家の山崎豊子さん逝去の報有り。合掌。