二月十六日(日)晴れ。
朝起きると、頭痛がして喉も痛い。幸いに熱はないが、典型的な風邪の予兆である。寒気もするし最悪の状態である。今日は、友人たちと先輩である山崎邦雄さんの墓参に行く予定となっている。待ち合わせの時間は二時なので、朝食後に薬を飲んでしばらく横になった。二時間ほど寝ていたが、体調は戻らず、結局、友人に連絡して欠席した。
夕方、墓参に行った友人らからメールが入り、雪で墓苑は閉まっていたが、無理を言って開けて頂き、花を手向けたそうだ。友人によれば、他のお墓は雪で埋まっていたにもかかわらず、山崎さんのお墓だけは、まるで墓参に来る人たちを待っていたかのように、雪がなかった。とあった。無理をしてでも行けば良かったと後悔した。
亡くなられた山崎さんは、私の二つ上で、幼馴染でもある。私は、その人の勧めで中学生の時に陸上競技を始めた。運動音痴であった私が、まがりなりにも学校では誰にも負けぬほどになり、努力すれば報われる、ということを実感したのは、山崎さんのお蔭であった。
※左が蜷川。中学の一年生。隣は、山崎さん。中学三年生。お兄さんの背広を借りての記念写真。私の胸のワッペンは翌年の東京オリンピックの協賛の物。関東学院の階段にて。
先輩は、その後、伊勢佐木町のオデオンの前にあった「スタンド・ロック」というカウンターバーで店長をしており、従業員には、水原弘雅氏や後年、ロイヤルパークの総支配人となる山崎雅夫氏などが働いており、自然とそのお店が、私の友人たちのたまり場のようになった。
そのお店に良く来ていたのが地下鉄吉野町の上で「一銭」を経営している尼野保氏や、統一戦線義勇軍の針谷大輔議長、清和崇氏、そして亡くなった板垣哲雄氏などだ。聞く所によれば「やまと」のご夫婦も、結婚前にスタンドロツクの常連だったとか。その縁で、「やまと」には尼野氏や山崎氏などが通っている。考えてみればもう三十五年も前のことだ。
そういった人たちが、集まる店だから、当然皆、民族派運動に関わり合い、私や山崎氏を中心として、神奈川の街宣活動に参加したこともあった。
毎年、山崎さんの命日に、所縁の友人たちが集まって墓参を行っている。私が参加したのは四年ほど前のことだが、山崎雅夫、尼野保の諸氏の友情に感謝する次第である。
体調が悪く、一日布団で横になっていた。体は正直で、お湯割りを一杯飲んだが不味かった。