白雲去来

蜷川正大の日々是口実

風邪のため先輩の墓参を欠礼した。

2014-02-19 12:10:02 | インポート

二月十六日(日)晴れ。

 

朝起きると、頭痛がして喉も痛い。幸いに熱はないが、典型的な風邪の予兆である。寒気もするし最悪の状態である。今日は、友人たちと先輩である山崎邦雄さんの墓参に行く予定となっている。待ち合わせの時間は二時なので、朝食後に薬を飲んでしばらく横になった。二時間ほど寝ていたが、体調は戻らず、結局、友人に連絡して欠席した。

 

夕方、墓参に行った友人らからメールが入り、雪で墓苑は閉まっていたが、無理を言って開けて頂き、花を手向けたそうだ。友人によれば、他のお墓は雪で埋まっていたにもかかわらず、山崎さんのお墓だけは、まるで墓参に来る人たちを待っていたかのように、雪がなかった。とあった。無理をしてでも行けば良かったと後悔した。

 

亡くなられた山崎さんは、私の二つ上で、幼馴染でもある。私は、その人の勧めで中学生の時に陸上競技を始めた。運動音痴であった私が、まがりなりにも学校では誰にも負けぬほどになり、努力すれば報われる、ということを実感したのは、山崎さんのお蔭であった。

1 ※左が蜷川。中学の一年生。隣は、山崎さん。中学三年生。お兄さんの背広を借りての記念写真。私の胸のワッペンは翌年の東京オリンピックの協賛の物。関東学院の階段にて。

 

先輩は、その後、伊勢佐木町のオデオンの前にあった「スタンド・ロック」というカウンターバーで店長をしており、従業員には、水原弘雅氏や後年、ロイヤルパークの総支配人となる山崎雅夫氏などが働いており、自然とそのお店が、私の友人たちのたまり場のようになった。

 

そのお店に良く来ていたのが地下鉄吉野町の上で「一銭」を経営している尼野保氏や、統一戦線義勇軍の針谷大輔議長、清和崇氏、そして亡くなった板垣哲雄氏などだ。聞く所によれば「やまと」のご夫婦も、結婚前にスタンドロツクの常連だったとか。その縁で、「やまと」には尼野氏や山崎氏などが通っている。考えてみればもう三十五年も前のことだ。

 

そういった人たちが、集まる店だから、当然皆、民族派運動に関わり合い、私や山崎氏を中心として、神奈川の街宣活動に参加したこともあった。

 

毎年、山崎さんの命日に、所縁の友人たちが集まって墓参を行っている。私が参加したのは四年ほど前のことだが、山崎雅夫、尼野保の諸氏の友情に感謝する次第である。

 

体調が悪く、一日布団で横になっていた。体は正直で、お湯割りを一杯飲んだが不味かった。


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大雪の日の横浜。

2014-02-19 11:21:34 | インポート

二月十五日(土)雨のち曇り。

 

いやはや一面の銀世界。まるで東北や北海道にいるようだ。冬の時期に一度くらいの雪は、風流を楽しむ余裕もあるが、二度目、それも横浜では四十五年ぶりの大雪と言うのだから、いささか食傷気味である。

 

私は、四十五年前に横浜に大雪をもたらした日の夜のことを良く覚えている。私は十七歳で高校生だった。横浜公園の前にあった「ボア」という喫茶店でアルバイトをしており、珍しくお店のスタッフが食事をご馳走してくれると言うので、関内駅前のセンタービルにあった、オープンしたばかりのビアレストラン「カウベル」というお店に行った。高校生だった私は、そんな気取った?お店に入ったことがなかったので、ちょっぴり緊張したことを思い出す。何を食べたか、までは記憶にないが、大きな木のテーブルにキャンドルライト、確かバンドが入っていたと思う。

 

市電で帰ろうと思ったが、雪で動いていない。仕方がないので歩いて帰ったが、運動靴がびしょびしょになり、足が冷たくて泣きそうになった。そうかもう四十五年も前か。


午前中は、ご近所さんと雪かきに汗をかいた。私の家も事務所も坂の上にあるので、雪が積もると出かけるのが大変である。車のタイヤも普通の物しかないので、こういう時は自宅で籠城するのに限る。お陰様で原稿書きに精を出すことが出来た。


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野村先生の「生誕祭」。

2014-02-19 10:55:20 | インポート

二月十四日(金)雪。  

 

昨夜から天気予報は雪とのこと。今日は、朝十時から川崎のレンタルルームにて野村先生の生誕祭がおこなわれる。朝九時に、松本佳展君がスタッドレスタイヤを履いた車で迎えに来てくれる。まだこの時点では、雪はまだ積もることもなく静かに、語りかけるように降っていた。志村馨君も合流。

 

野村先生の「生誕祭」は十一年前より、埼玉の正田暢鍵氏ら「群青の会」の皆さんが中心となって行われてきた。以前は正田氏が建立した野村先生の句碑のある群馬県の雷電神社にて神事を行ってきたが、昨年から、より文化的な催しにとのことで大宮、今年は川崎にて開催することになった。ご存命ならば今日で先生は七十九歳となられる。

Photo ※雷電神社にある「わが生の須臾なる命 如何にせむ」の句碑。正田暢鍵氏建立。

P1000113 ※生誕祭の神事。

参加者は、ほとんどが一門や関係者だけの、ごく身内の集まりである。開会の十時近くになって雪が激しくなってきた。参加者の誰もの脳裏に去来したのは、野村先生の代表句、「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」ではかなろうか。

Photo_2 ※伊勢原の浄発願寺にある「俺に是非を説くな激しき雪が好き」の句碑。

 

神事の後に、映画監督の根本順善監督が製作した特攻隊を追視したセミドキュメント「北緯15度のデュオ」を鑑賞した。「永遠の0」がヒットを続けている。同じ特攻隊の映画だが、根本監督の映画は実写をふんだんに使っており、日本機が突入する場面では、胸を締め付けられるような思いになる。

 

終了後は、先生の奥様を交えて近くの居酒屋で雪見の一献会。終了後は、駅前の「磯丸水産」に転戦。このお店は、以前、松本君に案内されて、そこそこ感動もしたが、やはり「美は一度限り」。値段なりのお店で、初めて大根のような味のマグロを食べた。これもご愛嬌か。

 

松本君に送って貰って帰路に着いたが、雪が激しくなりスタッドレスの車でも我が家の近くの坂道を登れない。松本君の帰りが心配になりここで帰って貰い、子供に長靴を持って迎えに来てもらった。バスも坂の下で客を降ろして折り返していた。仕事から帰ってきた愚妻と合流して帰宅。


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