二月八日(土)雪。
朝起きて外を見れば、すでに一面の銀世界。雪景色を見ると、どうしても野村先生の代表句、「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」が浮かぶ。
新潮社が編纂した「明治・大正・昭和、短歌、俳句、川柳101年」の本の中に取り上げられた野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』。私は、無人島に持って行く一冊の本、があるとしたら先生の『銀河蒼茫』以外にはない。
極寒の網走の独房で、常にそばに置いておいたのが『銀河蒼茫』だった。恩師も耐えた冬の独房。師の追体験をしていることが嬉しかった。「雪の独房 正気の歌を低く吟ず」では、先生が低く吟じたのは藤田東湖のものなのか、それとも文天祥のものなのか・・・。それを考えるだけで寒さに耐えられた。
網走刑務所は、釧網線の網走駅に近い。従って終電車の汽笛が聞こえる。先生の句に「雪の夜の壁に貼りつく汽笛の尾」があり、千葉刑務所でも汽笛の音が聞こえたのだろう。きっと先生も、あの夜汽車に乗って家族の待つ家に帰ることを考えたに違いない。しかし現実は無情である。「煩悩の静まれば雪野 截つ汽笛」。当時、上記の二句は身に染みた。その思いは、秋の句にもある「秋風の 夜汽車は 壁をひた走る」。
「残刑はあと十年もある 『明日も雪か』」の句は、何をたかが三年や四年の刑でジタバタしているのか、と自身に喝を入れるには十分すぎる句でもあった。
現在私が住んでいる家からは汽笛の音は聞こえないが、私にとって、雪は野村先生と汽笛の音がいつもセットになって脳裏に浮かぶ。
「貧困の政治 飛雪が罵りあふ」か。
午前中に、有田芳生氏より電話あり。雪も降っていることだし、「謝罪を了とします」と伝えた。
昨日の、「産経抄」は嬉しかった。どなたが書いているのかは知らないが、敬意を表して車に積もった雪をすくって食べた。我が陋屋は坂の上にありこの雪では、下界に降りることは大変である。それを理由に、午後から風呂を沸かして「雪見酒」だ。愚妻や子供たち曰く、「雪が降らなくたって、いつも飲んでんじゃん」。しかし女と言うものは、この雪景色を見て、酒を飲みたいと言う衝動に駆られないものなのか。不思議な生き物だ。