白雲去来

蜷川正大の日々是口実

新刊「沖縄の絆」。

2014-02-22 16:16:43 | インポート

二月二十一日(金)晴れ。

いくらか体調は良くなったが、まだ万全ではない。意を決して病院へ行くことにした。熱はないのだが、咳とくしゃみ、鼻水が止まらないので、耳鼻咽喉科か内科のどちらかに行こうか迷ったが、結局、内科にした。五分ほどの診察でもらった薬が二種類。「カフコデ」と「メキタジン」というもの。何とか効いて貰いたいものだ。

 

正午は、急ぎの用事があるという後輩たちと、権太坂のファミレスにて待ち合わせてのランチ。名簿郵送の件。昼食をご馳走になり申し訳なし。さっそく食後に薬を飲んで、自宅で安静にしていた。

 

元「週刊実話」の編集長だった下村勝二氏より「沖縄の絆ー父中将から息子へのバトンー大田實と落合晙」三根明日香著・かや書房刊、1800円(税別)をご恵送頂いた。大田實中将は、沖縄戦における海軍側の司令官である。沖縄の「海軍豪」で自決なされたが、海軍次官にあてた電文、「沖縄県民斯く戦いえり、県民に対して後世特別の御高配を賜らんことを」は涙なくして読めない。二年前の「沖縄祖国復帰40周年」を記念して「戦跡慰霊巡拝団」を組織した。海軍豪が綺麗に整備されて資料館も併設されており、ここでの戦の過酷さを追体験できた。

 

Dsc_0494 ※海軍壕にて。弊社の社友会の人たちと。平成二十四年六月三十日。


落合畯(たおさ)氏は、大田實中将のご子息で、湾岸戦争の折に機雷の掃海作戦の司令だった人だ。鎌倉にお住まいになっていると人づてに聞いていたので、いつかお会いしたいと思っていたが、今日までその機会に恵まれていない。そういう私なりの思いもあって、「沖縄の絆」をご恵送されたのは嬉しかった。心して読みたいと思っています。

Photo_3 ※ご一読をお願い致します。

体調は、八割がた戻った。もう少しである。早く元気になって問答無用の酒を酌み交わしたい。


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友が皆、我よりも偉く思える日。

2014-02-22 14:04:33 | インポート

二月二十日(木)晴れ。

風邪がまだ治らず体調は良くないが、一日中安静にしているほど余裕などない。食事を作る気力もないので、午前中に帰ってきた下の子供を連れてファミレスでランチ。その後、伊勢佐木町の有隣堂から注文を受けた「さらぱ群青」を届けに行く。入金は二か月後とのこと。まっいいか。どこの誰が注文をしてくれたのか知らないが、読んで頂けるだけで嬉しい。先生の本を売ることも私にとっては、ある意味で運動でもある。


その後、事務所に行き、郵便物の確認。鈴木邦男さんから「連合赤軍は新選組だ」をご恵送頂く。また古い同志でもある笠原正敏氏から、昨年還暦を迎えた記念としてご夫婦で作った句集、「鉄馬」と「痕跡」の二冊を頂いた。思えば、鈴木、笠原両氏とも昭和 五十年初頭の「核拡散防止条約」の反対闘争以来のお付き合いである。

Photo ※彩流社刊です。

当時、核保有国が、持たざる国を支配しようとした不平等条約に対して、一水会や学純同、新日協に加盟していた人たちと共闘戦線を構築した。一水会の人たちは、鈴木邦男、阿部勉、犬塚博英、四宮正貴といった人たち。その他には、京都の魚谷さん。現在ブラジルに在住している「良識復活国民運動」の笹井宏次朗さん。新日協からは笠原正敏さん。「立ち上がる神道人の会」の森田文憲さん。学純同では大場俊賢、長谷川光良、前田伏樹の諸氏。そして私は「横浜青年政治研究会」を主宰していた。

Photo_2 ※笠原さんご夫妻の句集。

日枝神社に集合して「一日共闘」を行った時に、長谷川氏の紹介で街宣車で参加したのが、国防青年隊を結成したばかりの渡邉康司氏だった。


笠原さんから頂いた「句集」の跋文を読んで。ふとそんな昔のことを思い出した次第である。


夜は、酒をほんの三杯だけにして早めに布団に入った。


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