白雲去来

蜷川正大の日々是口実

男の土壇場。

2015-02-09 09:10:33 | 日記
二月二日(月)晴れ。

若い頃には、良くこんな物にお金を払って食べるな。と思うことがままあった。例えば蕗の薹やこごみ、タラの芽などである。それが歳と共に、それらのエグミや渋さが美味に感じるから不思議なものだ。フキの花のつぼみが「蕗の薹」である。二十年以上も前に網走の「切り通し農場」という所で作業をしていたことがあった。早春、といっても三月に入ってからだが雪解けの頃に蕗の薹が、わーっと叫びたくなるほど顔を出しているのを見たことがあった。当然、取って食べることなども出来ないのだが、しばらくすると三十センチぐらい大きくなっていた。「薹が立つ」とはこう言うことかと実感した。まあそれでも、好んで食べるほど好きではないが。

蕗の薹と言うとすぐに頭に浮かぶのが、横浜に縁のある女流俳人の中村汀女の句。横浜の野毛山公園という所に「蕗のたう おもひおもひの 夕汽笛」という汀女の句碑がある。汀女は大蔵省官吏の夫と昭和五年から西戸部町の税関官舎に住み結婚後に中断していた句作を再開した。汀女には横浜を詠んだ句が多いことでも知られている。随分前に「横浜の句碑」というような本を出そうかとも思ったことがあって、資料を随分集めたが、挫折したままだ。

昼過ぎに事務所に行って機関誌の丁合(頁を揃える)作業を行った。私の機関誌の名がまだ「大悲ジャーナル」だった頃、丁合を手作業で行った。暇な友人や門下生に手伝って貰って頁を揃えるのだが、これが中々大変でいつも皆の手を煩わせた。その丁合が終わっても中綴じ、中折りのすべてが手作業で行った。機関誌を発行するという情熱が毎月その手作業を後押ししてくれた。今は、その丁合も中綴じ、中折りも皆機械化された。後は、宝くじでも当たったら、軽印刷機ではなく本物のオフセット印刷機と製本機を導入してみたい。まあ夢ですが。

後藤健二さんが砂漠の盗賊に殺害される映像を目にした。もし私だったらあのように従容として死ぬことが出来ただろうかと、考えた。恐らくジタバタして醜い行動をしたのではないか・・・。大したものだと思う。人が決断をせまられたり、最後の場面。あるいは進退きわまった状態
の時のことを「土壇場」という。その「土壇場」とは、首切りの刑を行うために築いた土の壇が語源となっている。せめて土壇場でジタバタしないようにしたいものだ。

夜は、今日も酔狂亭で月下独酌。「マッサン」の影響か今日は、「角瓶」をソーダーで割って飲んだ。

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朝一番で衝撃的なニュースが・・・。

2015-02-09 08:43:18 | 日記
二月一日(日)晴れ。

日曜日だと言うのに五時過ぎに目が覚めてしまった。テレビを点けたらイスラム国に人質になっている後藤健二さん殺害のニュースが入った。まったくナメたことをするものだ。どこにイスラム革命の大義があると言うのだ。結局は、単に身代金欲しさのためにイスラムの大義を振りかざしているだけと思われても仕方あるまい。テレビのコメンテーターが「なぜこんなことになってしまったのでしょうか」と言っていたが、その答えは簡単。そんな危険な所に行ったからだ。また日本政府の責任論に転嫁するアホが出てくるのだろうな。後藤氏に合掌。

我が家の墓碑銘録を見ると、今日は平成十年に亡くなられた正気塾の若島征四郎先生のご命日。五十四歳と言う若さだった。確かこの日、国粋青年隊の新年会が鬼怒川であって、そこに向かう途中で訃報に接した。あれからもう十七年が過ぎたのか。合掌。

午後から機関誌の印刷のために事務所へ。夕方からヨドバシカメラに行く。我が家と事務所にあるモノクロ専用の両面印刷プリンターが二台とも壊れた。使用する頻度が多いので仕方がないのだが、二台同時とは頭が痛い。事務所には軽印刷機が二台とプリンターが二台。我が家にもカラーとモノクロのプリンターが四台。合計八台もの印刷機がある。経費も半端ではない。一番頭が痛いのは、印刷機のトナーとインクカートリッジの値段が高いことだ。トナーは一本一万円もするし、キャノンの「351五色大容量」タイプは六千三百円もする。カートリッジを三回買えばプリンターが一台買える値段だ。もう少し安くならないものなのか。悩んだ挙句、ブラザーのモノクロ両面プリンターを二台購入。まったく貧乏人泣かせだ。

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