白雲去来

蜷川正大の日々是口実

マイカル本牧の名前が変わっていた。

2015-02-19 18:01:56 | 日記
二月十一日(水)晴れ。紀元節。

起床後に玄関に日の丸を掲揚し、橿原神宮と皇居を遥拝。神武天皇肇国の昔を偲び紀元節、建国記念の日を祝う。

午後から、久しぶりに「マイカル本牧」へ買い物。看板を見ると「イオン本牧」になっている。?マークが頭をぐるぐるしたが、何かあったのかと自宅に戻ってから調べてみた。

「ここは、かつてアメリカ軍の居住地であったが、返還され再開発を行うとともに、ニチイ(後のマイカル)が未来都市マイカルタウンを発表、バブル景気絶頂期の1989年4月30日に開業した。大型複合ショッピングセンターのパイオニアともいえる存在であった。また、ニチイはこの頃より、マイカルタウンを各地に開業し、店舗の大型化を進めていった。
1990年代には1番街1階にあった水族館のような鮮魚売場が名物であった他、5番街にはミッソーニやヒューゴ・ボスなどの高級ブランドのブティックや高級レストランも入居しており、同館内の噴水や水路も有名だった。さらに同じグループのVIVRE、ピープルスポーツクラブ(営業権譲渡で現在はコナミスポーツクラブ)がテナントに入店していたり、ホテル「ル・ファール本牧」(1992年11月開業)の運営をしていた(共に閉鎖)。しかし地下鉄やJRの駅から遠く、アクセスに難があることと、「横浜みなとみらい21‎」などの新名所の完成や、マイカルの業績悪化に伴い1990年代終わりには衰退していった。更に2004年に開通した横浜高速鉄道みなとみらい21線が元町・中華街駅止まりとなったため、東急東横線経由などで都心から来る客層をつかむことができなかった事が、経営悪化の決定的な要因となっていった。2011年2月28日まで、イオン株式会社の下で経営再建された株式会社マイカルにより運営されていたが、吸収合併で消滅し、マイカル本牧は22年の歴史に幕を下ろした。テナントは、サティ、その他専門店街により構成されていた。近隣には大型の食品館イトーヨーカ堂が2008年にオープンしている」(ウイキ)

私が初めてここを訪れたのは、平成二年の秋頃だから、開業の翌年になる。ホテル「ル・ファール本牧」にも行ったことがあって、そのホテルの絵葉書を持っている。鮮魚売り場も楽しかったことも覚えている。しかし何と言っても交通の便が悪かった。車がなければ行けない、正に陸の孤島。それは今でも変わらず、余程のことが無ければ行こうとも思わない。ただその中にある旅行社と懇意にしていて長いお付き合いをさせて頂いている。簡単な買い物をしてから昼食をとった。

夕方、石川町の駅で、サリーと古谷喜久男氏と待ち合わせて、駅近くの「ZAIM」というお店に行く。このお店でバーベキュー・ライブがある。ゲストはエディ蕃さんと久野光男さん。お二人とも若い頃からのお付き合いだ。サリーパパやナリポン、浅野忠信さんのお母さんのジュンコさんたちと、懐かしい曲を聞きながら楽しい酒。二次会をご辞退して帰宅。※写真は、久野氏から借用しました。ライブの模様です。

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