二月十日(火)晴れ。
『アサヒ芸能』に友人の山平重樹さんが連載をしているのが「男の生き様、死に様」である。その第七回(二月十九日特大号)に野村先生の盟友であり、平成十年の二月十九日に東京高輪のホテル・パシフィック・メディリアン東京の一室で自裁した自民党の衆議院議員の新井将敬氏のことを書いている。
私も、機関誌『燃えよ祖国』の平成十年三月号(通巻六十八号)に新井将敬氏の「追悼特集」を行った。かつて新井将敬氏が主催したシンポジュウム、「ソ連崩壊後の新右翼は何を考えるのか」というテーマで野村先生と鈴木邦男さんが行った講演録を掲載し、私も「新井将敬氏の死に感じて」という一文を書かせて頂いた。
早いもので、その新井将敬氏の自裁から十七年の歳月が過ぎた。あらためて『アサヒ芸能』の山平氏の原稿を読むと当時のことを思い出させずにはいられない。その中で山平氏は私のことについても書いている。いずれ山平氏にお願いして私の機関誌に転載して頂こうと思っている。
事務所に半日いてから帰宅。次の機関誌の特集は、今回のイスラム国による日本人の殺害事件についてだ。お願いをしている原稿が届くのが待ち遠しい。
『アサヒ芸能』に友人の山平重樹さんが連載をしているのが「男の生き様、死に様」である。その第七回(二月十九日特大号)に野村先生の盟友であり、平成十年の二月十九日に東京高輪のホテル・パシフィック・メディリアン東京の一室で自裁した自民党の衆議院議員の新井将敬氏のことを書いている。
私も、機関誌『燃えよ祖国』の平成十年三月号(通巻六十八号)に新井将敬氏の「追悼特集」を行った。かつて新井将敬氏が主催したシンポジュウム、「ソ連崩壊後の新右翼は何を考えるのか」というテーマで野村先生と鈴木邦男さんが行った講演録を掲載し、私も「新井将敬氏の死に感じて」という一文を書かせて頂いた。
早いもので、その新井将敬氏の自裁から十七年の歳月が過ぎた。あらためて『アサヒ芸能』の山平氏の原稿を読むと当時のことを思い出させずにはいられない。その中で山平氏は私のことについても書いている。いずれ山平氏にお願いして私の機関誌に転載して頂こうと思っている。
事務所に半日いてから帰宅。次の機関誌の特集は、今回のイスラム国による日本人の殺害事件についてだ。お願いをしている原稿が届くのが待ち遠しい。