四月八日(水)雨。
花散らしの雨か。桜は悲しいものだ。一年に一度しか咲かないのに、風雨に影響され、あっと言う間に盛りが過ぎてしまう。野村先生の句ではないが、あと四、五日もすれば「葉桜の風の言葉は独り聴く」という風情になってしまう。そう言うことが「寂しい」と感じるのも歳のせいなのかとしみじみ思う昨今である。
昨日は名前だけ立派な「蜷川政経懇話会」を野毛の「弥平」にて開催した。ここのオヤジは中学の同級生である。私は、横浜の下町、南区の共進中学に入学した。昭和三十八年の春である。第二次ベビーブームということもあって、一クラスは五十人。それも十二クラスもあった。ちなみに私の娘の中学は二十五人で四クラスしかなかった。
「蜷川政権懇話会」といっても月に一度、私の応援団の人たちが集まるただの飲み会である。しかし私は、この人たちによって支えられている。浪人生活ゆえいかに支援してくれる人を集められるのか・・・。それが私の評価でもある。もちろん長い付き合いの中には、去って行く人もいる。私不徳のの致すところかもしれない。それでも応援してくれる人がいる以上、その期待を裏切らないような生き方をしなければと思っている。
「弥平」は神奈川の、それも三浦の魚と肴にこだわっている。オーナーの高杉氏は中学時代剣道部の主将だった。酒を飲まないのが残念だが、飲まない分、あちらの方はほとんど現役である。この店に、古い友人や同級生が集まる。楽しくて仕方がない。思い出話に花が咲き、飲んだ酒が五万本。とつい甘えてしまう。終了後に関内に転戦。金もないのに、飲めば気が大きくなって、閉店後に近くの「ビートレ」というイタメシ屋に紅灯の白粉を連れてアフター。
妻は病床に臥し、児は飢えに泣くとも、ひたすら悲憤慷慨の酒に酔う。梅田雲浜ファンの酒友、松本洋三さんに怒られそうだ。酔って自宅に戻れば鬼嫁とガキどもが、日頃の恩を忘れて、「とーたん。また飲んでんの」。すかさず私は、「バカヤロウ。股で酒が飲めるか」と言いつつ、そっと布団に入る。こんな虚しい夜を幾度過ごしたか。残念ながら私の門下生、志村、松本、梶浦、湯浅、石澤にはこの修業が足らん。
花散らしの雨か。桜は悲しいものだ。一年に一度しか咲かないのに、風雨に影響され、あっと言う間に盛りが過ぎてしまう。野村先生の句ではないが、あと四、五日もすれば「葉桜の風の言葉は独り聴く」という風情になってしまう。そう言うことが「寂しい」と感じるのも歳のせいなのかとしみじみ思う昨今である。
昨日は名前だけ立派な「蜷川政経懇話会」を野毛の「弥平」にて開催した。ここのオヤジは中学の同級生である。私は、横浜の下町、南区の共進中学に入学した。昭和三十八年の春である。第二次ベビーブームということもあって、一クラスは五十人。それも十二クラスもあった。ちなみに私の娘の中学は二十五人で四クラスしかなかった。
「蜷川政権懇話会」といっても月に一度、私の応援団の人たちが集まるただの飲み会である。しかし私は、この人たちによって支えられている。浪人生活ゆえいかに支援してくれる人を集められるのか・・・。それが私の評価でもある。もちろん長い付き合いの中には、去って行く人もいる。私不徳のの致すところかもしれない。それでも応援してくれる人がいる以上、その期待を裏切らないような生き方をしなければと思っている。
「弥平」は神奈川の、それも三浦の魚と肴にこだわっている。オーナーの高杉氏は中学時代剣道部の主将だった。酒を飲まないのが残念だが、飲まない分、あちらの方はほとんど現役である。この店に、古い友人や同級生が集まる。楽しくて仕方がない。思い出話に花が咲き、飲んだ酒が五万本。とつい甘えてしまう。終了後に関内に転戦。金もないのに、飲めば気が大きくなって、閉店後に近くの「ビートレ」というイタメシ屋に紅灯の白粉を連れてアフター。
妻は病床に臥し、児は飢えに泣くとも、ひたすら悲憤慷慨の酒に酔う。梅田雲浜ファンの酒友、松本洋三さんに怒られそうだ。酔って自宅に戻れば鬼嫁とガキどもが、日頃の恩を忘れて、「とーたん。また飲んでんの」。すかさず私は、「バカヤロウ。股で酒が飲めるか」と言いつつ、そっと布団に入る。こんな虚しい夜を幾度過ごしたか。残念ながら私の門下生、志村、松本、梶浦、湯浅、石澤にはこの修業が足らん。