七月十日(金)晴れ。
久しぶりに晴れた。主婦ではないが、天気が良いだけで気持ちがウキウキする。安上がりにできているものだ。趣味で掛け軸をいくつか持っているので、事務所に行って久しぶりに虫干しを兼ねてかけてみた。頭山満翁の物が多いが、翁の書は、崩し字で難しくて分からないものが多いが、はっきりと書いてある物もある。多分、大東亜戦争の当初に揮毫を頼まれたものと推測されるのが、「赤心報国」、あるいは「忠孝」とかいかにも戦時中に好まれそうな言葉だ。
私が持っているほとんどが軸もので、床の間などに飾れば、民族派らしくて良いのだが、我が家の床の間は洋服箪笥に占領されてしまっているので飾る場所がない。たまに日本間の襖の前に掛けて楽しむのが関の山だ。色紙は頭山満翁の物が二枚。「敬神」と「忠孝」だが、残念ながら「忠孝」のり方は、年月が経っている分シミが多い。近衛文麿公の「丹心照萬古」(真心から出た行いは、永遠に光り輝く)の扁額もあるが、これも少々傷んでいる。
三上卓先生の扁額は「無畏城」があるが、やはり積年の傷みや焼けでコンディションがが良くない。随分前に亡くなられた生産党の北上清五郎先生から、表装をしていない「まくり」の状態の三上卓先生の俳句の書を何枚か頂いたが、事務所の引っ越しに紛れて所在が不明となっている。ちなみに「無畏城」の「無畏」とは、確信して畏れをもたぬこと。真理について正しく知り、何等の不安や疑惑を存しないこと。また、畏れを離れた安穏の宝蔵を言う。「無畏城」とは、真理を悟り不安や疑惑から解放された真言行者の集結する道場という意味を表している。
野村先生の書は、随分と持っていたが、近しい人に贈呈したり、酒代に代わってしまったりして、今では代表句の「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」の扁額と色紙、そして私の「為書き」の入った「ひたすらにゆく冬銀河 さみしからず」の色紙と、「風の会」の選挙の折に詠んだ三部作の句があるのみである。今年の先生の二十三回忌「群青忌」には、その三部作の中から「戦場を駆け抜けて来て青嵐」の色紙を複製してお配りする予定である。
書はいい。先人の思想や生き様が感じられて、見ていると心が落ち着く。夏に冬の詩で申し訳ないが、江戸後期の儒学者である官茶山の「冬夜書を読む」の一節、「閑かに亂帙を收めて 疑義を思へば 一穗の青燈萬古の心」(心静かにとり散らかした書物を整理しながら、疑問のところなど思案にふけっていると青白い一本の灯火が、古の聖賢の心を照らし出してしてくれるようだ)。というような思いになる。
そんな訳で、今夜はどの先人の書にお付き合いを願おうか。
久しぶりに晴れた。主婦ではないが、天気が良いだけで気持ちがウキウキする。安上がりにできているものだ。趣味で掛け軸をいくつか持っているので、事務所に行って久しぶりに虫干しを兼ねてかけてみた。頭山満翁の物が多いが、翁の書は、崩し字で難しくて分からないものが多いが、はっきりと書いてある物もある。多分、大東亜戦争の当初に揮毫を頼まれたものと推測されるのが、「赤心報国」、あるいは「忠孝」とかいかにも戦時中に好まれそうな言葉だ。
私が持っているほとんどが軸もので、床の間などに飾れば、民族派らしくて良いのだが、我が家の床の間は洋服箪笥に占領されてしまっているので飾る場所がない。たまに日本間の襖の前に掛けて楽しむのが関の山だ。色紙は頭山満翁の物が二枚。「敬神」と「忠孝」だが、残念ながら「忠孝」のり方は、年月が経っている分シミが多い。近衛文麿公の「丹心照萬古」(真心から出た行いは、永遠に光り輝く)の扁額もあるが、これも少々傷んでいる。
三上卓先生の扁額は「無畏城」があるが、やはり積年の傷みや焼けでコンディションがが良くない。随分前に亡くなられた生産党の北上清五郎先生から、表装をしていない「まくり」の状態の三上卓先生の俳句の書を何枚か頂いたが、事務所の引っ越しに紛れて所在が不明となっている。ちなみに「無畏城」の「無畏」とは、確信して畏れをもたぬこと。真理について正しく知り、何等の不安や疑惑を存しないこと。また、畏れを離れた安穏の宝蔵を言う。「無畏城」とは、真理を悟り不安や疑惑から解放された真言行者の集結する道場という意味を表している。
野村先生の書は、随分と持っていたが、近しい人に贈呈したり、酒代に代わってしまったりして、今では代表句の「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」の扁額と色紙、そして私の「為書き」の入った「ひたすらにゆく冬銀河 さみしからず」の色紙と、「風の会」の選挙の折に詠んだ三部作の句があるのみである。今年の先生の二十三回忌「群青忌」には、その三部作の中から「戦場を駆け抜けて来て青嵐」の色紙を複製してお配りする予定である。
書はいい。先人の思想や生き様が感じられて、見ていると心が落ち着く。夏に冬の詩で申し訳ないが、江戸後期の儒学者である官茶山の「冬夜書を読む」の一節、「閑かに亂帙を收めて 疑義を思へば 一穗の青燈萬古の心」(心静かにとり散らかした書物を整理しながら、疑問のところなど思案にふけっていると青白い一本の灯火が、古の聖賢の心を照らし出してしてくれるようだ)。というような思いになる。
そんな訳で、今夜はどの先人の書にお付き合いを願おうか。