七月八日(水)雨。
昭和四十五年十一月二十四日、三島由紀夫は翌日共に決起する楯の会の会員と共に新橋の鳥料理の老舗である「末げん」に行ったそうだ。その当時の面影はお店がビルの中に入ってしまってないが、まだ昔の頃のお店に行ったことがある。確か「群青忌」の打ち上げで大熊雄次氏に案内された。「末げん」は明治四十二年に開業した老舗で原敬首相や六代目菊五郎などに愛された店としても知られている。このお店は高級鶏肉や鴨を使った料理が名物で、今なお三島由紀夫を慕う青年が訪れると言う。しかし値段も高級である。
新橋に行くたびに、「今度は行ってみようと」と思うのだが、どうもうまくタイミングが合わない。頭が「鳥料理」のイメージで膨らんだせいでもないが、夜は日頃からお世話になっている中学、高校の同級生であるY氏と学校はちがうが同い年のI氏らと前里町にある「だんらん亭」へ行った。そう言えばこのお店の女将も同い年だ。焼き鳥以外に、女将が作る様々な料理がカウンターの大皿に並んでいる。早く着いたのでお二人が来る前に女将に相手をしていただき乾杯の練習。外は雨が激しく降っている。
私以外は、二人ともあまり酒が強くない。「三岳」の四合瓶をほとんど一人で飲んで、かなり酔って送って頂き帰宅。良い夜だった。
昭和四十五年十一月二十四日、三島由紀夫は翌日共に決起する楯の会の会員と共に新橋の鳥料理の老舗である「末げん」に行ったそうだ。その当時の面影はお店がビルの中に入ってしまってないが、まだ昔の頃のお店に行ったことがある。確か「群青忌」の打ち上げで大熊雄次氏に案内された。「末げん」は明治四十二年に開業した老舗で原敬首相や六代目菊五郎などに愛された店としても知られている。このお店は高級鶏肉や鴨を使った料理が名物で、今なお三島由紀夫を慕う青年が訪れると言う。しかし値段も高級である。
新橋に行くたびに、「今度は行ってみようと」と思うのだが、どうもうまくタイミングが合わない。頭が「鳥料理」のイメージで膨らんだせいでもないが、夜は日頃からお世話になっている中学、高校の同級生であるY氏と学校はちがうが同い年のI氏らと前里町にある「だんらん亭」へ行った。そう言えばこのお店の女将も同い年だ。焼き鳥以外に、女将が作る様々な料理がカウンターの大皿に並んでいる。早く着いたのでお二人が来る前に女将に相手をしていただき乾杯の練習。外は雨が激しく降っている。
私以外は、二人ともあまり酒が強くない。「三岳」の四合瓶をほとんど一人で飲んで、かなり酔って送って頂き帰宅。良い夜だった。