白雲去来

蜷川正大の日々是口実

久しぶりに同級生らと一献。

2015-07-16 18:24:31 | 日記
七月八日(水)雨。

昭和四十五年十一月二十四日、三島由紀夫は翌日共に決起する楯の会の会員と共に新橋の鳥料理の老舗である「末げん」に行ったそうだ。その当時の面影はお店がビルの中に入ってしまってないが、まだ昔の頃のお店に行ったことがある。確か「群青忌」の打ち上げで大熊雄次氏に案内された。「末げん」は明治四十二年に開業した老舗で原敬首相や六代目菊五郎などに愛された店としても知られている。このお店は高級鶏肉や鴨を使った料理が名物で、今なお三島由紀夫を慕う青年が訪れると言う。しかし値段も高級である。

新橋に行くたびに、「今度は行ってみようと」と思うのだが、どうもうまくタイミングが合わない。頭が「鳥料理」のイメージで膨らんだせいでもないが、夜は日頃からお世話になっている中学、高校の同級生であるY氏と学校はちがうが同い年のI氏らと前里町にある「だんらん亭」へ行った。そう言えばこのお店の女将も同い年だ。焼き鳥以外に、女将が作る様々な料理がカウンターの大皿に並んでいる。早く着いたのでお二人が来る前に女将に相手をしていただき乾杯の練習。外は雨が激しく降っている。

私以外は、二人ともあまり酒が強くない。「三岳」の四合瓶をほとんど一人で飲んで、かなり酔って送って頂き帰宅。良い夜だった。

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七夕の逢はぬ心や雨中天。

2015-07-16 01:05:02 | 日記
七月七日(火)雨。

七夕だと言うのにあいにくの雨。一年に一度の逢瀬を楽しみにしているお二人にはさぞかし怨みの雨だろう。しかし、「七夕雨」と言って、この日、少しでも雨が降ると良いとするところもあるそうだ。雨が降ると両星が会えぬために、病の子や疫病神が生まれないのでよろしいと言う考えからくるものとのこと。そんなことを知っていたのか俳聖の芭蕉が詠んだ句が、「七夕の逢はぬ心や雨中天」。

ちなみに、彦星(わし座のアルタイル)は 十六、八光年先、織姫(こと座のベガ)は二十五、三光年も先にあり、どんなに科学が発達しようと、とても一年に一度だって逢える距離ではないそうだ。

話は変わるが、最近テレビドラマや映画で戦争を扱ったものを見ることがあるが、いつも思うのが日本の役者が「軍人」の役がほとんど似合わないのだ。私が子供の頃の俳優は皆、戦前の生まれということもあって、軍人の役がとてもキマッていた。かく言う私も、戦後の生まれであるから本物の軍人を見たことが無い。しかし、軍人を演じる当時の役者の中には実際に軍隊の経験もある人も当然いたし、その年齢に達していなくとも、身近に軍人と接していた人が当然いた。東映の二・二六事件を題材にした「脱出」の高倉健や江原真二郎などは本当に凛々しさに溢れ、青年将校そのものという感じがした。(DVDになっていたら是非もう一度見たいと思っています)

実は、「天皇の料理番」というテレビドラマを見た。たまげたのは、主役の人が皇居に入って行くのだが、門の両脇に立っている近衛の兵隊さんの両足の間から、後ろの景色が見えたこと。つまり、直立で立っている兵隊の太ももの内側が離れていたのである。今ではそんなこともないだろうが、私の小学生の頃は、キオツケをして太ももの両方がくっ付いていないと注意されたものだ。帝国陸軍の軍人、それも皇居をお護りする近衛の軍人が「ガニマタ」なのにはさすがに、画面に向かって「ふざけんな」と言ってしまった。愚妻などは、「コックさんのドラマなのでムキになることはない」と言っていたが、そんなものではない。他の戦争ドラマでも、お隣さんに気を遣ってか、「支那事変」とは言わずに「日中戦争」と言ったり、「大東亜戦争」は「太平洋戦争」になったりしている。昔、戦前から民族派運動をしていた大先輩に聞いた所、戦前に「日中戦争」などと言う国民は一人もいなかった。と言っていた。幾らドラマとはいえ、もう少し時代考証をしっかりやって貰いたいものだ。

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