白雲去来

蜷川正大の日々是口実

中野正剛の書

2015-07-21 12:44:33 | 日記
七月十二日(日)晴れ。

日曜日は朝から家族全員で掃除と洗濯。終われば機関誌「燃えよ祖国」の第二一四号の製作。今月号は大行社の中村みどりさんの「タイ王国訪問記」が圧巻である。くだらん旅行雑誌などを読むよりずっとタイのことが分かる。やはりタイで頑張っている椿荘子さんも思想的にはしっかりしているし、大行社には男女とも才能のある人が多い。層の厚さでは屈指の団体ではないかと思っている。

先日、「書」のことについて触れたが、私が所有する物は、正直言って美術品としての価値はない。その志や思想的な価値が高い物ばかりだ。主に玄洋社関係の人たちの物を集めており、目につけば借金をしても手に入れる。それは後世に残したいからである。夢は書籍と書を中心とした民族派資料館を作ることである。私が所有している掛け軸で気に入っている物は何点かあるが、福岡県出身のジャーナリスト、政治家として活躍し、東條英機と対立し、自決した中野正剛が書いた物を紹介してみたい。

「平成十二年の早稲田大卒業式。総長の奥島孝康は式辞の中で、玄洋社の系譜に連なる早大出身の政治家、中野正剛を取り上げ、約一万人の卒業生に語りかけた。『徒党を組んだり、付和雷同したり、大会社にぶら下がったり、権力者に擦り寄ったりするのではなく、各自が個を強め、孤立を恐れず、自信を持って二十一世紀の時代の扉をけ破ってください』、奥島が引用した『中野の歴史的演説』は、昭和十七年十一月十日、早大の大隈講堂で開かれた創立六十周年の記念講演として行われた。戦争が始まって、約一年後である。中野は熱弁を振るった。〈日本の巨船は怒とうの中に漂っている。便乗主義者を満載していては危険である。諸君、自己に目覚めよ。天下一人をもって興れ〉それは、後輩たちを激励すると同時に、当時の東条英機内閣への批判の意味が込められていた。学生たちは起立し、校歌を合唱してこたえた。中野の演説を聞いた学生たちの多くは、やがて学徒出陣などによって戦地で命を落とし、中野もこの演説からほぼ一年後の昭和十八年十月二十一日、倒閣を策した容疑で連行され、同月二十七日、東京・代々木の自宅で自決する。」(引用です)

中国は南宋時代の軍人、政治家として知られている文天祥の「正気の歌」の一節である。

楚囚纓其冠(楚囚、其冠を纓び )私は捕虜となっても、南宋の家臣であり
傳車送窮北(傳車、窮北に送らる) 護送車によって極北(この場合は大都)へ送られる
鼎鑊甘如飴(鼎鑊、甘きこと飴の如き) 釜茹でにされることも飴のように甘いのに、
求之不可得(之、求むるに得べからず )之を求めても得られない

東條に逆らって自決した中野正剛の志操の高潔さが伝わってくるような書である。
コメント (1)
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秋葉原の沖縄料理屋で一献。

2015-07-21 12:26:03 | 日記
七月十一日(土)晴れ。

東京行き。長谷川光良氏が根本順善監督と一緒に台湾を題材にした映画を制作すると言う。その資金集めのパーティーが新宿の中華料理屋で行われ出席。会場は、知っている人が半分。知らない人が半分。一時間ほどいてから小川勝正先生と共に中座して秋葉原へ。

秋葉原にて、「みたま祭り」から帰った大熊雄次、秋山一成両氏と合流。場所は沖縄料理の「今帰仁」。このお店は二度目だが、土地勘がない者には探すのが難しい。しばらく飲んでから大学の部活の食事会でこちらに来ていた上の子供と合流して帰宅。

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