白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ニューグランドの屋上から見た連合艦隊。

2015-07-28 18:02:03 | 日記
七月十九日(日)晴れ。

伊勢原の野村先生のお墓の掃除に行った志村馨、横田保志の両君が来訪。午後から、お世話になった方の一周忌に一緒に出かける。お寺にて、I氏と合流。法事が始まって、ご焼香をさせて頂くが、遺影に手を合わせると、その方との様々な思い出が走馬灯のように脳裏にを巡った。お斎にて定年退職した某私鉄会社の役員氏と同席。亡くなられた方の思い出話をするが、お互いに口をついで出る言葉は、「早すぎる」。

I氏に自宅まで送って頂き恐縮する。午後からPCにて原稿書き。機関誌『燃えよ祖国』の段取りで何となく気忙しい。

深田祐介氏の『地球地味な旅』という本の中に、氏が「生涯で一番豪華な食事をした」日のことが書いてあった。それは昭和十六年七月五日の夜で、場所はヨコハマのニューグランドホテルの屋上で取った夕食であったと述懐している。

当時、深田氏は小学生で、友人の父親の案内で家族と共に横須賀港に停泊している重巡洋艦「利根」に乗艦、見学をした。小学校の四年生であった深田氏は、当時の子供が皆そうであったように「軍国少年」であり、「眠れない思いでこの日を待った」そうだ。当時「利根」は一般に公開されていない、最新鋭の航空巡洋艦で、前甲板に二十サンチ砲塔四門を集中し、後甲板に水上偵察機七機を搭載する、というユニークな艦だった。艦内を見学する深田少年の興奮は頂点に達した。その横須賀の帰路に、横浜に寄り、ニューグランドで食事をした。

「これが生涯忘れ得ぬ食事」となった。「何しろ夕食の背景がこの上なく豪勢であった。ニューグランドの屋上に出てみると、横須賀に入りきれぬ連合艦隊の戦艦群が十隻、横浜沖に巨大なシルエットをうかべて投錨していた。巨大な戦艦群は夕陽を浴びながら、盛んに発行信号を交わしていたが、私には「陸奥」「長門」「金剛」「比叡」に至るまで、すべての艦船を識別できた。ニューグランドの屋上レストランには、外人客も多く、私は日本海軍の威容を背景にして甚だ得意な気分であった。ただしこの夜、何を食べたのかは、まるで記憶に残っていない」。

深田氏の本は、「革命商人」「炎熱商人」「新東洋事情」「スチューワーデス物語」など好きな作品が多い。また上記の一文に接してさらにファンになった。亡くなられてしまったのが残念で仕方がない。合掌。あーあ私もニューグランドの屋上から帝国海軍の艨艟(もうどう)を見たかったなぁー。



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最近のウナギは偉そうだ。

2015-07-28 16:40:41 | 日記
七月十八日(土)曇り。

この時期、魚屋や商店街はうなぎの匂いが充満する。西洋人も日本人のようにうなぎを食するのか知らないが、日本人のうなぎ好きは他の国の人々を圧するに違いあるまい。かくいう私も相当なうなぎ好きなのだが、最近はとんとご無沙汰をしている。理由は一つ、高すぎるからである。ショボそうな下町のスーパーでさえ、少々見てくれの良いものは二千円もする。デパ地下やうなぎのお店で食べるとなると四千円はくだらない。たまに一人で食べてみようかとも思うのだが、家族に申し訳なくて素通りする。飲み屋や寿司屋で飲む時などは、家族に悪いなどとは思わないのに、うなぎだけはどうも一人だと罪悪感が伴うのはなぜだろう。

うなぎ屋で、まず「肝焼き」を二三本食べながら、生ビールをぐいっと飲む。昔は馴染みのお店で、「肝吸い」の中に肝を沢山入れて貰い、それをワサビしょう油で食べて酒の肴にしたものだ。今は家族でこんな食べ方をしたら軽く二万円はする。わずか一食で二万かと思うと、食欲がなくなる。こんなことを気にしている内はうなぎを食べても美味しくないにきまっている。

うなぎの名店と言うのは何処の町にもあるに違いない。また人それぞれ馴染みの店があって、講釈をたれる。昔、うなぎの二段重ねを食べたことがあるが、あれは頂けない。酒飲みの食事ではない。どうせ二枚もあるのならば、一枚は別に皿に入れて貰いたいと、呑兵衛の私は思うのである。そう言えば、今までで一番高いうなぎを食べたのは、東北大震災の年のこと。お世話になっている方に連れて行って貰った南千住の「尾花」と「野田岩」。この二軒は絶品でした。特に「尾花」のうなぎ六匹を豪快に焼いた「筏」にはたまげましたね。横浜は関内の「わかな」かな。もっと他にも美味しい店があるのだろうが、知りたくもあり、知りたくもなしか。

土用というのは夏だけにあるのではない。四季の終わり十八日余りの期間のことをいうのだが、暑さのもっともきびしい夏の土用がその代表格となったわけである。夏は小暑後十三日から立夏までの期間がそれに当たる。陰陽五行説(木・火・土・金・水)説によると、春は木、夏は火、秋は金、冬は水の支配するところとして、、各季の終わりに十八日間ずつ土の支配する日を置き、そのことを土用といったものである。
土用の丑(うし)というのは夏の土用のあいだにある丑の日のこと。この日、ウナギを食べるのは、江戸中期の科学者平賀源内が、知り合いのさえないウナギ屋に同情して一計を案じ丑のウとウナギのウをひっかけたキャッチフレーズを出させたところ、大いに図に当たり、そのウナギ屋は大繁盛したという。それ以来ウナギと丑の日の深い因縁ができたといわれているのだが……。(「歳時記」より)

「ひさびさに家族がそろい鰻屋にいっしょにひらく鰻重の蓋」とは佐佐木幸綱の歌。

松原商店街へすっ飛びで行き、カツオとマグロを買うが、親子四人分でうなぎより安い。曇りで月も見えずに、夜来の雨の音を聞きながら酔狂亭で独酌。

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