七月十九日(日)晴れ。
伊勢原の野村先生のお墓の掃除に行った志村馨、横田保志の両君が来訪。午後から、お世話になった方の一周忌に一緒に出かける。お寺にて、I氏と合流。法事が始まって、ご焼香をさせて頂くが、遺影に手を合わせると、その方との様々な思い出が走馬灯のように脳裏にを巡った。お斎にて定年退職した某私鉄会社の役員氏と同席。亡くなられた方の思い出話をするが、お互いに口をついで出る言葉は、「早すぎる」。
I氏に自宅まで送って頂き恐縮する。午後からPCにて原稿書き。機関誌『燃えよ祖国』の段取りで何となく気忙しい。
深田祐介氏の『地球地味な旅』という本の中に、氏が「生涯で一番豪華な食事をした」日のことが書いてあった。それは昭和十六年七月五日の夜で、場所はヨコハマのニューグランドホテルの屋上で取った夕食であったと述懐している。
当時、深田氏は小学生で、友人の父親の案内で家族と共に横須賀港に停泊している重巡洋艦「利根」に乗艦、見学をした。小学校の四年生であった深田氏は、当時の子供が皆そうであったように「軍国少年」であり、「眠れない思いでこの日を待った」そうだ。当時「利根」は一般に公開されていない、最新鋭の航空巡洋艦で、前甲板に二十サンチ砲塔四門を集中し、後甲板に水上偵察機七機を搭載する、というユニークな艦だった。艦内を見学する深田少年の興奮は頂点に達した。その横須賀の帰路に、横浜に寄り、ニューグランドで食事をした。
「これが生涯忘れ得ぬ食事」となった。「何しろ夕食の背景がこの上なく豪勢であった。ニューグランドの屋上に出てみると、横須賀に入りきれぬ連合艦隊の戦艦群が十隻、横浜沖に巨大なシルエットをうかべて投錨していた。巨大な戦艦群は夕陽を浴びながら、盛んに発行信号を交わしていたが、私には「陸奥」「長門」「金剛」「比叡」に至るまで、すべての艦船を識別できた。ニューグランドの屋上レストランには、外人客も多く、私は日本海軍の威容を背景にして甚だ得意な気分であった。ただしこの夜、何を食べたのかは、まるで記憶に残っていない」。
深田氏の本は、「革命商人」「炎熱商人」「新東洋事情」「スチューワーデス物語」など好きな作品が多い。また上記の一文に接してさらにファンになった。亡くなられてしまったのが残念で仕方がない。合掌。あーあ私もニューグランドの屋上から帝国海軍の艨艟(もうどう)を見たかったなぁー。
伊勢原の野村先生のお墓の掃除に行った志村馨、横田保志の両君が来訪。午後から、お世話になった方の一周忌に一緒に出かける。お寺にて、I氏と合流。法事が始まって、ご焼香をさせて頂くが、遺影に手を合わせると、その方との様々な思い出が走馬灯のように脳裏にを巡った。お斎にて定年退職した某私鉄会社の役員氏と同席。亡くなられた方の思い出話をするが、お互いに口をついで出る言葉は、「早すぎる」。
I氏に自宅まで送って頂き恐縮する。午後からPCにて原稿書き。機関誌『燃えよ祖国』の段取りで何となく気忙しい。
深田祐介氏の『地球地味な旅』という本の中に、氏が「生涯で一番豪華な食事をした」日のことが書いてあった。それは昭和十六年七月五日の夜で、場所はヨコハマのニューグランドホテルの屋上で取った夕食であったと述懐している。
当時、深田氏は小学生で、友人の父親の案内で家族と共に横須賀港に停泊している重巡洋艦「利根」に乗艦、見学をした。小学校の四年生であった深田氏は、当時の子供が皆そうであったように「軍国少年」であり、「眠れない思いでこの日を待った」そうだ。当時「利根」は一般に公開されていない、最新鋭の航空巡洋艦で、前甲板に二十サンチ砲塔四門を集中し、後甲板に水上偵察機七機を搭載する、というユニークな艦だった。艦内を見学する深田少年の興奮は頂点に達した。その横須賀の帰路に、横浜に寄り、ニューグランドで食事をした。
「これが生涯忘れ得ぬ食事」となった。「何しろ夕食の背景がこの上なく豪勢であった。ニューグランドの屋上に出てみると、横須賀に入りきれぬ連合艦隊の戦艦群が十隻、横浜沖に巨大なシルエットをうかべて投錨していた。巨大な戦艦群は夕陽を浴びながら、盛んに発行信号を交わしていたが、私には「陸奥」「長門」「金剛」「比叡」に至るまで、すべての艦船を識別できた。ニューグランドの屋上レストランには、外人客も多く、私は日本海軍の威容を背景にして甚だ得意な気分であった。ただしこの夜、何を食べたのかは、まるで記憶に残っていない」。
深田氏の本は、「革命商人」「炎熱商人」「新東洋事情」「スチューワーデス物語」など好きな作品が多い。また上記の一文に接してさらにファンになった。亡くなられてしまったのが残念で仕方がない。合掌。あーあ私もニューグランドの屋上から帝国海軍の艨艟(もうどう)を見たかったなぁー。