八月一日(土)晴れ。
昨夜、家族に「八時には朝食を食べて、お墓参りに出かけるぞ」と言っておいたのに、体がだるくて結局、愚妻に起こされてしまった。一晩中扇風機を体に当てていると、だるくて起きられない。結局、朝食も取らずに出かけた。
大和トンネルまではお約束の渋滞。そこからスムーズに伊勢原着。途中の「JA伊勢原」にて仏花などを買い求めお寺へ。ご住職にご挨拶をしてから先生のお墓に詣でる。ご皇室の弥栄と一門の安泰をお願いした。その後、両親のお墓へ。わずか三十分程度のお墓参りなのに汗が吹き出し、クラクラする。
帰路は、登り車線にある海老名のSAのフードコートにて遅い朝食をとったが、暑さであまり食欲がなく、仕方がないので、ざるそばと竹輪のてんぷらを頼んだが、これが最悪だった。まあ高速道路のSAで美味いものなど期待はしていないが、ここのそばとてんぷらは、史上最低の代物だった。何しろ立ち食いそばの方が十倍も美味しいと思えるほどの味。竹輪の天ぷらなんかは、一体いつ揚げたものなのか、半分しかないのに固くてとても食えたものではなかった。まあこんな所に入った私の方が悪いと言えばそれまでなのだが。
帰りは、町田の出口で事故があり、延々渋滞が続いている。仕方がないので通り過ぎて川崎の手前で降りた。何か、今日はとても車が多いような気がする。八時半に家を出て、戻ってきたのは二時過ぎ。やれやれ、だった。
そう言えば、古い友人で産経新聞の沖縄支局長だった宮本雅史さんが産経新聞で「戦後七十年ー特攻」というテーマで記事を書いている。宮本さんは「回天」や「知覧」など特攻に関する著書もあり、戦後七十年の特集にふさわしい記事を書いている。十月の群青忌ではお会いしたいものだ。
八月は、お盆休みもあって、仕事を急がされる。頑張らなくては。と思いつつも、風呂上がりに、月と「黒霧島」とで三人になり、一杯、一杯、復一杯。
昨夜、家族に「八時には朝食を食べて、お墓参りに出かけるぞ」と言っておいたのに、体がだるくて結局、愚妻に起こされてしまった。一晩中扇風機を体に当てていると、だるくて起きられない。結局、朝食も取らずに出かけた。
大和トンネルまではお約束の渋滞。そこからスムーズに伊勢原着。途中の「JA伊勢原」にて仏花などを買い求めお寺へ。ご住職にご挨拶をしてから先生のお墓に詣でる。ご皇室の弥栄と一門の安泰をお願いした。その後、両親のお墓へ。わずか三十分程度のお墓参りなのに汗が吹き出し、クラクラする。
帰路は、登り車線にある海老名のSAのフードコートにて遅い朝食をとったが、暑さであまり食欲がなく、仕方がないので、ざるそばと竹輪のてんぷらを頼んだが、これが最悪だった。まあ高速道路のSAで美味いものなど期待はしていないが、ここのそばとてんぷらは、史上最低の代物だった。何しろ立ち食いそばの方が十倍も美味しいと思えるほどの味。竹輪の天ぷらなんかは、一体いつ揚げたものなのか、半分しかないのに固くてとても食えたものではなかった。まあこんな所に入った私の方が悪いと言えばそれまでなのだが。
帰りは、町田の出口で事故があり、延々渋滞が続いている。仕方がないので通り過ぎて川崎の手前で降りた。何か、今日はとても車が多いような気がする。八時半に家を出て、戻ってきたのは二時過ぎ。やれやれ、だった。
そう言えば、古い友人で産経新聞の沖縄支局長だった宮本雅史さんが産経新聞で「戦後七十年ー特攻」というテーマで記事を書いている。宮本さんは「回天」や「知覧」など特攻に関する著書もあり、戦後七十年の特集にふさわしい記事を書いている。十月の群青忌ではお会いしたいものだ。
八月は、お盆休みもあって、仕事を急がされる。頑張らなくては。と思いつつも、風呂上がりに、月と「黒霧島」とで三人になり、一杯、一杯、復一杯。