白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お墓参り。

2015-08-01 18:03:04 | 日記
八月一日(土)晴れ。

昨夜、家族に「八時には朝食を食べて、お墓参りに出かけるぞ」と言っておいたのに、体がだるくて結局、愚妻に起こされてしまった。一晩中扇風機を体に当てていると、だるくて起きられない。結局、朝食も取らずに出かけた。

大和トンネルまではお約束の渋滞。そこからスムーズに伊勢原着。途中の「JA伊勢原」にて仏花などを買い求めお寺へ。ご住職にご挨拶をしてから先生のお墓に詣でる。ご皇室の弥栄と一門の安泰をお願いした。その後、両親のお墓へ。わずか三十分程度のお墓参りなのに汗が吹き出し、クラクラする。

帰路は、登り車線にある海老名のSAのフードコートにて遅い朝食をとったが、暑さであまり食欲がなく、仕方がないので、ざるそばと竹輪のてんぷらを頼んだが、これが最悪だった。まあ高速道路のSAで美味いものなど期待はしていないが、ここのそばとてんぷらは、史上最低の代物だった。何しろ立ち食いそばの方が十倍も美味しいと思えるほどの味。竹輪の天ぷらなんかは、一体いつ揚げたものなのか、半分しかないのに固くてとても食えたものではなかった。まあこんな所に入った私の方が悪いと言えばそれまでなのだが。

帰りは、町田の出口で事故があり、延々渋滞が続いている。仕方がないので通り過ぎて川崎の手前で降りた。何か、今日はとても車が多いような気がする。八時半に家を出て、戻ってきたのは二時過ぎ。やれやれ、だった。

そう言えば、古い友人で産経新聞の沖縄支局長だった宮本雅史さんが産経新聞で「戦後七十年ー特攻」というテーマで記事を書いている。宮本さんは「回天」や「知覧」など特攻に関する著書もあり、戦後七十年の特集にふさわしい記事を書いている。十月の群青忌ではお会いしたいものだ。

八月は、お盆休みもあって、仕事を急がされる。頑張らなくては。と思いつつも、風呂上がりに、月と「黒霧島」とで三人になり、一杯、一杯、復一杯。

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カタカナの人たち。

2015-08-01 00:16:51 | 日記
七月尽(金)晴れ。

何と目を覚まして時計を見たら十時に近かった。これではカタギの衆とお天道様にスマン、スマスン、オスマンサンコンである。夏休みで、のんびりしている下の子供を起こして二人で昼食に近い朝食。

今日で今月も終わり。毎日、ボーッとしていて一日がアッと言う間に終わってしまう。今日も昼過ぎから、細々とした用事を済ませてから仕事と言うには余りにもくだらんことに少ない脳みそを駆使して体力を消耗した。夕方に子供を連れて晩酌の肴を求めて松原商店街からみなとみらいをはしごした。

七時半過ぎに家族全員が揃ってから食事。岐阜の細川先生より定例のメール。「飲んでますか」。飲まなくて良いような日常などあるわけもない。酔いだけが、空虚な日常を忘れさせてくれる特効薬である。酒に溺れる、酒で逃げる、酒で迷う・・・。考えてみれば、酒を覚えた十代の後半からそんな酒を飲んできた。使ってはいけない金で酒を飲み、粋がって手裏剣のように金を払い、残ったものと言えば「青楼薄倖の名」のみか。

ヨコハマのことを書いてみようと真剣に思っているのだが、段々記憶の中にある風景や出会いが色あせてしまい、友達やガールフレンドの名前をカタカナでしか思い出せない。その時々の人との思い出をセピア色にしたくはないのだが、歳と共に記憶が薄れて行くのは仕方がない。
十九の歳から関内で飲んでいるが、その年月だけ時々の人の思い出がある。たまに何十年も前の彼女と会うことがある。向こうは孫を連れていて、こちらは子供連れ。あっと思うのだが、目で語り合う一瞬でお互いに昔が甦るのだが、逢わずにいた分だけの距離感の中で言葉を失い、そして何もなかったように人ごみにまぎれて行く。

今月も今日で終わり。単に月が替わると言うよりも「過ぎて行く」という感がある。このまま腐って朽ちてゆく以外にないのだが、こんなことを思うのも酔いのせいかもしれない。

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